ケンのブログ

日々の雑感や日記

三月一日

2018年03月01日 | 日記
もう今年も三月なのかと思う。
つい先日年が開けたような気がするのにもう一年の
六分の一がおわったのかと思うと本当にあっという間だな
光陰矢のごとしと感じる。
朝、ピゅーピゅーと風が吹いてたのでいったい何なのだろう
台風かとも思った。テレビをつけて気象情報を見たい衝動に
一瞬駈られたけれどどうもテレビはギャーギャー騒いでいるようで
苦手なので思いとどまった。
外に出掛けたら出掛けたで風がやんでくれたのでよかった。
曇りのてんきだけれどかなり暖かいと感じる。
二月の初旬にはカッターシャツの上にベストを二枚重ね着して
その上にセーターとブルゾンを着ていたけれど
ベストが二枚から一枚になり今日はベストはやめて
カッターシャツの上に直接セーターを着た。
マフラーももって出たけれど昼間は暖かいので
マフラーは使わなかった。
月が変わったのでさっそく郵便局に国民健康保険料を
払い込んだ。
待っている間に案内の方がカードを勧めてこられた。
一通り話を聞いて、カードは作る気がありませんのですみません、と言った。
ここのところ毎月郵便局ではカードの営業をかけてこられる。
窓口で保険料を支払うと窓口のかたもカードの話をしてこられた。
先程も案内の方から同じ話をうかがったのですがカードは作りませんので
すみません、と言った。
本当にもうここ何ヵ月もづっと郵便局へいくとカード、カードとなっている。
よほど上の方からカードの営業をするようにいわれているのだろうけれど
同じ話を何度も何度もと思ってしまう。
まあ、ここは隣の町のハブになる郵便局なので
いちいち客のかおは覚えてられないので仕方ないと言えばそれまでかもしれないけれど。
こんなにカードカードと毎月言ってこられるともう郵便局で
支払いをするのはやめて違う銀行あまり営業をかけてこない
店舗にいこうかとも思ってしまう。
隣の町の駅近くには他にも保険料の支払いを受け付けている
他行の店舗もある。
一方で都会にすんでいるのだから
営業を断る練習のために郵便局に行き続けるべきかとも思う。
いろいろ悩む年頃だなと思う。
都会にすんでいると訪問販売や電話いろんな営業が
あるから、断りなれておくことも大切と言えば大切なような気もする。
何年か前に有名人の女性が断る勇気という本を出して
結構売れたはずなのだけれど今度はそれに便乗して
他の有名人の女性が断るほど仕事の依頼はこない、
断るほど仕事があるのは一部有名人だけという内容の本を出して
これもきっとそこそこ売れたのだろう。
有名人ってなにかとネタにして本を書くと売れるからいいな
とついやっかみの気持ちが出てしまう。
しかし、何日か前の新聞に就職戦線の出陣式が始まった
今年はもはや銀行は人気のトップの職種ではない
なぜなら、メガバンクのリストラもあるし
この低金利でお金を貸しても儲からない
そんな銀行に不安をかかえる学生が多い。
そのかわりに安定した仕事を求める人はITの分野の会社を
志望する傾向があるというようなことが書いてあった。
まあ、銀行に関してはそうだろうなとその記事を読んでいて思った。
しかしITって安定した職種なのだろうか。
僕の世代はシステムエンジニアという職業が人気を博し始めた頃で
たしかにパソコンがうまいと会社で有利だったけれど
コンピューター関係のひとはあまりに納期とかそういうものに
追われすぎて、結構しんどそうにしていたり
会社を転々としている方が多かったことも事実。
IT産業ってパソコンの画面を見ている時間も長いだろうから
なんだか体にわるそうな気もするし。
次の人気職はたしか製造業と出ていたか
ものをつくって売るというのがなんだか一番健全なような気がする。
僕は予備校というサービス業に勤めていたわけだけれど
何度か衣食に関する製造業にしておけばよかったなと思ったことがある。
まあ、隣の芝生は青く見えるということなのかもしれないけれど。
市民総合交流センターのタバコをすう場所に来ると
いつかお話したことのあるもと民放K放送のアナウンサーをしておられた
ガードマンの方と鉢合わせた。
「そういえばネットでお名前をいれて検索しましたよ
○○のエンジョイタイムという番組の司会をしておられたんですね
当時のお写真もネットで見ました」と僕は言った。
「まあ昔のはなしですわ」といいながらガードマンの方は
手帳から俳優SRさんの奥さんの演歌歌手GNさんと一緒に写った写真を
出してくださった。
「いやあ、やはり芸能人の女性はきれいですねオーラが違いますね」と僕は言った。
「こういう方と番組をやるときはそのテンションに自分をもってかな
あかんから大変ですよ
この方、東京からいらして一日で四回分の番組を収録しました」とガードマンの方は言った。
「それは大変ですね」と僕は言った。
結婚式の司会を頼まれてなさった話、
歌番組の司会をなさった話などしてくださった。
結婚式の司会を一回やるだけで今の一月分の収入があったことも
あるというようなお話もしていただいた。
「私は放送作家がいませんでしたから、アナウンスの文章も自分で考えました
歌番組の司会をするときは七五調でこんな感じですわ」と言って
即興で歌番組の司会のナレーションをやってくださった。
いやお見事なナレーション。
「たしかにそういう七五調のナレーションと聴くと
その世界に吸い込まれますね。まるでとらさんの啖呵売りの口上
のようですね」と僕は言った。
「そうでしょ」とガードマンの方はおっしゃった。
「そういえば先日ユーチューブで昭和四十八年当時の歌番組の映像を
見ていたら、アナウンサーが、この歌がヒットしたのは昭和四十六年、横綱大鵬が引退した
年でしたと言っていました」と僕は言った。
「そう、そんな感じです」とガードマンの方はおっしゃった。
「でも、’そんな業界を経験していらして、ある意味、ガードマンとして
素の自分に戻れる、それってすごいですね
べつにお世辞をいうわけではありませんが、今の方が落ち着いた
いいかおをしておられるような気もします」と僕は言った。
「そうですね。一回ああいう業界に身を置くと過去の自分から
離れられない人も多いんです」とガードマンの方は言った。
「そうでしょうね。今は今でご立派のように思います」と僕は言った。
「まあ、いろいろありますけどね」とガードマンの方はおっしゃって
じゃあ、と言って建物のなかに入っていかれた。
いろいろあるのはお互い様と思った。