1495年 鎌倉大仏殿が津波で破壊された言われている相模トラフ地震の後には、その後に特に大きな相模トラフが地震が発生していないにもかかわらず、後には1498年の明応地震、そして1605年の慶長地震と言う南海トラフ大地震と言われるものが二度連続して発生しているように筆者には見えたので、追跡サーチして見ました。
そしてわかったのは次の通りでした。
引用開始(一部抜粋)
http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/daidai/h15seika-hokokusho/honbun/3.3.2.2(pp376-397).pdf#search=%271590%E5%B9%B4++%E5%AE%89%E6%88%BF+%E5%9C%B0%E9%9C%87++%E9%9A%86%E8%B5%B7%27
3.元禄地震よりひとつ前の地震隆起イベントについて
貝化石の暦年代と離水ベンチの分析から、西暦 1600 年頃に約 2m の海岸隆起を伴う地震が発生した可
能性が高まった。この隆起量は、元禄型地震時のそれ(5〜6m)よりも有意に小さく、最新イベントとし
て知られる大正地震時の隆起量(1)など,平磯で 1.6m ほど)とほぼ等しいので、その地震は大正型地震
に相当するものと判断される。もし、これだけの地変があったとすれば、時代的背景から見てもその記
録は古文書等に残されているはずである。8)によれば、
1590 年(天正 18 年)2 月 16
日に関東諸国を揺
るがす大地震が発生したらしい。その出典である「関八州古戦録」には、
「諸国大地震、安房上総で激し
く・・・・、
汐にわかに退き 30 余丁干潟となる」と記されている。この場合の諸国とは、関東諸国を指
しており、千葉県南部で激しく揺れて海岸線が約 3km 引いて干潟が出現したことが記されている。3km
の干潟が現れるためには、海面は相対的に数 m は低下する必要がある。もし、この現象が、南房総一帯
に現れた現象であるならば、地震に伴い海岸部が数 m ほど隆起したことを示している。その時期と隆起
量からみて、平磯地区で見出された 1600 年頃の隆起イベントは、この
1590
年の関東大地震であったと
考えることができる。しかし、9)は、この地震を史実としての記録がそれのみなので「疑わし」と再判
定し、1605
年の東南海の津波地震の可能性も指摘しており、再検討の予知がある
引用終了
これともう一つ
引用開始(一部抜粋)
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/tenpen/ihen02.htm
1601(慶長 6)年
6月14日 地震あり。(義演准后日記)
12月16日 上総・安房で大地震、山崩れあり。海が干上がった後、明日大津波あり。人畜死亡多数。
(房総治乱記)(武江年表)
引用終了
これらの事から、1590年と1601年に相模トラフ地震、それも元禄地震に近いような相模トラフエリアでの比較的大きな地震だったように判断されます。
そして導き出せる結論は、「相模トラフ大地震は一発の巨大地震ではなく、1590年と1601年の二度に回数分散化された相模トラフ大地震としてストレスを発散されていた」と言う事、そしてその中でも特に1590年の方は地震による被害は殆ど無く、津波地震だった、と言う事ではないでしょうか。
規模にもよるので、前回のストレス発散残りの大きくないマグニチュードの地震で次回発散されると言う可能性もゼロではなく、「南海トラフ地震の二度連続が全く無い」とは言いませんが、「南海トラフ地震が発生した後には、それが二度連続するよりも、その後は相模トラフの地震が発生する可能性を考えるべき」と言う基本的な考えは、これに近い事を以前にも当ブログで記事の中に既に書いた通りです。
「模トラフ地震規模二期分散化の可能性」が筆者の結論です。
そしてわかったのは次の通りでした。
引用開始(一部抜粋)
http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/daidai/h15seika-hokokusho/honbun/3.3.2.2(pp376-397).pdf#search=%271590%E5%B9%B4++%E5%AE%89%E6%88%BF+%E5%9C%B0%E9%9C%87++%E9%9A%86%E8%B5%B7%27
3.元禄地震よりひとつ前の地震隆起イベントについて
貝化石の暦年代と離水ベンチの分析から、西暦 1600 年頃に約 2m の海岸隆起を伴う地震が発生した可
能性が高まった。この隆起量は、元禄型地震時のそれ(5〜6m)よりも有意に小さく、最新イベントとし
て知られる大正地震時の隆起量(1)など,平磯で 1.6m ほど)とほぼ等しいので、その地震は大正型地震
に相当するものと判断される。もし、これだけの地変があったとすれば、時代的背景から見てもその記
録は古文書等に残されているはずである。8)によれば、
1590 年(天正 18 年)2 月 16
日に関東諸国を揺
るがす大地震が発生したらしい。その出典である「関八州古戦録」には、
「諸国大地震、安房上総で激し
く・・・・、
汐にわかに退き 30 余丁干潟となる」と記されている。この場合の諸国とは、関東諸国を指
しており、千葉県南部で激しく揺れて海岸線が約 3km 引いて干潟が出現したことが記されている。3km
の干潟が現れるためには、海面は相対的に数 m は低下する必要がある。もし、この現象が、南房総一帯
に現れた現象であるならば、地震に伴い海岸部が数 m ほど隆起したことを示している。その時期と隆起
量からみて、平磯地区で見出された 1600 年頃の隆起イベントは、この
1590
年の関東大地震であったと
考えることができる。しかし、9)は、この地震を史実としての記録がそれのみなので「疑わし」と再判
定し、1605
年の東南海の津波地震の可能性も指摘しており、再検討の予知がある
引用終了
これともう一つ
引用開始(一部抜粋)
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/tenpen/ihen02.htm
1601(慶長 6)年
6月14日 地震あり。(義演准后日記)
12月16日 上総・安房で大地震、山崩れあり。海が干上がった後、明日大津波あり。人畜死亡多数。
(房総治乱記)(武江年表)
引用終了
これらの事から、1590年と1601年に相模トラフ地震、それも元禄地震に近いような相模トラフエリアでの比較的大きな地震だったように判断されます。
そして導き出せる結論は、「相模トラフ大地震は一発の巨大地震ではなく、1590年と1601年の二度に回数分散化された相模トラフ大地震としてストレスを発散されていた」と言う事、そしてその中でも特に1590年の方は地震による被害は殆ど無く、津波地震だった、と言う事ではないでしょうか。
規模にもよるので、前回のストレス発散残りの大きくないマグニチュードの地震で次回発散されると言う可能性もゼロではなく、「南海トラフ地震の二度連続が全く無い」とは言いませんが、「南海トラフ地震が発生した後には、それが二度連続するよりも、その後は相模トラフの地震が発生する可能性を考えるべき」と言う基本的な考えは、これに近い事を以前にも当ブログで記事の中に既に書いた通りです。
「模トラフ地震規模二期分散化の可能性」が筆者の結論です。