雨模様のお天気。
ずいぶん暖かくなっているここ数日だけれど
今日はやや寒いかなと思う。
昨日タバコやさんの奥さんに「今日は寒いといってもまだましですね」と言ったら
奥さんは微妙な顔をしておられたので内心、僕の意見に同意しかねると
思っておられることはなんとなくわかった。
しかし昨晩は深夜になって確かに寒くなってきた。
タバコやの奥さんの感じ方が正解だったと思う。
今日も微妙に寒いけれどそれでも二月上旬にくらべれば
だいぶんましだなと思う。
しかし、僕は冬場はコンサートホールにいくとお客さんよりも
むしろ演奏する人と同じくらい薄着になってしまう体質なので
あまり自分の体感温度があてにならない。
こういう日はあまり人に暑いですね寒いですねは言わない方が無難かもと思ったりする。
ここ2、3日由紀さおりさんの夜明けのスキャットをユーチューブで
聞いていていやあ由紀さおりさんうまいなと感心している。
40年以上前のヒット曲がまたクローズアップされそれが
テレビで放映されその映像がユーチューブに何本もアップされることも
すごい。
これだけ由紀さおりさんが長く活躍できるのもやはり
基礎がしっかりできているのと、さおりさん自身の人柄
芸術的感性によるところが大きいと思う。
それに、歌っておられる姿が美しいと思う。
典型的なマイナーのコード進行をしていく曲なので
この歌は子供の頃から好きだった。
ただこの年齢になって音楽の知識が蓄積された上で聴くと
夜明けのスキャットとサイモンとガーファンクルのサウンドオブサイレンスとの
コード進行やメロディラインの類似性にはいやでも気づくことになる。
夜明けのスキャットを聞いた直後におもわずサウンドオブサイレンスを
口ずさんでしまった。
うん、似ているなあと思ってネットをみていると
夜明けのスキャットと検索するだけで夜明けのスキャット盗作という
検索候補が出てきてそこをクリックすると夜明けのスキャットは
サウンドオブサイレンスのパクリ、中国と一緒にされると困るから
外国でこの歌を歌ってほしくないというような主張が
展開されているサイトにヒットする。
盗作かと思う。
クラシックの世界ではメロディのパクリはいくらでもある。
ベートーベンの魔笛の主題による変奏曲は言うまでもなく
モーツァルトの魔笛の主題のパクリだ。
しかし、メロディの提示の段階でモーツァルトとベートーベンでは
すでに違う。同じメロディの音を一ヶ所変えるだけで
モーツァルト的なものがすでに
ベートーベンの世界になってしまう。
そこがベートーベンのすごいところなのだけれど
そしてそれはそのままモーツァルトのすごさでもある。
一ヶ所音を変えるともうモーツァルトの美しさは損なわれてしまう。
クラシックの場合、メロディもさることなららその後の展開
そしてハーモニーがむしろ作曲家のうでの見せ所なので
メロディをパクっても展開がすばらしければ誰も文句を言う人はいない。
実はベートーベンの交響曲第三番は変ホ長調。
その後リヒャルトシュトラウスという作曲家が英雄の生涯という交響詩を
書いたけれどこれも変ホ長調。
ベートーベンの英雄にあやかって英雄の生涯も変ホ長調であることは
たぶん間違いないと思う。
ところで変ホ長調の交響曲にはさらに先例があって
モーツァルトの交響曲第39番は変ホ長調だ。
この交響曲第39番のイントロダクションで出てくる
それこそ英雄的な音列とベートーベンの英雄交響曲の
主題の音列は音の伸ばし方の比率が違うだけで全く同じだ。
調性も両方とも変ホ長調なので本当にまったく同じ音列ということになる。
僕はモーツァルトの交響曲第39番もベートーベンの英雄交響曲も
小学生の頃から聴いているけれど、二つの交響曲の重要な
モチーフがまったく同じ音列であることに50才を過ぎてからはじめて
気づいた。気づいたときはちょっと興奮した。
そうだったのかと。
ベートーベンの繰り広げるあまりに壮大な世界にひきこまれて
40年以上も気づかなかった。
さて、話をもとに戻して夜明けのスキャットとサウンドオブサイレンスの
ことだけれどこういうポップソングにはクラシックのような
本格的な展開部がないのでもちろんクラシックと同列に語ることは
できないけれど、夜明けのスキャットはメロディの前半は
サウンドオブサイレンスに酷似しているけれどメロディー後半の
いわゆるさびの部分はサウンドオブサイレンスにはない伸びと
広がりがある。
それに、サウンドオブサイレンスという歌が持つ哀愁は
夜明けのスキャットにはない。
似て非なるものという言葉があるけれど
夜明けのスキャットはサウンドオブサイレンスに似て非なるものだと思う。
サウンドオブサイレンスに着想を得ている可能性は極めて高いけれど
盗作でないと思うし、それにめくじらをたてていたら音楽が
つまらなくなるととても個人的にはそう思う。
ずいぶん暖かくなっているここ数日だけれど
今日はやや寒いかなと思う。
昨日タバコやさんの奥さんに「今日は寒いといってもまだましですね」と言ったら
奥さんは微妙な顔をしておられたので内心、僕の意見に同意しかねると
思っておられることはなんとなくわかった。
しかし昨晩は深夜になって確かに寒くなってきた。
タバコやの奥さんの感じ方が正解だったと思う。
今日も微妙に寒いけれどそれでも二月上旬にくらべれば
だいぶんましだなと思う。
しかし、僕は冬場はコンサートホールにいくとお客さんよりも
むしろ演奏する人と同じくらい薄着になってしまう体質なので
あまり自分の体感温度があてにならない。
こういう日はあまり人に暑いですね寒いですねは言わない方が無難かもと思ったりする。
ここ2、3日由紀さおりさんの夜明けのスキャットをユーチューブで
聞いていていやあ由紀さおりさんうまいなと感心している。
40年以上前のヒット曲がまたクローズアップされそれが
テレビで放映されその映像がユーチューブに何本もアップされることも
すごい。
これだけ由紀さおりさんが長く活躍できるのもやはり
基礎がしっかりできているのと、さおりさん自身の人柄
芸術的感性によるところが大きいと思う。
それに、歌っておられる姿が美しいと思う。
典型的なマイナーのコード進行をしていく曲なので
この歌は子供の頃から好きだった。
ただこの年齢になって音楽の知識が蓄積された上で聴くと
夜明けのスキャットとサイモンとガーファンクルのサウンドオブサイレンスとの
コード進行やメロディラインの類似性にはいやでも気づくことになる。
夜明けのスキャットを聞いた直後におもわずサウンドオブサイレンスを
口ずさんでしまった。
うん、似ているなあと思ってネットをみていると
夜明けのスキャットと検索するだけで夜明けのスキャット盗作という
検索候補が出てきてそこをクリックすると夜明けのスキャットは
サウンドオブサイレンスのパクリ、中国と一緒にされると困るから
外国でこの歌を歌ってほしくないというような主張が
展開されているサイトにヒットする。
盗作かと思う。
クラシックの世界ではメロディのパクリはいくらでもある。
ベートーベンの魔笛の主題による変奏曲は言うまでもなく
モーツァルトの魔笛の主題のパクリだ。
しかし、メロディの提示の段階でモーツァルトとベートーベンでは
すでに違う。同じメロディの音を一ヶ所変えるだけで
モーツァルト的なものがすでに
ベートーベンの世界になってしまう。
そこがベートーベンのすごいところなのだけれど
そしてそれはそのままモーツァルトのすごさでもある。
一ヶ所音を変えるともうモーツァルトの美しさは損なわれてしまう。
クラシックの場合、メロディもさることなららその後の展開
そしてハーモニーがむしろ作曲家のうでの見せ所なので
メロディをパクっても展開がすばらしければ誰も文句を言う人はいない。
実はベートーベンの交響曲第三番は変ホ長調。
その後リヒャルトシュトラウスという作曲家が英雄の生涯という交響詩を
書いたけれどこれも変ホ長調。
ベートーベンの英雄にあやかって英雄の生涯も変ホ長調であることは
たぶん間違いないと思う。
ところで変ホ長調の交響曲にはさらに先例があって
モーツァルトの交響曲第39番は変ホ長調だ。
この交響曲第39番のイントロダクションで出てくる
それこそ英雄的な音列とベートーベンの英雄交響曲の
主題の音列は音の伸ばし方の比率が違うだけで全く同じだ。
調性も両方とも変ホ長調なので本当にまったく同じ音列ということになる。
僕はモーツァルトの交響曲第39番もベートーベンの英雄交響曲も
小学生の頃から聴いているけれど、二つの交響曲の重要な
モチーフがまったく同じ音列であることに50才を過ぎてからはじめて
気づいた。気づいたときはちょっと興奮した。
そうだったのかと。
ベートーベンの繰り広げるあまりに壮大な世界にひきこまれて
40年以上も気づかなかった。
さて、話をもとに戻して夜明けのスキャットとサウンドオブサイレンスの
ことだけれどこういうポップソングにはクラシックのような
本格的な展開部がないのでもちろんクラシックと同列に語ることは
できないけれど、夜明けのスキャットはメロディの前半は
サウンドオブサイレンスに酷似しているけれどメロディー後半の
いわゆるさびの部分はサウンドオブサイレンスにはない伸びと
広がりがある。
それに、サウンドオブサイレンスという歌が持つ哀愁は
夜明けのスキャットにはない。
似て非なるものという言葉があるけれど
夜明けのスキャットはサウンドオブサイレンスに似て非なるものだと思う。
サウンドオブサイレンスに着想を得ている可能性は極めて高いけれど
盗作でないと思うし、それにめくじらをたてていたら音楽が
つまらなくなるととても個人的にはそう思う。