京都市交響楽団第616回定期演奏会に行った。
指揮はアクセルロッドさん。
前半に武満徹の死と再生、リヒャルトシュトラウスの
死と変容が演奏された。
武満徹の死と再生は僕にはカオスのような音楽に聴こえる。
きっとまだ僕に武満徹を聴く耳が育っていないということなのかな
と思う。
でも以前に比べると武満徹を聞いても退屈と感じず
それなりに楽しめるようになったかなと思う。
リヒャルトシュトラウスの死と変容も冒頭の付近は
カオスの音楽のように僕には聴こえるけれど
曲が進んでだんだん盛り上がってくると夢見心地の
音楽になってくる。
やはり、リヒャルトシュトラウスってすごいなと思う。
休憩をはさんで次に演奏されたのがベルリオーズの幻想交響曲。
そのなの通りファンタジックな演奏だったと思う。
第二楽章のワルツはバイオリンの旋律が美しく
あるところで少し涙ぐんでしまった。
第三楽章も色々と趣向を凝らしていてよかった。
楽章後半で音楽が盛り上がるところでは
幻想交響曲の第三楽章ってこんなに美しいのかと
今さらのように気づいた。
第四楽章は金管がテーマを奏でるところが
感動的だった。
たぶん提示部を反復したのだと思うのだけれど
そのような演奏を聴いたのが初めてだったので
なんかおいしい気分だった。
第5楽章はクラリネットがこの曲全体の
メインテーマをおどろおどろしく、あるいは
不思議に奏でるところでクラリネット奏者の方が
これでもかというほど気合いが入っている感じで
なんか指揮者顔負けのイニシアチブとっておられるような
気がして演奏を聞いていて思わずちょっと顔がニヤけてしまった。
たぶん武満徹の曲の時だったとおもうのだけれど
指揮者がオーケストラに息を吹き掛けるように
ブレスしておられたのが印象的だった。
きっとあのブレスには素人にはわからない意味があるのだと思う。
プレトークの時に指揮者のアクセルロッドさんが
音楽は息を吸って音を出す、そしてまた息を吸う
その中に生と死があるという主旨のことを語っておられたことが
印象的だった。
あとこれもメモを取らずに記憶で書いているので
正確さを欠くけれどリヒャルトシュトラウスはこの曲の
最後がハ長調になることに満足して死んでいかれた
というようなことも語っておられそのことも
印象に残った。
ほんとうにいいコンサートだったと思う。
指揮はアクセルロッドさん。
前半に武満徹の死と再生、リヒャルトシュトラウスの
死と変容が演奏された。
武満徹の死と再生は僕にはカオスのような音楽に聴こえる。
きっとまだ僕に武満徹を聴く耳が育っていないということなのかな
と思う。
でも以前に比べると武満徹を聞いても退屈と感じず
それなりに楽しめるようになったかなと思う。
リヒャルトシュトラウスの死と変容も冒頭の付近は
カオスの音楽のように僕には聴こえるけれど
曲が進んでだんだん盛り上がってくると夢見心地の
音楽になってくる。
やはり、リヒャルトシュトラウスってすごいなと思う。
休憩をはさんで次に演奏されたのがベルリオーズの幻想交響曲。
そのなの通りファンタジックな演奏だったと思う。
第二楽章のワルツはバイオリンの旋律が美しく
あるところで少し涙ぐんでしまった。
第三楽章も色々と趣向を凝らしていてよかった。
楽章後半で音楽が盛り上がるところでは
幻想交響曲の第三楽章ってこんなに美しいのかと
今さらのように気づいた。
第四楽章は金管がテーマを奏でるところが
感動的だった。
たぶん提示部を反復したのだと思うのだけれど
そのような演奏を聴いたのが初めてだったので
なんかおいしい気分だった。
第5楽章はクラリネットがこの曲全体の
メインテーマをおどろおどろしく、あるいは
不思議に奏でるところでクラリネット奏者の方が
これでもかというほど気合いが入っている感じで
なんか指揮者顔負けのイニシアチブとっておられるような
気がして演奏を聞いていて思わずちょっと顔がニヤけてしまった。
たぶん武満徹の曲の時だったとおもうのだけれど
指揮者がオーケストラに息を吹き掛けるように
ブレスしておられたのが印象的だった。
きっとあのブレスには素人にはわからない意味があるのだと思う。
プレトークの時に指揮者のアクセルロッドさんが
音楽は息を吸って音を出す、そしてまた息を吸う
その中に生と死があるという主旨のことを語っておられたことが
印象的だった。
あとこれもメモを取らずに記憶で書いているので
正確さを欠くけれどリヒャルトシュトラウスはこの曲の
最後がハ長調になることに満足して死んでいかれた
というようなことも語っておられそのことも
印象に残った。
ほんとうにいいコンサートだったと思う。