ケンのブログ

日々の雑感や日記

平穏な世の中に

2019年09月21日 | 日記
台風の進路予想はいまのところ僕がすんでいるところは
ちょっと外れそうになっている。
昨日、ちょっと薬局の店員のかたに挨拶したときに
台風が来ていますよと言われて台風の接近を知った。
テレビをほとんど見ないのでこういう情報が遅れがちになってしまう。
埼玉の方で義理のお父さんが小学生の息子を
殺害してしまったという容疑で逮捕されたというニュースが出ている。
容疑者の供述として義理の息子に注意したところ
本当のお父さんじゃないのにと言われて頭にきてしまったというようなことが
報道で出ている。
するともうネットには
本当のお父さんじゃないと言われてくらいでというコメントが
たくさん出ている。
それはその通りだと思う。
捜査段階の供述にあれこれいうのも不適切かもしれない。
しかし、もし容疑者のかたが言っている通り
義理の息子に本当のお父さんじゃないのにと自分が
言われたらどうだろうと考えてみた。
子供のいる女性と自分が再婚する
その女性の子供に注意して
本当のお父さんじゃないのにと言われたとしたら。
ぼくだったら「本当のお父さんじゃないのに
注意してごめんなさい。僕が悪かったよ」とはとても
9才の男の子に言えないと思う。
やはり「生意気なこというな」とどなりあげるか
あるいは平手でほっぺたを打つくらいするかもしれないと思う。
殺すことはまずないとおもうけれど
少なくともまったく怒りの感情が自分には
わかないだろうという自信はない。
八王源先生が口癖のようにおっしゃってたことがある。
殺人はもちろん殺す方は悪い。
でも殺される方もそれだけ相手がカーッとなってまうようなことを
言ったりしたりしたんやからね。
そういう事件を見て人がカーッとなるようなことを
言ったりしたりしないように気をつけんとあかんよ。と。
まだ捜査の段階で事件にあれこれいうのは
事件の関係者のかたに失礼かもしれないけれど
こんなこと機会に八王源先生のことを思い出した。

新聞の社会面を見ると
大学 短大の無償化の対象になる学校が
全体の97パーセントにも上ると出ていた。
僕の親は戦前の生まれなので
よく親から あの人は頭がよかったけれど家が貧乏やったから
学校へやってもらえなかった という話を聞かされた。
僕が学校へ進学する頃にはもうそんな言い回しは
かなり死語のような言い回しになっていた。
そして一定所得以下の人には大学 短大の無償化ということに
なってくるとますます家が貧乏で学校へ行けないという
ケースは減ってくるのかなと思う。
ただそれと引き換えに進学率の上昇により高等教育がそれほど
高等教育でなくなってしまう可能性も高くなってくるように思う。
一部、高等教育を受けた人がそれに誇りと責任をもって
社会の指導的立場についていくという世の中と
みんなが高等教育を受け
あとは世の中に出ていっせいに競争していく
という世の中とどちらがいいのだろうと最近思うことが多くなった。
まあ、それは答えのない問いではあるのだけれど。