マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

特別行事のご案内

2020-11-28 12:02:00 | 神学校・講座

本日14:30から、聖書宣教会 第38回 賛美礼拝が開かれます。

これは毎年の恒例行事で、通常は神学校のチャペルにて催されます。ですが、今回はオンラインで配信されることになりました。
 
讃美歌、聖書の朗読や説教をもって、神に礼拝をささげます。
 
礼拝プログラムの詳細はこちら
 
参加希望者は、聖書宣教会のサイトにアクセスの上、賛美礼拝のコーナーより参加できるそうです。
 
 
こちらは、かつて私が神学校在学中に撮った、会場(チャペル)の写真。


 
 

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Happy birthday

2020-11-19 22:30:00 | ちょっと息抜き

妻の誕生日。

今日のところは自宅でささやかにお祝い。
 


栗の風味豊かなケーキを紅茶とともに。
 
過ぎし一年の感謝…
新たな一年の祝福…
共に喜んでくださる方々の幸いを祈りつつ。
 
コロナ禍の中、再び大変な状況です。
皆さまも、どうぞお気をつけて。
そして、不自由さや不安の中にも、ささやかな気晴らしや心のゆとりも見つけられますように。

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望み

2020-11-12 12:43:00 | 教会の風景

先日の日曜日の礼拝には、R宣教師を講師としてお招きしていました。ご夫妻で東村山聖書教会を訪ねてくださいました。


R宣教師ご夫妻には、これまでも個人的にお世話になりました。私たち夫婦が牧会上の困難な課題に直面した時、相談に乗って頂いたこともありました。お二人の信仰や人柄により、随分励まされてきたのです。
 
今回は、お忙しい中、私たちの教会のためにスケジュールを調整して来てくださいました。本当にうれしいことです。
 
ところで、今回の礼拝の説教は、新約聖書のペテロの手紙第一1章3-5節からでした。
 
「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。
また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。
あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりの時に現されるように用意されている救いをいただくのです。」
 
神が私たちに与えてくださった…生ける望み、天に蓄えられた朽ちない資産、力強い守りについて思い巡らすひとときになりました。
 


 
今回も、密を避けるためにオンラインを併用した礼拝としました。会場に集まった方々ばかりでなく、オンライン上で礼拝の時間をご一緒できた方々もいて、幸いな集いとなりました。感謝。
 
 
 
 

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喜ばしい日

2020-11-07 20:37:48 | 教会の風景
この前の日曜日のことです。
洗礼式を執り行いました。


かねてから、洗礼に向けて聖書の学びをしていた、若い二人がこの日を迎えました。
 
これまでに二人は所定の学びを終え、役員会による試問も無事にクリアしていました。
はっきりと信仰を表明し、洗礼を受けたいという意志も確認されています。
 
途中、コロナ禍で準備会も滞っていましたので…
一層感慨深い思いで私も式に臨みました。
 
 
ちなみにその日の説教は、洗礼について語りました。
 
ローマ人への手紙6章1-11節
「… 3. それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
4.私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。…」
 
 
キリストと一つにされて、新しいいのちに歩む二人のこれからを見守っていきたいと思います。
何より喜ばしく、またその責任を思うと身の引き締まる思いです。
 
礼拝後には、二人にお祝いの花束を。



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Footprints16

2020-11-02 18:51:00 | Footprints

久しぶりにFootprintsカテゴリーの記事を記します。



このことを書いておかないと、自分の気持ちにも区切りがつかないな…と思いましたので。

一ヶ月前に父が亡くなりました。

この四年ほど、父はガンの治療を続けていました。手術を受けて一旦は落ち着いていたものの、その後、再発。薬の副作用の大変さにも耐えながら、本当に最後まで懸命に生きた姿は父らしいものでした。一方、自分の最期を意識して周到な終活もしていました。残された家族を思う、父なりの優しさや心遣いからだったと思います。

父は頑固で一徹なところもありましたが、私の選択も尊重してくれました。私が父の期待から外れた道を選択したのにもかかわらず。家族の中では誰もキリスト教を信仰していなかったのに私がクリスチャンになろうとした時も、また牧師を志す道を選んだ時も、おそらく心情的には言いたいこともあったのでは…と思いますが、父は私の選択を否定しませんでした。

父は仕事やスポーツ(卓球)の分野で地域や社会に貢献することを心がけていた人です。それで、まったく分野は違いますが、私のことも地域や人々の役に立つようにと尊重してくれていたのだと思います。亡くなる二週間ほど前に父とやりとりしたメールで、このような返信がありました。「おはよう。いまが孝則の一番充実した時です。頑張ってね。メールありがとう。」

結局、父の病状はかなり進んでいたのにもかかわらず、コロナ禍のため面会もかなわず、最期までメールと通話でしかコミュニケーションが取れませんでした。でも、こうして父のメッセージが私の手元に残っているのは、せめてもの慰めです。まだ一ヶ月余ですので気持ちの整理をしつつ、父を偲ぶこともしばしばです。私にとって、父は大切な理解者であり、尊敬できる人でした。


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