ケンのブログ

日々の雑感や日記

年末年始のあれこれ

2024年01月03日 | 音楽
昨年末は 年末恒例の ベートヴェン第九。

第九を年中行事のように聴きに行くなんて と思いながらも成人してからは第九を聴きに行った年の方が聴きに行かなかった年よりも多いような気がする。

今年は 名古屋フィルと 京都市交響楽団と二つの第九を聴いた。

名古屋フィルの方は川瀬賢太郎さんの指揮。
名古屋金山のフォレストホールというところで聴いた。

金山に行くのは数回目だけれど ちょっとディープな街だなと思う。

でも ディープというなら 大阪の天王寺界隈とか 名古屋なら今池界隈の方が僕はちょっと好きかなと思う。

個人の好みの問題だけれど、、、。

名古屋フィルの第九。

よかった。

けれど一楽章 二楽章は 迫力があるなと思う反面 ちょっとせせこましいかなと思う場面もあった。

ちょっとせせこましいかも と思い始めたころに 第三楽章のゆったりした音楽が始まり せせこまし感を覚えなくなり ベートーヴェンが従来シンフォニーでは第二楽章にもってこられることが多かった緩序楽章を第三楽章に持ってきた意図はこんなところにもあるのかも と思ったりした。

もちろん これは ベートーヴェン自身、意図しなかった意図かもしれないけれど、、、。

意図しない意図まで生まれてしまうところが ベートーヴェンはやっぱりすごいなと思う。

そして 意図しない意図まで生まれてしまうから それが新たな気づきや感動を呼び 200年も演奏され続けるのだと思う。

いつかN響のコンサートマスターの篠崎さんが、「天からのインスピレーションがなければ100年も演奏される音楽はできない」 というような主旨のことを語っておられるのをネットの動画サイトで見たけれど 本当にその通りだなと思う。

京都市交響楽団の指揮は大友直人さん。

大友さんが京都市交響楽団の音楽監督をされていた時は ちょっと地味で物足りないかもと思ったこともあったけれど 昨年末に聴いた第九は本当によかった。

もう 演奏会からかなり経過してしまったけれど 端正な演奏という印象を持った。

指揮の動きは大きくはないけれど 小さい動きの中から発する気が オーケストラによく伝わっているなと思う場面が何回かあった。

何楽章かというのは忘れてしまったけれど 通常、音をつなげぎみに演奏するところで 音を 切るというよりは あえて つなげずに演奏するような場面も何度かあったけれど そんな時は コンサートマスターの方が うまくイニシアチブをとっておられるなと思った。

オーケストラを見渡しながら演奏を聴いていると ベートーヴェンは本当にオーケストラのすべての楽器のすみずみにまで意識を働かせてこの曲を書いたんだなという気持ちが心に湧き上がってきた。

ここ10年くらいの間に聴いた第九の中で 昨年末の京都市交響楽団の演奏は僕にとっては最高だったかもと思った。

京都コンサートホールに行くとき 地下鉄の烏丸線 北山に電車が近づいた時「京都コンサートホールは北山が最寄り駅です」というような車内アナウンスがあった。

あれ? 聞き覚えのある声だぞと思った。

誰の声だろう と思って 考えを巡らせたら あの ちょっとハイトーンのだみ声は 広上淳一さん?と思った。

まあ あの先生なら たのまれたらやりそうなことだし、、、。

もちろん 京都市交響楽団や京都地下鉄に電話して あの声は誰かと取材したわけではないので 広上淳一さんかどうかは わからないけれど。

でも 広上さんに似た声だなと思った。

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12月28日に自宅近くの山寺にお札を納めそして 受けに行く。

本堂の前でお線香をたいていたので その煙を 思い切り頭に刷り込んでいたら 男の人が 戻ってきて 僕と同じように 身体に線香の煙をなすりつけ始められた。

すると その人の子供が来て「お父ちゃん僕には はよ行け 言ったくせに 自分はまた戻ってきてやってるやないか」と言った。

まあ ありがちな話だけれど こういうお父さん 僕は好きだなと思う。

正月は二日連続で 地震やら衝突やら悲しいことがあったけれど 

それでも いちにち いちにち 無事でありますように それを第一に願っていきたい。













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