快気分析

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仕組みとアプローチ -   山崎の戦いの謎 明智光秀は主なキリシタン武将が全て味方になると考えていたのではないか

2019-05-01 19:51:17 | 明智光秀
 山崎の戦いは圧倒的な兵力の差で明智方が短期惨敗したのですが、この時のキリシタン武将の動きには個人的に疑問と思える点が有ります。
 それはキリシタン武将の代表格である高山右近なのですが、秀吉方として戦いました。
 ならば同じく洗礼を受けた事が明らかな位のやはりキリシタン武将の代表格である京極高次はどうなのかと言うと明智方に与しています。
 明らかにキリシタン武将であるこの二人を明智光秀が同じグループと見なさないわけはなかったはずです。
 つまり高山右近が秀吉方に付くのなら、当然考えられるのは京極高次が高山右近と敵対するわけはなく、仮に最初は明智方に与するとしても急に秀吉方に寝返る恐れが有ったはずで、そうなると京極高次を戦力にするはずはなかったと考えられます。
 しかし実際には京極高次を戦力にしていたわけで、これが何を意味するのかと言うと、明智光秀は「高山右近とその近縁の中川清秀が明智方に与するだろう、そしてキリシタン勢を全て味方にしたので火薬の調達面などで勝利は間違いない」と考えていたのではないでしょうか。
 この考え方だと明智光秀が野戦を敢えて回避しなかった理由も見えて来ます。
 高山右近と中川清秀が明智方に与した場合、かなり勝算は有ったと考えられるのです。
 秀吉の軍が中国おお返しで戻って来と言ってもそれは指揮官クラス以上が主であり、他の兵力数は捏造、或いは疲労した兵ばかり、或いは役に立たない農民などとかを数合わせでかき集めただけ、と言う程度だった可能性が有ります。
 そうなると「中国おお返し」で秀吉方の大軍が戻って来た、と言うは高山右近と中川清秀が明智方から急に秀吉方に寝返った事を隠す為の情報工作だった可能性も出て来るかと思えるのです。

仕組みとアプローチ -   天皇家と土岐氏

2019-05-01 17:46:47 | 明智光秀
 令和元年の初日の今日。
 雨天曇天のエリアが多いのですが温湿度は過ごしやすい良い日となりました。
 元号と言うと天皇家ですが、過去の流れについて調べてみると土岐一族と関連がある事がわかります。
 「徳川秀忠 天皇家」で検索すると多くのデータが表示されますが、徳川秀忠の母は土岐一族である西郷局。
 そして徳川秀忠の娘である和子が後水尾天皇に嫁いだので少なくともこの時からは天皇家に土岐氏の流れが入った事になります。