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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

インゲン病に感染か!?

2021-07-11 22:47:11 | 食彩・山菜・きのこ

 このところ、和宮様はインゲンを毎日のように収穫している。体調は相変わらずいいとは言えない。そんな中で、「インゲン」とかかわると元気が出てくるようだ。いつの間にかインゲンをせっせと収穫をしてきて、それを天ぷらにしたり、料理を工夫したりしている。

         

 とにかく、インゲンは天ぷらは一番という。今の季節がら、ソーメンにインゲンの天ぷらを投入するのが定番となっている。うだる暑さにはツルツルとのど越しのよいソーメンはもちろんそこにインゲンの天ぷらが添えられるといっそう食欲が湧いてきてついつい食べ過ぎてしまう。

      

 また、インゲンを湯がいて単純に食べるだけでもしゃきっとした確かな食感が伝わってくる。マヨネーズやケチャップなどをかければいっそう楽しみ方が増えていく。上の画像は、北海道で人気の「いももち」レシピだ。畑で採れたアンデスの赤ジャガイモにチーズ・小麦粉・鶏ガラスープの素・牛乳・黒胡椒を混ぜ込んで揚げたものだ。コロッケとチーズ味がマッチしていて子どもからお代りを要求される料理だ。

 

      

 さらに昼食に出てきたのは、冷やし中華風のかけソーメンだった。畑で採れたインゲン・ゴボウ・紫蘇にいただいたナスを添えたものだ。冷蔵庫にあった「坦々ごまだれ」をたっぷりかけてこれもツルツルといただく。具材が多かったせいかこれだけで胃が満杯となる。

 というように、黄檗宗の開祖・隠元禅師に洗脳されたかのようにインゲンレシピが出てくる。いよいよインゲン病に感染したのだろうか。   

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カワラヒワを撮ってみたが

2021-07-10 21:54:49 | 生き物

 うだる暑さの午前中に、茶畑の外側の草刈りを行う。そして午後、道路際を見たらスズメくらいの大きさの「カワラヒワ」(アトリ科)が刈り取られた草の実を食べに来ていた。

                  

 距離があったので手持ちのキャノンの安いデジカメでは鮮明な画像を捕捉できない。それでもなんとか、かわいい様子は伝わってくる。カワラヒワがときどき飛びだす場面に出くわすことがあったが、なかなかカメラに収める機会はなかったのでそれはうれしい。

    

 「ひわ」とは、「小さくてひよわい可愛らしい」という意味がある。和服の「ひわ色」はこういう黄緑色のことをさすらしい。ウグイス色とは微妙に違う。草の実をついばむ平和なひわ軍団の風景に一茶のように心が和む。

       

 そういえば、三日前に保存しておいた電線に止まっていた三羽の小鳥はこのひわ軍団だったのかもしれない。集団見合いするという「かわらひわ」も、力の強い者から順次つがいができていくそうで、ひ弱そうなカワラヒワもなかなかしぶとい生命力がある。

 電線にいたこの小鳥の正体がわからなかったが、これでわかったような気がする。プロが撮影した鮮明な画像には頭が下がる。それと同じカメラにするには十数万円かけなければならないが、年金生活者にはそれは無理な話というもんだ。

                          

 名前を同定するには想像力を働かすしかないが、この杉林に独占されたような地域にさえも、野鳥の声が意外にもに多いことがわかってきた。つまり、野鳥そのものを目撃することはむずかしいが、周りの林や畑にやってくる野鳥の多様性がなんとかあるということだ。しかし、鳴き声で名前を捕捉するのはなかなか複雑でむずかしい。硬直したわが「海馬」の中で鳴き声を振り分けていくのは至難の業だった。カワラヒワの鳴き声のパターンはいまだつかめない。人生短いが、ボチボチ確認していくしかない。                     

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耕作放棄地再生を掲げる心意気

2021-07-09 21:44:46 | 市民活動・まち育て

 害獣のせいでトウモロコシ栽培を断念しているが、その味は忘れられない。そのため、農協の直売所に行ったときはトウモロコシを買うことにしている。先日買ったのは、耕作放棄地を再生しようとする地元の若手農家と学生サークルらが結成した「春野耕作隊」が栽培した「スウィートコーン」。

 その品種は、「サカタのタネ」が開発した「ゴールドラッシュ」だった。そこそこ甘みが充満する。しかし、何回か買ってみるが味や食感にばらつきがある。隣の森町の「かんかん娘」にはまだ届かないが今後を期待するしかない。

       

 「春野耕作隊」は、2014年ごろから活動を開始している。そのころから注目していたが情報がなかなかつかめない。HPをひらいても最新の情報も出てこないことが多かった。いつもながらだが、崇高な初心を貫くには持続的な発信という心意気を醸成することが肝要だとかねがね思う。目的は素晴らしいがそれを日々のくらしの中で積み上げていくことがいかに難しいことかと、人ごとながら振り返る。

 まずは農協やコンビニでトウモロコシを手にできるくらい身近になったという進歩を喜びたい。

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サルスベリを衝動買いして

2021-07-08 23:17:16 | 植物

 前々からサルスベリの紫色の花が気に入っていた。サルスベリというとピンクの花が圧倒的で、猿がすべるほどのつやつやの樹皮も魅力がある。それに、名前も「百日紅」と表記するくらい7月から10月にかけて100日も咲いてくれるのもうれしい。そんなとき、半額に近い紫花の百日紅がホームセンターで売っていたので、つい購入してしまった。

                    

 すでに、蕾もあるので近々開花を楽しむことができそうだ。梅雨空を睨みながらさっそく植え付けてみる。矮性なので樹高は2m弱くらいのようだ。庭木としては眼の高さで花を見られる手ごろな高さだ。

                    

 開花の様子は上の画像のようだが、それにしても「ペチート」というネーミングがわからない。もっと消費者に分かりやすい表記がほしい。「シュラブツリー」という「低木」をさす意味でもあるらしいが、どちらも高齢者にはわかりにくい。バタフライガーデンの一翼で開花してもらい昆虫たちを集めてもらえば文句はないのだけど。  

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安心安全は神話だった

2021-07-07 22:22:38 | できごと・事件

 しばらく音沙汰がなかったイノシシがついにやってきた。近くの空家付近にねぐらがあるようでちょこちょこやってくるようだ。裏の畑の入口の茂みのミミズを食べているようだ。そこら辺は、草刈りの手を抜いていたところで身を隠すのに絶好の茂みとなっていた。一週間前にはアナグマのような掘り返しがちょこっとあったが、7月に入るやいよいよ「やってきたよ」という挑戦状を持ってきた証拠だ。

    

  そしてついに、畑にも侵入を開始し、オクラの畝が狙われた。7割くらいのオクラは唾棄された。さらに、何も植えていない畝2か所もきれいに掘り起こしてくれた。さいわい、柵をしてある畑には侵入していない。あわてて、柵の周りには害獣除けの代用をしている「パラゾール」をとりつける。

         

 昨日は、ミミズ起こしが拡大されイノシシのローラー作戦が開始したようだ。合わせると5m四方くらいにはなるだろうか。かなりの量のミミズを食べたのだろうが、それでお腹が満たされるのだろうか。

  明治中期は、過度な国土利用による森林開発でイノシシの個体群は減り被害も少なくなったようだが、60年代の化石燃料革命や70年代の耕作放棄地拡大等により急速にイノシシの生息領域が拡大していく。人間への感染症も現実的になってきた。だから、豚コレラでイノシシが減少したと喜んではいられない。安心安全な世界はオリンピックも含め神話と化したのだ。さてさて…。

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梅ジュースで夏バテをしのぐ

2021-07-06 22:20:43 | 食彩・山菜・きのこ

 天気晴朗でない日々、あめが止んだチャンスに連日のように草刈りに追われる。草刈機を持つ手がしびれてきたり、汗が土石流となる。そんなとき、和宮様ご手製の「梅ジュ-ス」で水分補給をする。しかしコップ一杯だけでは足らない。ついつい飲み過ぎて胃が混乱する。そんな毎日を繰り返すと昼寝タイムも長くなる。

                

 氷砂糖とキビ砂糖を入れた「梅シロップ」もすでに完成。梅の持つクエン酸は夏バテ・疲労回復に効果がある。冷凍梅を使えば、半分の一週間くらいで飲めるようにもなる。高齢者だらけの過疎地には梅を採らない家が続々と多くなってきている。わが家の梅は石ころだらけの所にあったので植えてから結実にはいまだ難航している。

                

 娘にも「梅シロップ」を送る。梅シロップに水を3~5倍入れれば十分美味しく飲める。炭酸水を使えばより美味いのはわかっているがくせになるのでいくつかの氷片でよしとする。このシロップを紅茶に入れたり、牛乳で割ったり、リンゴ酢入りにしたりと、いろいろバリエーションもできそうだ。政治家や官僚の劣化はもちろんコロナ禍や自然破壊による土石流など、うんざりする日々だが、この手作りのドリンクでこの蒸し暑い日々を乗り切るしかない。 

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「西洋ノコギリソウ」は傷薬だった

2021-07-05 23:36:12 | 植物

 畑の隅に今年もやってきた。「西洋ノコギリソウ」だ。葉がギザギザなのでノコギリソウ。ヨーロッパ原産らしく、古代から火傷や切り傷の薬として利用されてきた。いくつかの花の種に紛れて生き残ったもののようだ。

 繁殖力が強いので野生化している地域もあるようだ。さいわいわが畑では適度に毎年のように顔を出してくれている。生ごみに混じるとゴミを分解してくれたり、「コンパニオンプランツ」として病気や害虫から野菜を守ってくれたりする優れものだ。

 若葉を刻めばサラダとしても食用になる。もう少し広い場所に移植すれば食用として活用できそうだ。期待が高まるハーブでもある。

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土石流は来ないだろうね

2021-07-04 22:32:28 | できごと・事件

 この長雨の影響による伊豆の土石流の映像は迫力があった。それは山津波そのものだった。直面したらとても逃げられるものではない。わが家の隣の小さな道はすでに川となっていた。近くの小さな山からの水が流れているのだ。その雨水は澄んでいるのでいつもの風物詩のように眺めたものだ。

                   

 農作業が終わるころ、土で汚れたツルハシやスコップを洗うのにちょうど良い。和宮様は野菜をざっと洗うのに重宝している。わが家より上に住んでいる人もいない。今まで一番ひどいときは20cmほどの深さになったが、今回は10cmほどだった。これによって付近の降雨量の尺度がわかる。

                  

 しかし、茶畑があった石垣の隙間からは雨が止んでもどくどくと雨水が流れている。それが10か所くらいもある。もし、容量以上の雨が注いだら石垣を破壊して土石流が発生することも覚悟しなければならない。

  

 近くの川を見に行くと、濁流の勢いに圧倒される。もし、この中に落ちたら水泳の選手でも溺れてしまうに違いないと思えた。この濁流の音がわが家にも一日中聞こえるのだ。ひどい台風のときはこの状況から3m以上の上まで水が来たこともある。この川の現況からも降雨量が感覚的に推定できる。

                

 地球温暖化や気候変動の問題は一人の力ではとても太刀打ちできない。日本列島の成り立ちそのものからして自然とのかかわりは長いつきあいだった。その自然からの脅威に対し、自然を敬う心を育んだ。しかし、金満主義がはびこる現代になると自然は効率が悪い邪魔な存在になっていった。そうして環境破壊・公害問題をはじめ次々と自然破壊にいそしんだ。

 今回の伊豆の土石流も盛り土による開発行為が大きな原因のようだ。経済優先の成長神話が崩れた瞬間だが、コロナ対応の日本の遅れとダブって見えてくる。この教訓はなかなか生かされないできた。これからもしばらく人間はこりないだろうから、同じ事態が繰り返されるしかない。

                  

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「ティファニーで朝食を」は…

2021-07-03 22:12:16 | アート・文化

 一日中雨模様だったので、晴耕雨読ではなく撮りためた映画の録画を久しぶりに観る。60年前に製作された映画、オードリヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」(1961年制作、米国、B・エドワーズ監督)だった。オードリが演ずる主人公はセレブを相手に小遣い稼ぎをするのだが、この小説の原作者は「アメリカン・芸者」を想定していたという。

    

 ティファニー宝石店のウィンドウ越しにパンとコーヒーの粗末な朝食をする当初のシーンが主人公の置かれた立場を象徴する。同時に、その美貌はもちろんのことだが、それを支えたのは先端のファッションでもあった。オードリの魅力を引き出すために作られた映画のようなものだ。

                

 その当初の華麗なファッションは、最終シーンのシンプルなファッションに変化しているところに監督の意図を感じられる。というのは、偽りの愛から本物の愛をつかもうとする主人公の覚醒の象徴でもあるからだ。1960年代の豊かなアメリカのまばゆいほどの暮しが背景として出てくる。しかし、階上の偏屈な住人は日本人を表現していたが、いかにも戦勝国らしい差別観がコミカルにでていたのが不愉快だった。

                 

 ストーリーとしては平板なラブロマンスだが、オードリの魅力だけが充満した映画だった。さらには、「ムーン・リバー」の名曲が所々に効果的に流れる。映画音楽が映画そのものより凌駕するのをたびたび感じられるが、この作品はどうだろうか。(表題のオードリの画像は、web「映画com.」から)           

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ねぐらを寝取った犯人は!?

2021-07-02 22:22:21 | 生き物

  わが家のねぐらは屋内用テントの中にある。というのは、隙間だらけの古民家なので虫やクモなどの訪問者が多いからだ。ムカデはずいぶん少なくなったが徘徊していることは間違いない。このテントのおかげで蚊からも解放されている。しかし先日、寝ようと布団を持ち上げたら先客がいたのだ。それが、15mmほどの「アトボシアオゴミムシ」(オサムシ科)だった。

                  

 頭と胴部は、メタリックな緑胴色をしている。後ろの翅には一対の黄色い斑紋がある。真ん丸かと思いきやいびつなホシ型だった。テント内に侵入するはずがないにもかかわらず、チャックのわずかな隙間から侵入したようだ。ゴミムシとはゆえ、やはりメタリックな色彩にはまずはホッとする。

                   

 まずは、テントから退場してもらった。これから、夏に向かって夜の訪問者たちが多くなってくるのは間違いない。ねぐらを寝取られないよう注意しながら横になる。世界中で4万種、日本では1600種もいるというゴミムシは、自然環境の指標ともなる昆虫である。しかも、生き物の死骸を食べてくれる森の掃除屋でもある。ゴミムシがいるということはそれだけ豊かな自然環境があるという証左なのだ。名前をゴミムシというのは差別ではないかと思えてならない。

 

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