海は見ていた
2002年/日本
イメージに関する考察
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
この作品の予告編で「最後に黒澤が撮りたかったのはラブストーリーであった」と紹介されたらしいのだが、この作品が本当にラブストーリーなのか疑問が残る。タイトルからアンドレイ・タルコフスキー監督の1972年の『惑星ソラリス』と関連づけられるように、『海は見ていた』はイメージと人間の心理の間に起こる葛藤が描かれていると思う。
房之助の振る舞いからお新は房之助が自分のことを好きになってくれたと勘違いしてしまい、結婚するつもりになってしまうが、房之助にはお新に対してそのような気持ちなど全く持っておらず、お新は失意の底に沈む。
町人の良介が銀次ともみ合いになり殺してしまう。通常であれば例え菊乃を助けるためであっても殺人は重罪であるが、余りにも激しい豪雨の前に良介の罪など軽い瑣末なものとしてかすんでしまう。
お新と菊乃が洪水の後に家の屋根の上に取り残されていると、逃げたはずの良介が舟を漕いで2人を助けにくる。2人は舟に乗ろうとするが、舟には穴があいていて3人乗ると沈んでしまうために、菊乃は一人で残ってお新だけを乗せて良介が舟を漕いでいく。しかしここは違和感がある。舟に2人乗ろうが3人乗ろうが舟に穴が開いているならば舟はいずれ沈んでしまう。菊乃はそのことを察して‘気を利かし’たのではなく‘どっちにしても沈む’と判断して敢えて乗らなかったのではないのだろうか? そうなると菊乃が親切心でお新に渡したはずの大量の銭は重しとなってしまうのだが、ここの菊乃の心理は非常に微妙なものである。
前半の時代劇から後半のSFへと至る流れに一貫しているテーマはラブストーリーではなくて‘イメージ’に振り回される人間心理であり、それはこの作品で使用されているラブストーリーには似つかわしくない音楽によっても証明されるだろう。
過労死訴訟、国がアダルト画像撤回 「遺族心情を考慮」(朝日新聞) - goo ニュース
国側の訴訟窓口となっている大阪法務局の担当者は朝日新聞の取材に「遺族の
心情と(撤回を求めた)裁判所の意向を考慮した」と文書で回答しているが、当初は
弁論準備手続き(非公開)で、国側に画像を撤回するよう口頭で伝えても国側は
「今後立証していく上で必要だ」との考えを示し応じなかったはずである。何故必要
であるはずのものを撤回してしまうのか?つまりこれは最初から必要なものではなく
国を訴えた場合はこのような嫌がらせをする事があるから訴えない方が身のため
であるという暗黙のメッセージに他ならない。遺族側は男性を失ったのみならず、
亡骸に母国から唾を吐かれたような屈辱を味わわされたのである。このケースを
労災と認めない労働基準監督署が設けている“労働基準”がどれほど高いのか
分からないが労働基準監督署の労働環境が緩いということは想像に難くない。