山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

重厚で先見性ある開鑿の作品

2023-09-08 22:23:02 | アート・文化

 木下恵介監督の「女の園」という作品が手ごたえある映画だと友人が言う。ネーミングからして様々な妄想が出てくるが、どうやらしっかりした学園闘争もののようだ。だんだん眼が悪くなってきたので老眼のメガネを新調してから、まずはそのDVDをみることにした。

             

 本作品は日本の敗戦後の1954年3月(昭和29年)に公開。校則をはじめ人権侵害はなはだしい全寮制の女子大が舞台だ。いまだに沁みついたそうした管理教育は現在も生き続けていることも忘れてはならない。学生の主なキャストは、高峰秀子・久我美子・岸恵子の三大女優の競演で、それぞれの立場から学校に異議申し立ての行動をとる。また、阪東妻三郎の長男・田村高広がデビューするとともに、望月優子・浪花千栄子・金子信雄・高峰三枝子らの豪華配役が懐かしい。

         

 舎監役の高峰三枝子の意地悪さが見事だが、学校側の保身的な体質をもあぶりだしている。それは現在もいくたびも問題にもなっているが、日大の体質が想起できる。映画では良妻賢母を旨とする学校への学生運動が起きるが、日大の学生はまるで羊の群れ状態になって久しい。だからおとなしい学生・若者はミーイズムに走るしかない。

 管理教育の「成果」が今日の社会を形成・制覇してしまったのを痛感する。芽をつぶされてしまった今日の労働運動の衰退もしかり。恥ずかしい限りだが、そういう視点から解けるような社会的事件は日々のニュースからも散見できる。

       

 その意味では、自由を求める当時の格調高い学生の精神が歌声とともに映し出される(弟の木下忠司は音楽賞を受賞)。当時の社会的背景としての朝鮮戦争・レッドパージ・再軍備・労働運動なども台詞や映像から間接的に伝わってくる。さすがに、GHQがすべてを支配していた時代だったので批判はできにくい。と同時に、学生運動の内部対立・分裂工作、さらには教条主義なども描かれ、その後の「運動」とその課題を予見する先見性がほの見える。

  

 この重厚な作品で、毎日映画コンクールやブルーリボン賞など、恵介は監督賞・脚本賞、高峰秀子は主演女優賞を獲得する。映画の結末は悲劇的内容だったが、高峰秀子の役者魂は、「カルメン故郷に帰る」の明るい演技とは違って、表現しにくい難しい役柄を確かな深さをもって魅了した。

 キネマ旬報の1954年度の日本ベストテンでは、第1位「二十四の瞳」、第2位「女の園」、第3位「七人の侍」と、黒澤明の「七人の侍」を抜いて恵介は1位・2位を独占している。現在から見てこれをどう評価するか、議論の余地がいっぱいある気がする。

              

 その意味では、1954年は恵介がもっとも油の乗り切っていた時期だったことは間違いない。まさに、木下恵介は黒澤明と人気を二分した巨匠であった。しかしそれ以降は主に映画の娯楽性・エンターテイメント性が重んじられ、英雄中心のドラマツルギーなどが圧倒していく。恵介がこだわってきた当たり前の庶民の慎ましさは後衛に甘んじる時代にもなっていく。

    

 その延長が現在のお笑い芸人の闊歩するイマとなった。その芸人のフットワークの豊かな精神性は否定するものではないが、失うものもあまりに大きい。その意味で、この「女の園」を観た結果、人間の自立・自由、真摯に生きること、心の余裕、自然への感謝、さりげない日常性などといった言の葉が、優柔不断なオラに迫ってきた。

    

 

      

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