マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

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2010-07-31 17:42:49 | 教会の風景
日曜の分級で二年ほどかけて、「神の国はあなたがたのもの」 内田和彦 著 いのちのことば社を毎週1課ずつ読み進めてきました。
分級の参加者のみなさんといっしょに、山上の説教の理解を深めることができたのではないかと思います。

私としては、教会の方々にできるだけ多くの良書に触れて頂きたいという思いです。
もちろん、礼拝説教の準備も私なりのベストを尽くすように心がけてはいますし、向上のための学びの機会も活用していますが。
それでも私の力量不足は明らかですし、それで教会のみなさんの信仰生活が偏っては申し訳ないですので。
それに、良書が簡単に手に入るのですから、活用しない手はないでしょうから。

さて、そして明日からは・・・
「絶えず祈りなさい」 アンドリュー・マーレー 著 いのちのことば社出版部 訳  
今年の限定復刊で再版されたものです。
祈りの勧めが、日課として31課にまとめられています。
これを毎週1課ずつ読み進めます。
みなさんの日常の祈りの助けとなればいいなと願っています。


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誰のシナリオ?

2010-07-28 15:39:04 | 教会の風景
日曜夕方のYouth For Jesusでは、引き続き「使徒の働き」から学んでいます。
The Bible Speaks Today/ The Message of Acts : John R.W.Stott
The Daily Study Bible Series/ The Acts of The Apostles : William Barclay
・・・などの本も参考にしながら、ユースのみなさんといっしょに学んでいます。
コツコツ続けることで、まず自分自身が教えられています。

使徒の働きは、ルカによって記録された初代教会の歴史です。
神が、ご自分のシナリオに沿って、エルサレムから地中海沿岸の各地へと福音を届けています。
そこには確かな計画性や連続性があります。

最近学んだ13章の前後では・・・
エルサレムへの支援を届ける任務を果たしたバルナバとサウロ(12:25)に、次の務めが託されました(13:2)。
そこには、教会を導いている聖霊の主権的な働きかけがありました(13:2,4)。

もちろん、各自の決断と責任において行動するのは言うまでもありませんが、シナリオは神のものです。
神のご計画のもとに、ひとりひとりがふさわしい活躍をできるようにと祈っています。




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夏メニュー

2010-07-28 13:34:13 | 教会の風景
暑い日が続いていますね。
みなさんも体調管理に気をつけてくださいね。

そうそう、この前受けた、市の健康診断の結果も出ました。
すべての数値で「異常なし」でした。

慢性的な運動不足という課題はあるものの・・・
訪問や教会の作業などで、身体を動かす機会を最低限キープしています。
たぶん体力はあまりありませんが・・・
豊橋にいた頃の、常に車移動の生活よりは、体調が良いと感じています。


さて、日曜日のユースの夕食も、夏メニュー。
ツナおろしスパでした。
手軽でおいしく、好評でした。



デザートも。




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アイデンティティ

2010-07-27 20:58:43 | 教会の風景
7月の礼拝説教のあらすじを掲載します。
出エジプト記33,34章からです。
私たちは、何を求め、何に喜びを見出しているでしょうか?
教会が教会であることの本質は、どんなところにあるのでしょうか?



金の子牛の事件が決着したところで、再びモーセに「ここから上って行け」(1)という指示があった。主は、アブラハムとの契約ゆえにイスラエルに真実を尽くそうとなさる。しかし、23:20,21の使いの先導の約束と決定的に違うのは、「わたしは、あなたがたのうちにあっては上らないからである。」(3)と主が明言したことだ。民は、その知らせを嘆き、飾り物を身に着けないことで悲しみを表現した。神の民のアイデンティティは、『神がともにおられるということ』にある。キリストの贖いによって、神が私たちとともおられるとは、なんと恵みに満ちた救いであろう!

 神がモーセに告げた幕屋(25章以降)の建設以前に、会見の幕屋が宿営の外に設けられていた。主はモーセを特別に選び、「自分の友と語るように、顔と顔とを合わせて」(11)、率直にその御旨を告げていた。モーセはそのような神の選びと恵み深さに信頼して、大胆な願いを神に申し上げた。『神の選びとモーセの願い』を通して、神の恵みの豊かさと憐みの深さがますます明らかにされる。「どうか、あなたの栄光を見せてください。」(18)という冒険的な願いにも、「あなたはわたしの後ろを見る」(23)と主は答えた。「うしろ」のみに限定されたのは、「神の栄光の輝き、神の本質の完全な現れは御子による」と新約聖書で言われているとおりである(ヘブル1:1-3)。

 モーセは指示されたとおり、再びシナイ山に登った。そこで、彼は主に会い、『主の名による宣言』を聞く。「主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。・・・」(6,7)は、その後のイスラエル人らの神理解の基礎となった。宣言を聞いたモーセがそうであったように(8)、いつの時代の信仰者も、恵みと真実に満ちた神の憐みを求めて御前にひざまずくのである。神を知る者は、神の御前における自らの罪深さを認め、それと同時にいよいよ神を慕い求めるのである。

最後まで読んで下さって、ありがとうございます。



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成長

2010-07-23 22:23:36 | 教会の風景
「私の兄弟たち。
さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。
そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」
ヤコブ1:2-4

神さまがどうしてこのような出来事をお許しになったのだろうかと思うようなことがあります。
でも、そこから逃げ出さず、向き合い、ますますみことばに聴き続けようとする方々がいます。
きっと、試練を乗り越えて、信仰者としてひとまわりもふたまわりも大きく成長していくのでしょう。



さて、今日の夕方、教会のみかんの木にアゲハチョウの幼虫を見つけました。
ちょうど、一つの枝に3匹もいました。



いずれ、庭を優雅に舞うようになる時が来ることでしょう。




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