ケンのブログ

日々の雑感や日記

白鵬の断髪式にちなんで

2023年01月30日 | 大相撲
1月29日付の読売新聞に 白鵬が断髪式をしたという記事が出ている。

記事には 読売ジャイアンツの原監督が白鵬にはさみを入れる写真が出ている。

やはり 読売新聞だからだろうか?

きっと そうだと思う。 わからんけど、、、。

その 写真を見て 原監督が ある年のジャイアンツのキャンプで 「世間は白鵬の張り手をみっともないと言っているようだが はたして そうだろうか?」と選手に檄を飛ばすニュースが出ていたことを思い出した。

その記事を読んだとき 原監督の言い分にも一理あると思った。

それで 原監督のその言葉が 出てこないかと ネットで検索したら 原監督の言葉は見つからなかったけれど 日経新聞に掲載された 元大関魁皇の言葉が出ていた。

その 言葉の趣旨は “”魁皇の現役時代には 白鵬よりも 強烈な張り手をかます力士もいた。白鵬の(相撲の)取り方がそれほどひどい取り方とも思えない。 

また 張り手をする側からすれば 脇があいて そこを突かれる怖さがあるし かちあげをする側からすれば かちあげることで 背中が伸びてしまい そこを 突かれるおそれがある。 

白鵬に「張り手やかちあげにいっていったら 逆に そこを突かれて やられてしまうぞ」と思わせるくらい 強い当たりをするようにけいこする若手の出現を待望する声が出てこないのが残念」“”というものだった。

賛否があるのはともかくとして 現役時代 大横綱 貴乃花をまともに上手投げで 土俵に転がすのは 魁皇しかいない というほど怪力だった魁皇らしい言葉だなと思う。

ただ、 白鵬の優勝45回と記事に出ているのを見ると 北の湖の優勝24回とは11回の差があるけれど どちらがより一層 記憶に残っているかと言うと それは 僕の中では互角だなと思う。

時代が違うし 対戦相手も違うので 記録で比較することはできないなと思う。
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何日か前に 貴景勝が優勝インタビューで 義理の父 北天祐に言及していた。

それを 聞いて 記憶が頭の中で連鎖するくせのある僕は 北天祐から 兄弟子の北の湖 そして 北の湖と同時に横綱を張っていた輪島へと記憶が連鎖していった。

そして 北の湖 輪島の前に 二代横綱で時代を作った 北の富士 玉の海のことを 思い出した。

玉の海が 昭和46年名古屋場所で全勝優勝した時に 僕は叔父に連れられて愛知県体育館でそれを生で見ていた。

当時 僕は小学3年生だったけれど 「横綱玉の海 愛知県蒲郡市出身 片男波部屋」と場内アナウンスされると 愛知県体育館に怒涛のような歓声が上がったときの驚きを今も忘れることができない。

まだ 子供だったので 本当にあの時の愛知県体育館の歓声は地響きを伴うもののように僕には感じられた。

今も 当時と同じ 声の節回しで 力士の出身地が場内アナウンスされるけれど 郷土を通じてファンを拡大していく という相撲の手法は日本人が今後も大切にしていくべき考え方だと思う。

玉の海の全勝優勝が名古屋場所で決まった瞬間には 僕の頭の上を無数の座布団が飛び交っていた。

そして 僕の近くの席で見ていたおばさんが 「今日は蒲郡にとっては 日本一ええ日や」と大きな声で言っていたことをなつかしく思い出す。

昭和46年 大阪万博の次の年 まだまだ 日本が高度成長で希望に満ちていた時代だなと思う。

それで ネットで 北の富士 玉の海で 検索してみると 北の富士さんが 北の富士と玉の海が 同時横綱昇進を決めた 相撲について コメントする動画が出てきた。

二人同時に横綱昇進が決まる相撲のVTRを見終わった瞬間に 北の富士さんは感無量という顔つきだった。

しかし アナウンサーに 「この相撲を見てどんな思いですか」と問われると 「いやあ 僕は腰が高いね」と言って アナウンサーが思わず 軽く吹き出してしまった。

相撲が好きな人ならば 北の富士が現役時代に 腰高の欠点をよく指摘されたことは誰でも知っているので アナウンサーが 思わず吹き出してしまう気持ちは 僕にもよくわかる。

こういうときに 嫌味に聴こえない自然な自虐ネタで人を笑わせるのは 北の富士さんの得意中の得意。

それは 話が面白くて あの 顔だちならば しかるべき場所では さぞかし もてるだろうなと思う。

まあ 80歳近くになっても 解説の声がかかるのは モテている証拠だとは思うけれど、、、。

人のことをうらやんでも一文の得にもならないと思いつつ やっぱり うらやましいなと思ってしまう。

それは ともかく 一日一日 無事に過ごせますように それを 第一に願っていきたい。





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