何日か前に日経新聞にコロナ禍ではなくコロナ下と書いてあるのを見つけた。
今日の朝日新聞の一面にもコロナ下と出ている。
それで読売新聞を見たら広告のところでコロナ禍と出ていたけれど、本文はコロナ下となっているようだ。
やっぱりコロナ禍という表記からコロナ下という表記に改まっていってるのだと思う。
本当にコロナ禍 の禍(わざわい)という字を見るたびにいやだなと思っていたので、できればコロナ下に改めて行ってほしいと思う。
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大学の医学部の定員に、感染症枠を設けるという話が新聞に出ている。
長年、予備校に勤めていた経験からくる直感なのだけれど、こういう時勢に乗って作った定員って、時勢が変わると結局、元の木阿弥になることも案外多い。
今回はどうなるのだろう。
まあ、医学部には縁のない僕にとってはどうでもいい話だけれど。
でも、もし、僕がまだ若くて医学部を目指すほど頭がよかったとしたら、こういう時勢にのった定員枠で入学することには案外、慎重になるような気がする。
時勢の流れによって有利になるかそうでないか読みきれないから、、、。
時勢の流れではなく、逆に、ある意味、時勢を作る目的で作られた、法科大学院が結局あまりうまく機能しなかったことを思い出してしまう、、、。
まあ、理系と文系を比較するのはあまり意味のないこととは思うけれど、、、。
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裸の王様 というアンデルセンの童話あったと思う。
あれって、本当は王様は裸だけれど、みんな怖くてそれを口にできない。
なので、みんな王様のお召し物は素晴らしいと口々に言っている。
ところがある少年が「王様は裸だ」と叫んだのをきっかけに、みんなが「そうだ、王様は裸だ」と口々に言い始める。そんなストーリーだったと思う。
新聞に、パラリンピックで使うある球技の球を手袋をはめて扱う大会関係者の写真が出ている。
手袋をして、道具を扱う、お金をトレーに入れて受け渡す、そんなこと意味あるのだろうか。
実は、もう大半の人が、そんなこと意味ないと思っている。
でも相手は、目に見えないウイルスだから、もし、「あんなの意味がない」と言っても、もしそれで自分が感染症になったり、あるいは同じグループから感染症が出たりしたらとても責任がとれないから、怖くて口にできない。案外、それが現実なのではないかと思うようになってきた。(個人の感想です)
なにかのきっかけで、あんなの意味ないという声がむしろ、多数を占めるという時がくることも十分にありうるのではないか。
そんな気がする。
とはいっても、こういうことは結局、時がすぎるのを待つしかない。
いい方向に時が過ぎていくようにと願っている。
そして、いちにち、いちにち、無事で過ごせますように、それを第一に願っていきたい。