ケンのブログ

日々の雑感や日記

降り続く雨

2021年08月20日 | 日記
雨のせいで気温が低くなっている。

新聞の天気図を見ると前線はなくなっていて、本州には低気圧が来ている。

なんしか、雨であることには変わりない。

雨のせいで気温が低くなって夜、窓を開けると秋の虫の声が聞こえる。

そんな季節だなと思う。

まあ、秋分の日辺りまではいつ暑さがぶり返すかわからないけれど。

ぶり返すと言って思い出したけれど、歌手というかタレントの近藤真彦さんが若い頃、歌謡ベストテンというような番組に出ていて、一度下がった順位がまた上がったことがあった。

近藤真彦さんが「また、順位がぶり返しました」と言ったら、黒柳徹子さんに「あなた、そういうときにぶり返すとは言わないわよ。かぜがぶり返すとかはあるけどね」という感じで突っ込まれたいた。

そういえば近藤真彦さんは美空ひばりさんに向かっても「おばちゃん、歌うまいんだねえ」と言ったとかいうエピソードがあったと思う。

スターのエピソードってどこまで本当かわからないけれど、、、。

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空を見ると月が出ている。

ちょっと近視の僕の目には満月に見えるので月齢を見ていると11.5になっている。

かなりふくらんだ月であることに変わりはない。

雲の合間にみえる月もいいものだなと思う。

月にちなんだ岐阜県民謡郡上節の歌詞。

“”天のお月様 つんまるこて丸て 丸て角のて そいよかろ“”

つんまるこて というのは字数合わせの掛け声のようなもの

なので歌詞の意味は
天のお月様は丸くて角がなくてそいよかろう ということになる。

まあね、
丸くて角がなくてそいよければ、人にもてると思うけれど、なかなかそれを実行するのは、、、。

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卒業した中学校のグラウンドを眺めてみる。

僕が在学していた45年ほど前とそれほど変わってない。

僕が在学時すでに鉄筋校舎だったこともあると思う。

しかし、グラウンドがなぜかとても小さく見える。

なぜだろう。

在学当時は、そのグラウンドで走る友達がいて、野球のボールを投げる友達がいて、バレーボールをする子もいたりして、そういう心象風景の中でグラウンドを見ていたから今よりもグラウンドが大きく見えたのだと思う。

なくなった、村下孝蔵さんの初恋 という歌の歌詞に

“”放課後の校庭を走る君がいた

遠くで僕はいつも君を探してた“” という一節があったと思う。

そういう心象風景をなつかしく思う男は意外と世の中に多いような気がする。

村下孝蔵さん、そんなにヒットナンバーの多い人ではないように思うけれど
それでも、初恋という歌を思い浮かべると佳人薄命だなと感じる。

それはともかく、いちにち いちにち、無事で健康に過ごせますようにそれを第一に願っていきたい。




コロナ禍よりもコロナ下

2021年08月20日 | 日記
僕は新聞でニュースを見ることが多いので情報が遅れている。

けれど、今日の新聞の天気図も前線が本州に停滞している、そして、今日も雨模様だった。

今日も雨。

長崎は今日も雨だった という歌が昭和の時代にヒットしたけれど、歌の世界なら今日も雨というのもひとつの情景として受け入れられる。

しかし、現実にずっと今日も雨 と続くと、やはり不安になってくる。

地盤が緩んで事故が起きないか、川の増水は大丈夫かなど、漠然と思ってしまう。

無事であるようにと願っていきたい。

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ずっと、ここ一年以上、新聞にコロナ禍という文字を散見することが気になってきた。

コロナ禍って コロナか と発音するので文字にせず音だけ聞いているとコロナの下、とかコロナの状況下という意味合いに聞こえる。

どういう経緯でコロナ禍という言葉が生まれたか知らないけれど、新聞もそれを慣用的に使ってきたから、いまさら引っ込みもつかないという側面もあるのではないかと思う。

しかし、コロナ禍の禍って訓読みすると「わざわい」となる。

それはコロナはいろいろ生活の制約もできてしんどいけれど、それを禍(わざわい)と書いていたら、より一層しんどくなってしまうように思ってきた。

それに、コロナも含めて、現れてくるものを禍と捉えるのは、個人的に、よくないことのように思う。

一般的には禍と思われていることを辛抱して成長していく人もいるわけだし、、、。

そうしたら、今日たまたま日経新聞にコロナ禍ではなくコロナ下と書いてあるのを見つけた。

コロナ下も音にして読んだらコロナ禍と同じ コロナか になるけれど、コロナ下と書くと漢字の意味としてもコロナの状況下という意味合いになるのでこちらの用法のほうがいいと感じる。

できれば他の新聞も日経の書き方に習ってほしいものだとおもった。

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夏の甲子園が雨天で中断を重ねながらも始まっている。(気づくと県立岐阜商業はすで敗退していた)

僕は甲子園なら甲子園というキーワードでいろいろ連想が膨らんでいくタイプだ。

まず、甲子園というと、歌ならば古関裕而さんの「栄冠は君に輝く」を思い浮かべる。

そして、ブラスバンドの演奏する応援歌ということなら、僕の世代ということもあるのだろうけれど、今、文化庁長官をしておられる都倉俊一さんが作曲された、「サウスポー」(ピンクレディ)と「狙い撃ち」(山本リンダ)を思い浮かべる。

それにしても、都倉俊一さん 甲子園のブラバンの定番曲が二曲もあるなんてすごい。さすが文化庁長官。(文化庁長官とは関係ないか。。。)

でも、ブラバンの定番曲になるということは、きっと曲がしっかりしていると言うことだと思う。

そんなことを考えたいたら、高校野球に限らず、プロ野球も含めて、バッターの応援にブラバン、(プロ野球の場合ブラスバンドと言うよりも私設応援団なとの方がトランペットを吹いているというイメージだけれど、、、)が演奏していた歌を色々と思い出した。

例えば背番号8の読売ジャイアンツの原辰徳さんのときには「エイトマン」というアニソンが演奏されていた。

エイトマン 勇壮なかっこいい歌だなと思う。

背番号7の中日ドラゴンズ宇野選手のときには「ウルトラセブン」の主題歌だったっけ。

この歌も勇壮で、ウルトラマンシリーズの主題歌の中では一番好き。

そんなことを考えたいたら、どういう由来で演奏されていたかは知らないけれど、中日ドラゴンズに所属していた当時の落合博満選手のときは「マグマ大使」の主題歌が演奏されていことを思い出した。

落合選手の現役時代、このマグマ大使の歌が演奏されるたびに、これは曲が壮大過ぎてバッターの集中力をそぐのではないかと思っていた。

別の曲にしたらいいのに、、、と。

あの「マグマ大使」の歌が壮大過ぎて集中力の妨げになるので中日時代の落合さんはいいところまで行ってもなかなか三冠王というところまではいかないのではないかと本気でおもっていたことがある。

今日、たまたま、そのことを思い出して、あのクラシック音楽の壮大さを思い起こさせるような「マグマ大使」の歌の作曲者はどなただろうと思って調べたら、山本直純さんとなっていた。

なんか、心のなかでとても納得してしまった。

そうか、あの壮大さは山本直純さんの世界だったのかと。

それで思い出したのだけれど

“”大きいことはいいことだ
森永エールチョコレート
美味しく食べて
50円とはいいことだ
森永エールチョコレート“”
というコマーシャルソングも山本直純さんだったことを思い出した。

あのコマーシャルにはたしか山本直純さん自身も出演していたように記憶している。

それにしてもチョコレートのコマーシャルソングにも昭和の高度成長期の勢いというか夢があったものだなしみじみと思ってしまう。

あの日に帰りたい と思っても帰れるわけではないけれど、せめて、ささやかな希望だけは持ち続けていたいものだなと思う。

最後まで残るのは愛と希望と信仰 と言ったのは確かパウロだったと思う。

そういう言葉を支えにしていきたいものだなと思う。

それはともかく いちにち いちにち無事で健康にすごせますように それを第一に願って生きたい。


雨続きの日々

2021年08月18日 | 日記
新聞の天気図を見ると素人目には梅雨前線と区別がつかないような停滞前線が本州にかかっている。

なんの説明もなく天気図を見たら梅雨の天気図と思ってしまいそう、、、。

そんなわけで今日も断続的に雨が降っている。

例えば、太陽光パネルは日本では、山肌を削ったり、田畑を潰して設置することが多いということは本で読んである程度知っていた。

ただ、僕はずっと都会生活をしてきたので、そういう様を目のあたりにすることはあまりなかった。

いま、岐阜県に戻ってきて、自動車で走っていると、太陽光パネルが目につく。

やはり、本で読んだように、山肌を削っている場所も散見する。

そういうのを目にした上で、今回の、雨続きで、川が増水しているのを見ると、やはり、山肌を削っても大丈夫だろうかという不安が都会にいた頃よりもリアルになってくる。

自然破壊がもたらすツケというものをもっと真剣に考えなければならないところに来ているのだと思う。

本当はそういうことをいわゆるエリートの人が率先して考えなければならないのだとおもうのだけれど、いまは、経済がしんどいので、エリートの人も、脱炭素とか再生可能とかいうスローガンに乗って、経済的に乗り遅れないようにするのに必死でそこまで考えるゆとりが無いのだと思う。

ただ、個人的にできることといえば、単にもうかるからとかいう理由で、安易に太陽光パネルなどというように考えないように気をつける、ということは可能だと思う。

実際に、太陽光パネルの耐用年数が経過したときの、廃棄物の処分とかそこまで考えると本当に長期的に見て、もうかるのかどうかもわからないような気がするし、、、。

戦争も経済的なゆとりがなくなったときや、エネルギー源の奪い合いなどが生じたときに生まれやすいと思うけれど、そういう意味では、今の世界も戦争に近いような状態なのかもしれないと思うことがある。

実際に、戦争などということにならないように、祈っていきたいと思う。

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大阪に隣接する兵庫、京都も緊急事態宣言という新聞記事を読むと先月まで大阪にいた僕は、なんともやりきれない気持ちになってくる。

コロナが収まるのが先か、人が、コロナと共存する気持ちというか心構えを持つのが先か、わからない状況になってきているのではないかと個人的には感じる。

とか、言っていてもこればかりはなるようにしかならない。

その時、そのときの現状を見ながら、自分なりにとるべき行動を考えていきたいと思う。

ある程度の、ガイドラインはあっても、絶対的なロールモデルなどない状況と思うので、、、。

それはともかく、いちにち いちにち、無事で健康に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。



8月も半ばを過ぎて

2021年08月17日 | 日記
久しぶりにコンサートホールに問い合わせをして、届いた封書にいろんな事が書いてある。

会場では検温を実施します。

演奏のあとのブラボーはお控えください。

37.5度以上の熱がある場合のご来場はお控えください。

そのほかにもいっぱい書いてある。

本当に真面目に読んで一つでもクリアできない条件があればコンサートホールに行ってはいけないとガチンコで考えてしまったら、コンサートに行けるのはいつのことやらと気が遠くなってしまう。

最終的な判断は個人の自己決定に任させると思ってある程度、気楽に考えるという思考というか志向も身につけなければ、どこへもいけなくなってしまうなと思う。

不謹慎な書き方かもしれないけれど、これだけコロナが長引いて、いろいろ紙に書いてある条件を読んで、そのとおりに自粛してしんどくなってしまって、責任を誰かに転化するくらいなら、少しは思い切って行動してみるということも必要なのではないかと思えてくる。

一年間くらいは、そういうものだと割り切れたけれど、最近はちょっと自分の意識もかわってきているように思う。

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自粛ムードの中、せめて心の中だけでもお盆の気分にと思って岐阜県民謡郡上節の歌詞を見ていたらこんなのがあった。

“”思うことさえ言われぬ口で 嘘がつかれるはずがない“”

あの人、無口なのに、あんな大胆な嘘つくの?と驚いてしまうことも私達は経験すると思う。

しかし、一般に無口で口下手な人は、案外、嘘が苦手て正直な人が多いというのも事実

ネットを中心に、ハッタリのような宣伝が多い世の中、

思うことさえ言われぬ口で 嘘がつかれるはずがない

という歌詞を見ると、本当に私達が忘れていた、素朴な経験則というものを思い出させてもらっているような気になる。

こういう経験則が役に立つ世の中がつづいてほしいものだなと思う。

こういう歌詞の一般則的なものをもっと突き詰めて教えというレベルに高めると

“”口先の ついしょばかりはいらぬもの しんの心に 誠あるなら“”
という中山みきさんのお筆先のような言葉になるのだと思う。
※ついしょ は追従で、こびへつらうものの言い方ということです。

“”しんの心に誠があるなら、口先の追従(ついしょう)はいらない。“”

こういう教えは時代が変わっても変わらないものだと信じていきたい。

それはともかく いちにち いちにち 無事で健康に過ごせることを第一に願っていきたい。










降り続く雨

2021年08月16日 | 日記
雨も昨日の午後にやんだとおもったらまた降っている。

今日の夕刊に載った天気図を見るとまるで梅雨のときのように本州の南に前線が停滞している。

異常気象のようにも思える。

新聞に京都 兵庫という大阪に隣接した府県に緊急事態宣言を出そうという案が浮上していると出ている。

本当に、またこのパターンかと思ってしまう。

7月上旬まで大阪にいたので、その時の気持ちが心によみがえってくる。

本当に、関西の人はどんな気持ちだろうかと思う。

といいつつ、岐阜でもいつどんな宣言がでるかもわからないから、いやだなと思う気持ちにはかわりないけれど。

日付を見て、今日は京都の五山送り火の日だなと思い出す。

せめて心のなかでお盆の気分を味わいたいと思う。

いちにち いちにち 無事で健康に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。