マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

早めの予約

2006-09-05 18:13:11 | お客さん
今朝、しばらくステイしていたFちゃんが帰って行った。
今回の滞在も楽しかったようで、帰り際に次回の予約もしていった。
今度はクリスマスシーズンに我が家に来たいとのことだった。
たいしたもてなしはしてない上に、今回は食事まで作ってもらったのに、それでも居心地はいいのかな。
何はともあれ喜んでもらえるのはうれしい。

大きな荷物は、ゆうパックで送った。
幸い家のすぐそばにローソンがあるので、そこから送れる。
しかもスーツケース(大きさにもよるが)でも愛知県まで1000円~2000円くらいで送れる。
大きな荷物を運ぶ手間を考えると結構お得にも思える。
しかも翌日には届くので、便利だとおもう。
最近我が家に泊まるお客さんに宣伝している。
この夏の間でもう4回ほどは利用した。




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6世紀末~8世紀の教会

2006-09-05 01:04:09 | 神学校・講座
教会史の課題であるテキストの予習。
「基督教全史」の17,18章を学んだ。
この二つの章では、6~8世紀の教会の様子を学んだ。

当時の教会は、異民族の侵入やイスラム教の広がり、異端と呼ばれるアリウス派のキリスト教への対応、ヨーロッパ北西部への宣教という課題を抱えていた。

■イスラム教の拡大
イスラム教:マホメッド(570-632)が610年頃より一神教の教えを説き始める。
徹底した偶像礼拝への反対を主張。
そのため敵対者も起こったが、三年間で親族の中から12人の信奉者を得た。
いったんは、反対者のためメッカを離れなくてはならなくなった。
その後勢力を盛り返し、630年頃にはメッカを攻略。
彼が死を迎える時には、アラビヤ半島の外まで広がっていく勢いだった。
イスラム教の広がりとしては、彼の死後より一層勢いが増していった。
630年代にはシリヤとパレスチナを征服。
637年にはイスラム寺院がエルサレムに建てられる。
10年以内にエジプトが、652年にはペルシャもその支配下に入れられる。

こうしたイスラム教の拡大の影響で、東方教会も西方教会もともに損失を受けた。
エルサレムは奪われ、北アフリカの教会は消滅した。
東方教会は、イスラム教徒のコンスタンチノープルへの侵入を防ぐのが限界だった。
西方教会は、ヨーロッパ北西部への宣教活動に取り組むことになる。
なお、東方教会(アレキサンドリア、アンテオケ)の弱体化は、相対的にローマ監督の権限の強化につながった。

■ヨーロッパ北西部への宣教
アイルランドの教会は、6世紀末から8世紀にかけて北ヨーロッパのキリスト教文化の重要な発信地となった。
コランバヌスはブルグンド人へ派遣される。
コランバはスコットランドへ派遣される。
しかし、後に8世紀~9世紀のバイキングの侵入によってアイルランドの教会は打撃を受け、10世紀には衰退してしまう。
イギリス国内でキリスト教が伝えられる中で、あらたな問題点が起こる。
それぞれ信仰のスタイルの異なるケルト人信者とローマ・カトリック信者との間で衝突が起こる。
それを受けて、イギリスを統治していたアングロ・サクソン人は、ローマ・カトリックの側につくことを決めた。

■西方における帝国主義の復活
ローマの監督が自らの権威と財産を守ってくれる勢力を求めた。
フランク人がその役割を担うことになる。
フランク人を統一した最初の指導者クローヴィス(メロヴィンギャ王朝)。

王宮の執事長が政治的実権を執るカロリンギァ王朝。
カルル・マルテルは732年のトゥール会戦でイスラム勢力から西ヨーロッパを守る。

その後を受けたのは、彼の子ピピンだった。
事実上カロリンギァ王朝の最初の王になった。
当時の教皇ステパノ二世は、754年ピピンをフランク人の王として認め王冠を授けた。

シャルルマーニュは768年、王位に就く。
800年には西ローマ帝国の皇帝になる。
彼は有能な人物で、彼のもとに領土が広がり、国内は安定した。
ローマ教皇は、彼に皇帝の称号と冠を冠を授けることで、自らの地位を高めることとなる。
シャルルマーニュは、東ローマ帝国と東方教会へも関心を向け、西方との統一を試みた。

■教会における課題
8世紀・9世紀は聖像の問題で悶着があった。
レオ三世は教書で聖像の使用を禁じ、破壊を命じた。
一方、シャルルマーニュは聖像の使用の擁護を声明した。

ダマスコのヨハネ(700年頃-754年)の「知識の泉」は、彼の定式化した神学思想を示し、東方教会の神学者たちの権威書となった。
「正統信仰について」は、4世紀から彼の時代までの教父と会議で展開された神学の集大成である。



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