タイタンの戦い 3D
2010年/アメリカ
‘半人前’について
総合
60点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』(クリス・コロンバス監督)や『ダレン・シャン』(ポール・ワイツ監督)や『ウルフマン』(ジョー・ジョンストン監督)など半分が人間で半分が神や吸血鬼や狼など最近よく‘半人前’の主人公の作品を観る。ここで言う‘半人前’は‘はんにんまえ’ではなくて‘はんじんまえ’と読んだ方が誤解を招かないと思うが、もし誤解を招くとしても必ずしもその誤解が誤解にならない理由は、この『タイタンの戦い』を含める上記の作品の出来がことごとく中途半端なものであるからだ。
『タイタンの戦い』では生まれた直後に捨てられた主人公のペルセウスが漁師に拾われてメドゥーサの首を獲りに行くところまではギリシア神話通りだが、最後にペルセウスはアンドロメダーではなくイーオーと結ばれることになる。ここで問題なのはこのような改変ではなく、ギリシア神話においては世界万物の創造主であるゼウスがしっかりしていればペルセウスやパーシー・ジャクソンが苦労する必要はないわけだし、万能の神である以上、ゼウスがしっかりしていないという設定には絶対的に無理があるからだ。ゼウスの‘グダグダさ’はペルセウスにも感染してしまったようで、当初ペルセウスは自分が神になることを拒絶していたはずなのだが、いつの間にか剣を持ちペガサスに乗って戦ってしまい、最後はゼウスが生き返らせたイーオーと結ばれてしまうのである。『ウルフマン』と同様にここでも父親と息子の対立の構図にはなっていないし、ストーリー展開の余りの都合の良さに呆れてしまうしかないのであるが、迫力ある映像を楽しむだけであるのならばこれ以上何も言うことはない。
ヴィクトリア女王 世紀の愛
2009年/イギリス=アメリカ
史実の忠実性について
総合
60点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
事実に基づく物語に対して、精確であることにこしたことはないが、私は必ずしも精確さを求めるつもりはない。例えばクライマックスでヴィクトリア女王に向けて暗殺者が放った銃弾をアルバートが身を挺して代わりに撃たれてしまう。もちろんこれはフィクションである。あるいはウィリアム4世が立ち上がってヴィクトリアの母親のケント公爵夫人を公衆の面前で罵倒するシーンなども実際は公爵夫人は席を蹴ることはなかった。私が問題としたいことはこれらのフィクションが誰もが想像できるような解りやすさのために、安易な演出になってしまい却って物語の緊張感を奪ってしまっているのではないのかということである。上記の2つのシーンはあくまでも史実に沿って演出を試みるべきだったように思う。
「想定内」「証拠評価の問題」=起訴可能性に否定的-法務・検察(時事通信) - goo ニュース
昨日は鳩山由紀夫首相の偽装献金事件で不起訴相当と議決した検察審査会は
小沢一郎幹事長の資金管理団体をめぐる土地取引事件で起訴相当の議決をした
ということは、つまり国民は資金の使い方よりも資金の出所に興味があるということ
なのだろう。この件に関しては検察もかなり頑張ったはずだから、いくら国民感情で
起訴相当と議決してみたところで新たな証拠がない以上判断は覆らないと思うが、
間違いなく参議院議員選挙には影響を及ぼすはずである。選挙のやり方を十分
知悉している小沢は幹事長を辞任しないままに勝てると思ってはいないと思うが
自分の影響力を残したままどのように選挙に臨むのか見物ではある。