ケンのブログ

日々の雑感や日記

脱炭素社会 スニーカーダンサー

2022年05月30日 | 日記歌入り
新聞に脱炭素社会で太陽光発電を推進するということが書かれている。

太陽光発電が脱炭素という言葉とセットで語られることが多い。

太陽光発電設備は緑を破壊して作られることがおおい。

緑は光合成によって二酸化炭素と水から 有機物を合成する。

つまりその限りでは空気中の二酸化炭素を消費する。

おまけに その過程で動物にとっては大切な酸素も生み出してくれる。

これは、中学校でも習うことだと思う。

植物を破壊する行為を脱炭素というスローガンで推進するのは言葉の使い方が無茶苦茶だと思う。

いや 脱炭素とは 二酸化炭素を光合成で消費することではなく そもそも二酸化炭素を発生させないことだ と言い訳するのならば それは屁理屈ではないかと思ってしまう。

本当に最近 屁理屈のような論理が多いなと思うことがある。

それに気づいている人は多いのだと思うけれど 戦争がいけないとわかっていてもなかなかやめられないのと同じで もう世の中が脱炭素で経済を回していくという流れになっているので山本リンダさんの歌ではないけれど 社会の上層部の人も含めて「もうどうにもとまらなく」なっているのだと思う。

というか社会の上層部の人がどうにもとまらなくなって 脱炭素で旗を振っているので 一般市民は もうそういうものだと思いながら槍をもって突っ込んでいくしかない そんな感じなのだと思ってしまう。

どこかでみんな思いなおさないと 本当に人類にとってとりかえしのつかないことになりそうだと思う。

きっとそう思っているのは僕だけではないと感じる。

イギリスのジョンソン首相が何かの機会に 「国民の教育水準が低くなると民主主義は成り立たない」という主旨の発言をされていた。

脱炭素という言葉の使い方は おかしい と多くの人が気づくべきだと思う。

ただ、気づいたところで 何かいい発電方法があるのかといえば その返答には困ってしまうのだけれど。

僕の知っているある人は 「それでも現状では 火力発電がもっとも安定した発電方法。
そのためにも 石油を 使い捨て商品などに安易に使わずに 燃料としてのみ使うようにして節約することが大切」

という主旨のことをおっしゃっていた。

僕も 現状はその通りだなと思う。

個人的なことでも 世の中全体のことでも なかなか紙一重のことが思うようにならない現実があるなと思う。
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岐阜の地方紙に 岐阜県の平野部から見た御岳山と 伊吹山の写真が出ている。

こうして今 濃尾平野で毎日暮らしている目で見ると 見慣れた風景の写真 という気がする。

確かに岐阜は平野部でも山が身近に見えるなと思う。

■スニーカーダンサー
井上陽水さんの「スニーカーダンサー」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

1979年にリリースされた「スニーカーダンサー」というタイトルのアルバムのA面に針を下すと第一曲目がこの「スニーカーダンサー」でした。

快活なリズム。明るい、抜けるようなサウンド。すごい歌というか曲だなあと思いました。

「呼び止めないでおくれ 間違わないでおくれ
俺は不思議な動きをするけど 道に迷ってるのではない
俺はただのスニーカーダンサー」と歌詞にあります。

同じパターンのメロディが3回出てきますがいずれも歌詞は
「○○だけど □□ではない 俺はただのスニーカーダンサー」となっています。

ああでもない こうでもない ただのスニーカーダンサーだよ と井上陽水さんは言いたいのだと思います。

要するに ああだ こうだ と規定されるのが嫌なのですね。

規定されると何かが違う。

そういう思いを持つことって誰にでもあると思います。

手を入念に洗う人に 「お前 潔癖症だろう」と規定してかかると 規定された人は
「別にそうではないよ ただ、手を念入りに洗うだけだよ」 と言いたくなるでしょう。

陽水さんが 「別に○○ではない 俺はただのスニーカーダンサー」と言っているのと同じことだと思います。

ちょっと自信を無くしている人に
「君は自己肯定感が低いねえ」などと安易に規定してかかると 規定された人は
「別にそんなわけではない ただ ちょっと今は自信をなくしてるだけだよ」と言いたくなるのではないでしょうか。

井上陽水さんが「別に○○ではない 俺はただのスニーカーダンサー」と言っているのと同じことだと思います。

そう考えると 井上陽水さんのこの歌詞は 安易に 一般化してとらえられることに反発したくなる気持ちを 端的に代弁していると思います。

とても知的な歌詞ですね。

すごいことだと思います。

1979年当時もけっこうスニーカーって流行ってましたね。

僕の周りでもおしゃれな人は ちょっとアンクルの高いコンバースとか履いてました。

今も 例えば西宮や名古屋の芸術センターの前の広場でスニーカーを履いて踊っている人って居そうな感じですね。

お店にはスニーカーが所狭しと並んでますし。

そう考えると1979年の歌でも古さを感じません。

むしろ 新鮮なくらいです。

いい歌だなと思います。

↓井上陽水さんの「スニーカーダンサー」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで録音しました。

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