山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

『最後の「日本人」朝河貫一の生涯』

2018-05-13 10:50:46 | 読書

 明治から昭和にかけて、滞米50年・国際政治学者<朝河貫一>が政府のブレーンだったら日本は優れた外交と政治ができて、数百万人の日本人の命も救えていただろう。

 阿部善雄『最後の「日本人」/朝河貫一の生涯』(岩波文庫、2004.7.)を読み終えてそんな感慨が襲う。彼は「自国の利害のために他の弱小国の利害を犠牲にするようならば、最後には必ず自国に害悪を招くにいたる」と提言し、日本の戦時体制強化を「将来きっと争乱の根本原因になるにちがいない」と何度も警告し続けたのだった。

 

                    

 そして、「自分は日本人の心が惰性的であり盲動的であり、臆病であるため、両眼を閉じていると、日本がみるみる禍難の深淵に落ち込んでいくのが目に浮かんできて、思わず戦慄してしまう」と述べ、予言通り実際に戦火が拡大していくのだった。

 

                 

 さらには、ヒットラーの自殺と敗北を予言した彼は、米大統領や日本の政府高官の大隈重信・鳩山一郎をはじめ、岩波茂男・安部能成らにもたびたび書簡を送り、日本の敗北直前まで戦争回避の手紙を送り続けたのだった。

 

    

 明治6年(1873)に生まれ、昭和23年(1948)心臓麻痺で倒れた朝河は、高い学識と英知をもって時代をグローバルに分析した稀有な日本人だった。「国家はその国民が人間性をもっているかぎりにおいてのみ、自由な独立国である」と、「驕れる祖国の狂奔に」釘を刺した。

 こうした孤高の日本人がいたことを誇りに思うが、オイラをはじめ知られていなかったところが致命的だ。彼の業績にいかに学ぶかが大切だが、相変わらず大河ドラマは戦国と明治で視聴率を狙う目先の成果に奔ってしまうのは戦前の体質と変わらない。      

 

 

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