「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

ロンギヌスの槍ー出所

2014-12-23 18:50:35 | 小林多喜二ーロンギヌスの槍 

●出所

 

1931(昭和6)年1月22日午後9時半、東京都下豊多摩刑務所の重い扉を明けて、一人の男が出獄した。

身長百五十センチ、細身で色白の優男、出迎えたのは弟三吾、友人の斎藤次郎、壺井栄たち。

弟も斎藤も刑務所から出てくるこの男をどうようにしたらいいか皆目わからなかった。ところが栄は香川、小豆島の出身で1925年に同郷の壺井繁治と結婚。繁治は戦旗社のメンバーで何度も投獄されていたひとから、妻の栄はこうしたことにはのでてきぱきと対応した。

この男は、昨年5月に検挙されて213日をこの刑務所で過ごしたのだった。

 男が入れられたのは赤レンガ建ての南房の階上の独房で、このなかでは「六十三番」と呼ばれていた。

独房には、鉄格子のはまった高い窓があり、すりガラスの回転窓がついていた。そこから見える小さな空がわずかな慰めだった。

独男の罪状は、当初は共産党への資金援助だったが、さらに「不敬罪」の追起訴を受け、8月には治安維持法で起訴され、豊多摩刑務所に収容され、裁判を待つ身だった。

ところが年が明けると、保護観察を受ける保釈となったのだった。

男は以前から「保釈願い」を出してていたものの、この保釈は突然の出来事だった。

 

壺井たちに付き添われて、その男は一旦、友人の斎藤ところに身をよせた。

 

 



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