身を傾けすぎると(茂木健一郎 クオリア日記)
吉本隆明さんの家にうかがう。
今までで一番充実した対話になった。
反省的な自己意識は、時にもやもやと
反芻的に作用し、必ずしも外への選択、
行為として表出しない。
しかし、そのようなactionにつながらないと、
通常の意味での脳科学の対象にはならない。
ある特定の分野に身を傾けすぎると、
カミュの専門家、扁桃体のエクスパート、
政治思想史の権威ということになってしまう。
しばらく前から、私は「まだ
名前がついていないこと」をしたいと
思っていた。
吉本さんが生涯をかけてそれを
自覚的に実践してきたことを知る。
つまりは、名付け得ぬものがもやもやと
自己を駆り立てる「青年期」が永遠に
続くということなり。
吉本隆明さんの家にうかがう。
今までで一番充実した対話になった。
反省的な自己意識は、時にもやもやと
反芻的に作用し、必ずしも外への選択、
行為として表出しない。
しかし、そのようなactionにつながらないと、
通常の意味での脳科学の対象にはならない。
ある特定の分野に身を傾けすぎると、
カミュの専門家、扁桃体のエクスパート、
政治思想史の権威ということになってしまう。
しばらく前から、私は「まだ
名前がついていないこと」をしたいと
思っていた。
吉本さんが生涯をかけてそれを
自覚的に実践してきたことを知る。
つまりは、名付け得ぬものがもやもやと
自己を駆り立てる「青年期」が永遠に
続くということなり。