ケンのブログ

日々の雑感や日記

三月二十五日

2018年03月25日 | 日記
夜は少しだけ寒いと思うもののやはりもう春だなあと思う。
桜の花は僕のすんでいるマンションの下は咲くのが早くてもう満開に近い。
自宅’最寄り駅前の桜はまだ三分咲きという感じだ。
同じ地域の桜でも場所によって咲き具合が違うし
同じ場所の桜でもやはり個体差がある。
ある方の本を少し読んでいたら私は家でデンキもパソコンもない生活を
送っているがちょっと電車に乗ったりすると多くの人が
鉛やヒ素カドミウムや水銀などの付加されている板状のもの(スマホ)を
見つめ続けている。
皆が板状の小さなIT機器を見つめ続けることで人としての会話のなくなった
社会のありかた、その行き着く先に何があるのか。。。
という主旨のことを書いたおられた。

市民交流センターに来てタバコ吸い場でタバコを吸っていたら
僕より少し遅れてやってきた女性がスマホでずっとゲームをやりながら
スマホと同じ手に器用にカンコーヒーももってタバコを吸っておられた。
タバコを吸うときくらいリラックスしてタバコを吸うことに集中したら
いいのにと思うのだけれど、リラックスの仕方も人それぞれと
いうことなのだろうか。
タバコを吸う場所でタバコを吸うもの同士ちょっとした
会話になることもあるのだけれどスマホでゲームをやっておられると
ゲームの邪魔になってもと思いとても話しかけるきにはならない。
相手が男であっても女であったも若くても年配であっても。
スマホのゲームって僕はまったくやったことがないけれど
ちょっと画面を見ると昔のパックマンやインベーダーのように
ゲームの最中はきの抜けないものが多い。

先日あるおじさんとタバコを吸う場所で一緒になって
そのおじさんは「こうやってちょっと気分転換にタバコを
吸おうっていう気持ちになるのがある意味健康な証拠ですよ
体が悪かったらとても吸う気になりません」とおっしゃった
僕は「昔は今日も元気でタバコがうまいという宣伝文句でしたよね」
と言おうと思ったけれどやめた。
国が受動喫煙撲滅に躍起になっているときに国家反逆的なことは言わない方が
いいと思って。
そのかわりに「まあ、そうですね」と言った。
でも非科学的かもしれないけれどおじさんのいうような
身体の感覚を大切にするのが案外正解かもしれないと思ったりする。
僕もタバコは吸うけれどこれだけ建物のなかは禁煙というのが普及してくると
おのずと本数は減る。
それもまたきっといいことなのだと思う。
なにごともできるだけいいようにとっていきたいとは思う。
しかし、スマホが普及してから確かにとても多くの人が
車内でスマホの画面を見つめ続けているなちょっと異様な光景だな
と思うことは僕も時々ある。
車内でたまたま乗り合わせたもの同士話をするということも
昔に比べればほとんどなくなったように思う。
松屋の自動販売機でおばさんがもたついていたので
僕がちょっと手助けをしたけれどなかなかうまくいかない
仕方がないので「一度取り消しボタンを押してもう一度
最初からやりなおさはったらどうです?」と僕が言った直後に
もう食券は券売機のしたに出ていることがわかった。
僕が「あ、もう食券ここに出てますよ」と言うと
おばさんは「あれえ、ほんまや、出てるわ。ありがとうございます」とおっしゃった。
僕もボタンの操作をおばさんに教えることに夢中で食券が出ていることには気づかなかった。
本当に自動で効率化の時代だけれど自動をうまく使えないときには
あるいはうまく使えない人には受難の社会だなと思う。
僕もコンサートやイベントのチケットを買うときネット通販は
ちょっといやだなと思う。
それでコンサートのチケットは極力窓口に直接買いにいく。
自動システムを導入する人は自動が使いこなせない方への
配慮も常にしていただきたいものだなとしみじみと思う。
自動が使いこなせてあたりまえという考え方は
ちょっと怖いと思うしそれではきっと通用しないと思う。

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