快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -   山崎の戦いの謎 明智光秀が大山崎に禁制を出していた状況から見えて来るもう一つの事

2019-05-04 16:21:31 | 明智光秀
 前回記事の続きです。
 何の事は無い、明智光秀は高山右近が秀吉方に離反するとわかっていれば最初から大山崎に禁制を出す事などしなかったでしょう。
 禁制を出して周囲には武力的行使を禁止していたが為にそれがアダとなって高山右近らがこのエリアを占拠したのを明智光秀は局地戦で制圧できなかったのでした。
 明智光秀自らが地域を悪くしないようにと出した禁制はそれが敵方に知られて悪用されて戦闘上で逆にアダとなってしまった典型例、そしてそれを悪用した秀吉方の高山右近だったのではないかと個人的にほぼ確信しています。
 ところでこの禁制を何故秀吉が知ったのか? ですがそれは中川清秀や高山右近方からの通報やらその他秀吉の諜報員なのでしょうが果たしてそれがどれなのかは定かでは有りません。
 大山崎の禁制がセキュリティの観点で敵方に弱みを握られる結果になると言う状況に明智光秀が知らずに入ってしまったのはやはり高山右近と中川清秀が見方になると想定していたから、そしてそれは中川清秀と秀吉の間に秘密の内誓紙が既に存在していた事、と言うロジックに行き着くと考えています。

仕組みとアプローチ -   山崎の戦いの謎 明智光秀が大山崎に禁制を出していた状況から見えて来るもの

2019-05-04 14:56:07 | 明智光秀
 前回記事の続きです。
 明智光秀は山崎の戦いの前、大山崎に禁制を出していました。
 ここが戦闘による破壊や略奪とならないようにするです。
 ならば山崎の戦いこのエリアが明智方の拠点になっていたのかと言うとそうならなかったようです。
 山崎の戦いの直前には高山右近がここ大天崎の東黒門と反対の西黒門の間である軍事拠点に陣取ったようです。
 この状況ならば仮に明智光秀が高山右近が秀吉方に寝返ったと言う事がわかったのなら敢えて山崎の戦いを挑まずに篭城戦に変更していたはずと普通に考えられます。
 篭城戦なら多くの反織田、反秀吉勢が日々加担して行くので少なくとも山崎の戦いよりは勝率を上げられるか或いは敗北を遅らせる事が出来た事は明らか。
 ところが光秀は野戦に近いこの戦闘継続を選択しました。
 これが何を意味するのかと言うとですが、それは「高山右近が明智方としてこの地を占拠し、山崎の戦場を見渡すのに適した位置に中川清秀が陣取ったので大丈夫だろう」と誤認していたからではないでしょうか。
 高山右近と中川清秀を疑っていたのなら光秀は最初からその位置に行かせなかったはず、と言うのが個人的な考え方です。
 明智光秀は京極高次と高山右近と言うキリシタン武将の主軸、そしてその影響下の武将らを全て取り込んだのでほぼ勝利は間違い無い、と思い込んでいた一方で、高山右近と近縁の中川清秀は秀吉方に既に寝返っていた、と言う状況になっていたのではないでしょうか。
 そして最初からそう言うシナリオをイエズス会が用意していて実際に指示命令を出していたと考えるのが普通であり、その証拠に京極高次は明智方に与したにもかかわらず処刑されず更に秀吉の時代に復活しています。
 キリシタン武将以外で明智方に与した武将らはおそらく近縁女子を秀吉の側室に差し出しても拒否されたのでしょう。
 

仕組みとアプローチ -   山崎の戦いの謎 中川清秀が内誓紙と言う弱みで秀吉に脅されていた事を明智光秀は知らなかったのではないか

2019-05-04 07:56:37 | 明智光秀
 今月1日に書いた記事の続きで明智光秀が短期で信じられないような大敗をした山崎の戦いについてです。
 畿内では当時キリシタン武将の主軸と言えたのは高山右近と京極高次の二人といえます。
 この二人が敵味方に分かれた形となりました。
 個人的な疑問ですが、こんな事をイエズス会が何故容認したでしょうか?
 通常ならばイエズス会は統制をとっていたはずだと思えます。
 暫くこの点がわからなかったのですが、考えられたのは次の二つです。
 一つはイエズス会がキリシタン武将を明智方と秀吉方に分けて両建てし、どちらかは生き残るのようにしたと言う考え方。
 もう一つはイエズス会は最初に与するように見せかけて山崎の戦いの直前に高山右近とその近縁の中川清秀を秀吉方に寝返らせ、光秀のハシゴを外して秀吉方に勝たせるつもりだった、と言う考え方です。
 二つの考え方共に京極高次が明智方とした戦ったにも拘らず、(姉妹を秀吉の側室に出したと言う口実を作って)許され、更にその後は秀吉の時代に復活した点から考えて、山崎の戦いの前からイエズス会と秀吉の間では裏取引(密約)が既に有ったと思っています。
 と言う事はイエズス会は最初から秀吉方に勝たせるつもりだった、とも考えられて来るわけです。
 では秀吉方とイエズス会がそうしたグループを形成したとしたらそれにはどのような状況が有ったのでしょうか。
 以前にも記事にしましたが、秀吉と中川清秀の間で1580年に交わされた内誓紙です。
 少なくとも1582年の時点では三好氏の件などで既に秀吉と明智光秀の間には対立構造が
有ったわけですが、中川清秀は秀吉との間で交わされた内誓紙の事を明智光秀に隠していたのだと思います。
 そんなものが有ると知れば光秀が中川清秀やその近縁の高山右近を与力(寄子)とし続けるはずは有りません。
 つまり中川清秀やその近縁の高山右近が明智光秀の与力だったと言う事は内誓紙の事を隠していたのだと思います。
 ではこの二人が秀吉の与力となれるのか?と言うと、荒木村重の反乱の件で西へ預ける気は無かったと思え、そうすると内誓紙の事を明智光秀にバレてしまうとこの二人は裏切り行為をしたと言うレッテルを貼られて信用されなくなってしまうだけでなく、行き場も無くなる可能性が有ったかと思えます。
 それで秀吉はここに目をつけたのではないか?と思えて来るのです。
 秀吉は内誓紙をネタに中川清秀を脅して、秀吉のロボットにしていたのではないか、と自然に考えられて来ます。
 山崎の戦いは最初からイエズス会と秀吉の間で裏取引が成立していた・・・・・光秀にしては奇妙なあの短期大敗には秀吉と中川清秀の間で1580年に交わされた内誓紙の存在が有ったと見ています。