快気分析

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仕組みとアプローチ -   本能寺の変と山崎の戦いの謎 織田信長と明智光秀はイエズス会のブラックリストの最上位に載っていた可能性

2019-05-05 19:14:57 | 明智光秀
 本能寺の変と山崎の戦いについて追跡調査分析してみ見ると次第にわかって来るのですが当時のイエズス会は織田信長と明智光秀をブラックリストの最上位に位置させして抹殺の対象にしていた可能性がかなり高かった、と考えています。
 例えばですがよく言われる信長と光秀との間でギクシャクした状況が有ったのではないかと見られてる点ですが、一方で例えば対キリシタンについて光秀が自らを神格化して安土城を構築した信長に異論を唱えた史実は残っていません。
 光秀はおそらくと言う程度ですがイエズス会に対して用心すべきと考えていて信長がキリシタンの上に立って神格化する動きに対して敢えて反感を持たず、その証拠にこの点に関して反感を示す光秀の史実に関連する資料が残っていません。
 信長を裏切ったと言うレッテルを後に貼られた明智光秀は実はイエズス会からの独立を志していた信長に忠実で同調していた、そして石見銀山の利権もイエズス会に渡そうとはせず織田家の利権を考え、キリシタンの布教拡大にも疑問符を持つ姿勢だったからこそイエズス会のブラックリストの最上位に載ってしまい抹殺対象になった可能性が有る、と言うロジックが当然成り立つと考えています。
 本能寺の変で信長と信忠が討たれ、その後はまるでシナリオ通りかのように返す刀で明智勢が滅んだと言う事から黒幕はどうも絞り込まれて行けるようです。

仕組みとアプローチ -   本能寺の変と山崎の戦いの謎 中川清秀が信長襲撃に深くかかわっていた可能性を考える

2019-05-05 08:47:07 | 明智光秀
 前回の記事までの通り、中川清秀が秀吉のロボット同然だったとしたなら本能寺の変で信長を襲撃した部隊の少なくとも一部に中川清秀かその配下の者がいた、と言う可能性も十分有ったかと思えます。
 そう考えるもう一つの理由は、信長が襲撃された事を秀吉に伝えたのは中川清秀の使者だったと言うのが定説だからです。
 「別に襲撃されたくらいは誰でも伝える事が可能ではないか?」と言う疑問を持つかも知れませんが、秀吉がその知らせを受けて毛利氏と勝手に和睦してしまいました。
 そして「信長様は生きておられる」とウソの情報を撒いて明智勢に加勢する武将をなるべく減らしたのですが、以前の記事で書いたように、信長が生きていたのなら勝手に毛利氏と和睦してしまう事など許されない事だったはずです。
 これが何を意味しているのか?と言うと「秀吉は信長が落命した事を知っていたから」となって来るわけで、その詳細を知らせたのは他ならぬ中川清秀となって来ます。
 では信長が確実に落命した事を中川清秀が知る事が出来た理由は? となって来るわけですがそれはやはり本能寺の変で信長を襲撃した部隊の少なくとも一部に中川清秀かその配下の者がいたから、となって来るわけです。
 秀吉の中国おお返しが怪しく、やはり秀吉が黒幕だとする説が有りますが、やはり上記の点でもそうなって来ます。
 そして秀吉は信長の落命を確実に知っていたからこそ、その事を隠すアリバイ工作の為にも「信長様は生きておられる」と言いふらしたと言えます。
 更にもう一つ。
 信長の首が出て来なかった事が明智光秀に加勢する武将や反織田勢が少なかった点、そして信長の首をイエズス会の弥助が持ち出してしまった可能性について以前の記事で書きましたが、もしかすると信長を襲撃した中川清秀の配下の者が信長の首を隠したか焼くなどして信長の首とわかるものが決して出て来ないようにしてしまったのかも知れません。
 いずれにしても中川清秀の近縁がキリシタン武将でイエズス会から信頼されていた高山右近なので同じグループと見て良いと思います。
 そうした事がわかっていたからこそイエズス会と裏取引をしていたと思われる秀吉は毛利氏と勝手に和睦し、次に中国おお返しを強行し、更に「信長様は生きておられる」と言いふらし、更に明智勢をいとも簡単に殲滅できた、と言う事だったと今では自分なりに考えています。
 

仕組みとアプローチ -   山崎の戦いの謎 高山右近と中川清秀が突然に秀吉方へ寝返ったと見られる他の理由

2019-05-05 00:51:34 | 明智光秀
 山崎の戦いについては高山右近と中川清秀が突然秀吉に寝返ったと見られる理由は他にも有ります。
 明智光秀が細川藤孝・忠興父子と筒井順慶に加勢をするようにかなり働きかけた記録が残っていてこれはほぼ間違い無い事だったと思われます。
 ところが高山右近と中川清秀に対しては明智方に加勢するように要請した史実が残っていません。
 そもそも高山右近と中川清秀は明智方の与力(寄子)なわけですから光秀は当然明智方に加勢すると思い込んでいた、となるのかも知れませんが、しかし山崎の戦いの前にこの二人が秀吉方に加勢(つまり寝返り)しそうだとわかれば光秀は相当良い報酬をチラつかせて加勢させようとしたはずなのです。
 ですがそうした動きをした記録は有りません。
 これが何を意味するのか?と言うと「明智光秀は山崎の戦いが始まる時、或いは始まった直後まで高山右近と中川清秀が明智方に与すると思い込んでいた。なので大山崎の東黒門と西黒門に守られたこの一帯で高山右近が陣取ったのも特に警戒せずに山崎の戦いと言う野戦を回避せずに進めてしまった」と言う事ではないでしょうか。
 そしてこれが仮に真相だったとすると更にわかって来るのは、「やや高い位置に陣取っていた中川清秀は大山崎の東黒門の外側に用心せずに集まって来た明智方の軍勢の総数や戦力などを高所から見渡して把握し、狼煙か旗か或いは他の合図で高山右近に知らせ、それで有利な戦闘になる確信を得た高山右近が大山崎の東黒門から急に討って出て明智勢に相当なダメージを与え、これで明智方は総崩れとなった」。
 そして更には「イエズス会は明智光秀がキリシタン勢を取り込んだと勘違いをするように京極高次を明智方に加勢するように指示をていた」と言うロジックにもなって来るのです。
 限られた史実からでも事象分析をして行くと山崎の戦いの謎を解く鍵と思われる事が次第に見えて来ます。