NINE
2009年/アメリカ
‘NINE’の一途な想い
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
いくら映画評論家のおすぎ氏が絶賛していても『シカゴ』のあまりの退屈さに辟易した者としてはロブ・マーシャル監督の新作を観るつもりはなかったのであるが、やはり映画は自分の目で確かめてみなければ分からないものであり、素晴しいミュージカル映画だったと思う。
‘NINE’というタイトルの意味が一般的にどのように解釈されているのか定かではないが、イタリアの著名な映画監督フェデリコ・フェリーニをモデルとしている主人公の映画監督グイド・コンティーニの最新作『イタリア』が彼の‘9’作目という意味のみならず、グイドが性に目覚めて女性の美しさを捕らえるために映画監督になることを決意した年齢が‘9’歳だったということでもあろう。しかしそのようなグイドの欲望を制止しようとするものが彼の母国内に宮殿を持つキリスト教であった。
彼が映画監督として名を馳せることができた要因は彼が9歳の頃に抱いた女性の美に対する執着であるのだが、有名になってしまったために妻帯者であるにもかかわらずグイドは次々と美女の誘惑に巻き込まれてしまう。そのような荒れた生活を正常に戻してくれるものがキリスト教の教えであることをグイドは分かっているのであるが、映画制作の原動力になる女性の美を拒絶することはグイドにはできない。
そのような葛藤を抱えたままのグイドは脚本が書けない。そしていったんは新作の制作を断念することになる。しかし失意の中でグイドは思い出すのである。自分が映画監督になった動機はただ女性の美しさを捕らえたいという思いだけだったはずだと。だから再び撮影を開始した時にグイドは9歳の自分と一緒にカメラを回すことになり、その結果出来上がった作品が‘脚本のない’、ただ女性の美しさだけを捕らえた『NINE』という本作なのである。
脚本がない設定の作品の脚本を書き上げたアンソニー・ミンゲラを失ったことは至極残念である。
「たちあがれ日本」党名、ガンダムから?(読売新聞) - goo ニュース
私にとってはもうどうでもいい党ではあるが、ついでにもう一言言っておくならば、
「たちあがれ日本」という党名の由来が「機動戦士ガンダム」ということは絶対に
ありえない。石原慎太郎は2009年12月12日に公開された『宇宙戦艦ヤマト
復活篇』の原案を執筆している。キャッチコピーの「戦士たちよ、ヤマトに乗れ。
人類を救え!」「愛のために戦え!」からでも推察できるように、物語は今時珍しい
極めてマッチョなもので、艦長にぶたれて「殴ったね」と文句を言い、更にぶたれると
「2度もぶった。親父にもぶたれたことないのに」と文句を言うような“女々しい”
主人公の作品を見る訳がないし、そもそも「機動戦士ガンダム」に限らず「新世紀
エヴァンゲリオン」のような“難解”な作品を石原慎太郎は知らないと思う。