快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -   阿蘇山と霧島山で地震計のRMS振幅計データにパターン変化発生

2019-05-18 22:09:03 | 地震 津波
 何気なくVIVAの地震計のRMS振幅計データを見ていたのですが、阿蘇山と霧島山であまり記憶に無いようなパターンになっているのが気になりました。

引用開始(一部抜粋)

http://vivaweb2.bosai.go.jp/viva/v_datalist_asos.html

VIVAトップページ>阿蘇山観測データ

http://vivaweb2.bosai.go.jp/viva/v_datalist_kiri.html

VIVAトップページ>霧島山観測データ

引用終了

 画像は直接御覧ください。
 どちらもほぼ右肩上がりで上昇の一途です。
 VIVAの地震計RMS振幅計データを見出してからそう長いわけではなく限られた年数ではありますがこんなのは見た記憶が有りません。
 





仕組みとアプローチ -   本能寺の変の謎 家康と北条氏 そして堺の商人

2019-05-18 10:00:37 | 明智光秀
 先日書いた記事の中で天下統一されてしまうと「堺商人は既得利益を維持できなくなる、つまり食えなくなって来るから中国四国以東、特に畿内以東で国内の動乱がまだ続かなければならない。」と書いた部分の続きです。
 結局、本能寺の変で織田信長と嫡男の信忠が落命し、その後の山崎の戦い、そして織田家の跡目争いは混沌となり秀吉方と柴田勝家方が対立して賤ヶ岳の戦いとなり、更に畿内以東で天正壬午の乱など戦乱が続きます。
 この後は小牧・長久手の戦いとなり、結果として秀吉に軍配が上がりましたが、家康を最後まで追い詰めようとしたその時に天正地震が発生して秀吉は家康と妥協するしか有りませんでした。
 この後は四国平定、紀州征伐、九州平定と続き、秀吉は残る北条氏を制圧しようと考えいた時に北条氏に仕えていた堺の商人であり茶人であった山上宗二を処刑します。
 前から秀吉と仲が悪かった点も有るのですが、堺の武器商人や武器弾薬製造者らは秀吉が天下統一してしまうと堺から九州へ拠点が移ってしまう事を恐れ、山上宗二は北条氏へ武器弾薬を安価にそして大量に供給しようとしていたのではないでしょうか。
 千利休の高弟である山上宗二が処刑されたあたりから今度は秀吉と千利休との関係も悪くなり、1591年に秀吉の怒りに触れて切腹させられます。
 これが前回の記事で「この個人的なロジックを証明する史実が実は存在します。」と書いた部分です。
 何故秀吉が激高したのか?については諸説あります。
 この点について個人的な見方に過ぎないのですが、千利休も堺の武器商人、武器弾薬製造業者らと関係が深く、やはり北条氏などをより強力化させて秀吉に天下統一させないように考えていたのではないでしょうか。
 この頃に奥州と出羽で反豊臣の動きが激化し、これに対して秀吉は奥羽仕置、奥羽再仕置を行いましたが、何故抵抗するだけの武器弾薬を奥州と出羽の勢力が持っていたのか?となるとそれは堺の商人が関わっていたのではないかと考えています。 
 結局、北条氏は1590年に降伏、奥羽仕置、奥羽再仕置と2回に亘った反豊臣の動きも秀吉の制圧されました。
 これで堺の商人は博多の商人より不利な状況となるのですが、文禄・慶長の役で秀吉方の勢力が疲弊したのに対し、出兵を拒むだけの力が有った徳川家康と前田利家は力を温存でき、秀吉の死が近くなると特に家康の力が増し、そして関ヶ原の戦いと言う流れだったのかと思います。
 そして堺の商人らは家康らと武器弾薬等、軍事物資を含めた大量の取引でこの関ヶ原の戦いとその後の大坂の陣を大きなビジネスチャンスに出来たのでしょう。