快気分析

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仕組みとアプローチ -   本能寺の変の謎 家康一行を堺に移動させて生還させたのは堺商人も関係していると言う考え方

2019-05-17 20:18:53 | 明智光秀
 本能寺の変の時に家康一行が何故堺にいたのか?となるとそれは信長が行くように命じたから、と言う所までは誰もが知る所ですが、それ以上については追跡されていないと思ったので様々な状況を分析して行くと興味深い事実がわかって来ます。
 信長が家康に堺に行くようにしたがったのはまず本能寺で島井宗室、神屋宗湛と言う博多の豪商で茶人と会う(つまりは商談)をするのに家康に席払いをさせる為、と更には堺商人らには不満を持たせない為の餌として新たな商談の可能性の有る家康を堺商人に合わせてそれなりの期待を持たせ味方に繋ぎとめる為だったかと考えられます。
 家康は四国討伐か或いは上杉討伐に参加させるか、いずれにしても堺商人にはキーマンとなった武将だったはずと思われます。
 ここからが個人的な見方になります。
 しかし堺商人らはこう考えた。
 信長が天下統一するのはもうすぐでほぼ確実である、がそうなると信長は残る国内エリアである九州制圧にとりかかり、それもこのままでは大した抵抗もなくおそらく比較的容易に実現されるであろうからのその次には朝鮮半島、と大陸に進出する動きとなる。
 そうなると火薬、鉄砲などの武器弾薬にかかわる武器商人の拠点はおそらく九州、特に博多商人に移るだろう。
 そしてそうなってしまうと堺商人は既得利益を維持できなくなる、つまり食えなくなって来るから中国四国以東、特に畿内以東で国内の動乱がまだ続かなければならない。
 それには信長にまず死んでもらい政権不安定となり、更には織田氏の後継がスムーズに決まってしまうと簡単に国内統一されてしまうのでキリシタンでもない織田信忠も同様に消えてもらい、更に織田氏自体を覇者にはさせないようにしなければならない。(イエズス会は信孝が実質キリシタン武将だったので信孝擁立でも悪くはないと思っていたはず。この点が堺商人とイエズス会の立場がやや異なる点)。
 そして戦乱が中国四国以東で多くなるようにするには徳川、北条、上杉らの東国勢力とそれ以外の勢力との衝突が激化しなければならない。(実際に本能寺の変の後は畿内以東で戦乱が激化した)。
 ならばまず徳川勢が討たれては困る。
 なので堺商人は信長に(本当の目的は言わずに)「家康殿に今後の四国攻めか上杉攻めにも関連した商談を兼ねて堺に来てもらうようにしてもらいたい」と言うニュアンスの話をして信長が家康に堺に行くように誘導したのではないでしょうか。
 この個人的なロジックを証明する史実が実は存在します。