ケンのブログ

日々の雑感や日記

非常ドアコック

2024年08月27日 | 日記
先日尾張、三河、美濃地方を代表する大手私鉄の電車に乗った時、めずらしくかなり混んでいた。

僕はドア付近に立ったのだけれど、ドア付近も人がいっぱいだった。
通常ドアの左右には垂直方向の取っ手があってそこに捕まれるようになっている。
しかし、ドア横にはフィリピンの女の子が二人立っていて、ドア横の取っ手を握ると女の子の身体にも触れてしまうという状況だった。

それで僕はドア横の取っ手にとまるのをあきらめた。
でも電車は結構揺れるからどこかにとまったほうが無難だ。
見るとドアの上に小さな円形のつまみがあったので、そこを指先でつまんでとまった。
ちょっとしたつまみにとまるだけでも体の揺れを食い止めることができるのは僕の特技だ。特技ってちょっと大げさかもしれないけど、、、。

それでしばらくそのつまみにとまっていたのだけれど、気づくとそこには非常ドアコックと書いてある。
開いたら大変だ。もし間違って電車を停車させてしまったら場合によっては過失で罪を問われることにもなりかねない。

僕は小声で「しまった、非常ドアのコックや」と言って、それからフィリピンの女の子に「ごめんなさい、エクスキューズミー」と言ったら女の子も状況が分かってくれたらしくて、ドア横のスペースを少し開けてくれて僕がドア横の取っ手につかまれるようにしてくれた。

でも、僕のどこが受けたのかはわからないけれど、それからしばらく女の子が二人で話をしながらクスクス笑っている。
それで二人のうち髪が長くて多い方の女の子が微妙に僕に身体を近づけてくる。
その近づけ方が絶妙で身体は触れないのだけれど 彼女の髪がわずかに僕の腕に触れるような近づけ方をしてくる。

髪がすこしだけ身体にふれると、ちょっと、こそばゆい。
僕が自分の身体をひねったりしながら彼女の髪を避けようとすると面白がって何度も同じことをしてくる様子だ。

僕はとうとうこらえきれなくなって 顔を覆ってしまった。

女の子にそんな風にからかわれている自分ががおかしくなって、笑ってしまったことを周囲にばれないようにするために顔を覆った。
でもフィリピンの女の子は僕がなぜ顔を覆ったのかわかっているようだった。

僕はしかたなくドア横の取っ手から手を放して女の子から身体を少し離してドアの窓ガラスに自分の手のひらを吸盤のようにくっつけた。
つり革に止まれないときにこの方法も僕は結構使う。これもちょっと特技と言えるかもしれない。

そこまですると、女の子は髪がふれるほどには近づいてこなくて、もう関係ない人として僕のことを扱ってくれた。
まあ、引き際を誤ると女性の場合、身の危険もあるし。

でもああいう感じで女の子にからかわれるのは悪い気分ではないなと思った。

それはともかく一日いちにち無事に過ごせますように。
電車のドア横左右の取っ手
非常ドアコック

京都市交響楽団定期演奏会を聴きに行く(第692回)

2024年08月27日 | 音楽
8月24日京都コンサートホールに京都市交響楽団第692回定期演奏会を聴きに行った。

指揮は広上淳一さん

マーラー交響曲第3番が演奏された。
 
録音もあまり聴かない曲だけれど、演奏を聴きながら僕の心はマーラーの交響曲第2番 4番 5番の3曲のイメージをあちらこちら行ったり来たりしている感じだった。

たぶんマーラーは同じ素材をいろんな曲に形を変えて使うので僕の心の中にあるマーラーの交響曲の記憶がそうさせたのだと思う。

第一楽章を聴いていて最も心にとまったことはビオラのトレモロが美しいということだった。

コクがあって精緻というように僕には思えた。

僕はオーケストラのあちこちに目をやりながら演奏を聴くことが多いけれどあれほどビオラが心に留まったことはそれほど経験がないように思う。

それで、ああ、トレモロがきれいだなと思いながら聴いているとビオラだけでなくバイオリンのトレモロもきれいということに気付いた。

低音の弦の音が鳴ると僕の目は思わずコントラバスの方に行ってしまうことが多いけれどマーラーのこの曲だとチェロにもコントラバスにも均等に目が行く感じだった。

音楽の専門的なことはわからないけれど、マーラーがおのおのの楽器の特色が際立つように音楽を書いていることにも起因するのではないかと思った。

いろんな楽器に比較的均等に目が行くというのは管楽器にも言えることで、きっとマーラーは弦楽器でも管楽器でもそういう音楽づくりをしたんだなと思った。

おのおのの楽器の活躍度が素人目にもわかるように音楽ができているというのはきっとマーラーは指揮者としての経験が豊富ということにも起因しているように思う。

京都市交響楽団の管楽器はとても美しくて、木管が歌曲的な旋律を奏でるような場面ではそれまで続いていた音楽の緊張が解けて本当に夢を見ているような気持だった。

このような印象は第一楽章だけでなく曲全体を通じて僕が抱いたものだった。

第五楽章で合唱が出てきたけれどこの時も第四楽章のちょっと重い霧が晴れるようだなと思った。

この合唱でボーイソプラノというか女子高生というか(第一楽章が終わって、合唱団が入ってきたとき、「あっ女子高生だ」、と思いその印象が心に刷り込まれてしまったので女子高生かボーイソプラノかわからないけれど要するにボーイソプラノのパート)が僕の耳には「ビン ボン バン ボン」と聴こえるような一定の音階を繰り返す場面があるのだけれど、そこがとてもクリアで打楽器のように叩く感じ そして弾む感じがとてもよく出ていて秀逸だなと思った。

演奏が終わった後、合唱団を指導されたと思しき方がステージに出てこられたのだけれど なんとなく、そんなところを丁寧に指導しそうな感じの方でちょっと心がほっとしてしまった。

指揮者よりもオーケストラのあちこちを見ながら聴いていた僕だけれど曲の終盤になると指揮者にも目が行くようになった。

それで思ったことは指揮の広上淳一さん、いつものようにダンスをするように指揮されている。

それで広上さんはダンスをするように指揮されているのにオーケストラから出ている音は結構シリアスな場面も結構あり、指揮者の動きとオーケストラの動きが素人目にはこれほど異なるようにみえることも珍しいなと思った。

僕が思うには、指揮者とオーケストラの関係が長いから素人目にはわからないつながりというのがあるのだと思う。

あと、一見ダンスをしているようで その中にかなり細かい振動も入っていたりするからオーケストラの方はそういう部分までキャッチしながら演奏されているのかもとか想像しながら演奏を聴いていた。

いい演奏会でよかった。
帰りに阪急に乗ったら浴衣姿の人を結構見かけた、24日って関西では一般に地蔵盆の日だからあるいは沿線で何かお祭りがあったのかもしれないと思う。

それはともかく一日いちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。