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マイペースで行こう

東京都東久留米市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、20年目に入りました。

Footprints17

2025-03-21 22:47:00 | Footprints
この春は一つの節目となるので、記しておきたいと思います。

2025年3月16日午後、牧師任職式が執り行われました。これまで一年間、私が協力牧師として働いていた教会です。
先月の総会の決議を経て、主任牧師に任職の運びとなりました。司式は、私が愛知にいた20代の頃からお世話になり、神学校でも教えて頂いた、U先生がお引き受けくださいました。神の不思議なご摂理に感慨深い思いです。

会衆の立会いのもと、この教会で仕えることを神の御前に誓約しました。神の教会で私にゆだねられた務めを果たせるよう励んで参ります。




多くの教会員の方々の積年の祈りと労苦が背後にあり、慈愛に富む神が顧みてくださり、牧会の大切な務めが継承されていきます。とても身の引き締まる思いです。






式とレセプションを終えて解散後、日頃お世話になっているカフェにも、ご挨拶がてら夕食で伺いました。
食後のデザートで粋な心遣いを…ありがとうございます。ようやく緊張感が少しほぐれて、ホッとしました。




今回も最後に賛美を。
私がまだ20代後半の頃、理想と現実の間、自分と教会のあり方に葛藤していた頃に慰めを得た聖書のことばにちなんだ歌です。
私は心もとない弱い人間ですが、神は真実な御方です。


詩篇73:21-24/Lyre



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Footprints16

2020-11-02 18:51:00 | Footprints

久しぶりにFootprintsカテゴリーの記事を記します。



このことを書いておかないと、自分の気持ちにも区切りがつかないな…と思いましたので。

一ヶ月前に父が亡くなりました。

この四年ほど、父はガンの治療を続けていました。手術を受けて一旦は落ち着いていたものの、その後、再発。薬の副作用の大変さにも耐えながら、本当に最後まで懸命に生きた姿は父らしいものでした。一方、自分の最期を意識して周到な終活もしていました。残された家族を思う、父なりの優しさや心遣いからだったと思います。

父は頑固で一徹なところもありましたが、私の選択も尊重してくれました。私が父の期待から外れた道を選択したのにもかかわらず。家族の中では誰もキリスト教を信仰していなかったのに私がクリスチャンになろうとした時も、また牧師を志す道を選んだ時も、おそらく心情的には言いたいこともあったのでは…と思いますが、父は私の選択を否定しませんでした。

父は仕事やスポーツ(卓球)の分野で地域や社会に貢献することを心がけていた人です。それで、まったく分野は違いますが、私のことも地域や人々の役に立つようにと尊重してくれていたのだと思います。亡くなる二週間ほど前に父とやりとりしたメールで、このような返信がありました。「おはよう。いまが孝則の一番充実した時です。頑張ってね。メールありがとう。」

結局、父の病状はかなり進んでいたのにもかかわらず、コロナ禍のため面会もかなわず、最期までメールと通話でしかコミュニケーションが取れませんでした。でも、こうして父のメッセージが私の手元に残っているのは、せめてもの慰めです。まだ一ヶ月余ですので気持ちの整理をしつつ、父を偲ぶこともしばしばです。私にとって、父は大切な理解者であり、尊敬できる人でした。


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Footprints 15

2019-04-04 19:15:00 | Footprints

 

牧師として働き始めて、14年目を迎えました。

13年間いろいろなことがありました。東京に来た当初には予想もしなかった状況にありますが、これまで私の経験してきた一つ一つが今につながっているように思います。そして、それは「今に」というだけでなく、「将来に」つながるとも言えます。

 

今日のウォーキングの最中、あるPodcastを聞いていました。

 Beeson Divinity Podcast

John Calvin: A Reformer for Our Time

この講義の中で、ふと私の心に留まったことがありました。

宗教改革の先進的な神学者、カルヴァンの一つの特徴に refugee (亡命者)だったことを挙げています。彼はフランスから、迫害から逃れて、ジュネーヴに身を寄せて、働きの場としました。

当時の状況からそうせざるを得なかったのでしょうが、その状況、その条件で、後々までも残る働きをしました。神のなさることは、人の思いを超えています。

 

途中から脱線して、スケールの大きな話になってしまいましたが

身近な話に戻しますと、私も含めて今の開拓教会に集う方々は、ある意味で「流れ着いた者」同士という見方もできるかなと思います(教会の皆さん、失礼な言い方ですみません)。でも、だからこそ信仰や教会について大切にできる視点や志もあるのではないかと私は思っています。

この時代にあって、聖書に基づく教会のあり方、健全さを共に追い求めていく交わりは、私にとって慰めに満ちたものです。新年度を迎えて、この一年も神のみこころが実現していきますように。


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Footprints14

2018-06-21 13:53:07 | Footprints
6月17日の主日礼拝には、母校の恩師であるM先生を講師にお迎えしました。
その礼拝の中で、説教だけでなく按手礼式の司式をして頂きました。

私はこれまで、神学校を卒業するまでは按手礼を受けないと決めていました。
牧会の現場では「牧師」としての実際の働きを担っていましたが、自分なりの考えで線引きをしていました。
もちろん、それぞれの教団教派や教会の文化もありますが、私の場合は神学教育の重要性を意識してのことでした。
経験を積んで学んでいく部分もありますので、生涯にわたって学び続けるのは言うまでもありませんが、基礎となる神学教育を大切にすべきだと考えています。

振り返ってみますと…
高校生のときに献身の願いが与えられながら、紆余曲折を経て、四十を過ぎてから正式に牧師就任の按手礼を受けました。
随分と回り道をしたようにも思えますが、私には必要な訓練の期間だったのだろうと受けとめています。

この日は、多くの方々の立会いのもと、一つの大事な節目を刻むことができて幸いでした。
このように与えられた節目を記念して、ひとこと記しておくことにしました。


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Footprints13

2018-01-04 10:00:54 | Footprints
東村山聖書教会の歩みが3年目に入りました。
私としても思いがけず、再開拓という形で急展開することになった宣教の働きです。

ですが、この2年を振り返ってみれば、主の憐れみは尽きず、主の真実は揺るぎないものだと学ばせて頂くことになりました。



かつて、20代後半のときに、私はこの聖書のことばから教えられました。
(使徒の働き8章5-8節, 26節)
「ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、彼が行っていたしるしを見て、彼が語ることに、そろって関心を抱くようになった。汚れた霊につかれた多くの人たちから、その霊が大声で叫びながら出て行き、中風の人や足の不自由な人が数多く癒やされたからである。その町には、大きな喜びがあった。… さて、主の使いがピリポに言った。『立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。』そこは荒野である。」

ピリポが、迫害を避けてサマリヤに向かい、そこで宣教の働きの豊かな実りを経験しました。
しかし、そのサマリヤでの実り多き働きから、今度は別の使命を帯びて遣わされます。
その向かった先は、荒野の中の道だったといいます。

当時の私は、ピリポのこの柔軟な切替の姿に教えられました。
単に自分の成功や安定を求めるならば、サマリヤにとどまっていても良いのに、ピリポは惜しげもなく次なる働きに向かいました。
そして、ピリポはそこでも務めを果たして、救いを求めるひとりの人をキリストへと導きました。



この開拓教会の2年間の宣教の働きも、それ以前の働きの条件からすれば、本当に何もないところから始まりました。
それでも、新たに求める方々も加えられ、ご自分の信仰を見直したり、教会に通うのを再開する方々の助けとなるように役立てられました。
主は、万事をご自身の計画に基づいて、成し遂げる方です。
今年も、主の導きにしたがって一歩一歩、進んでいきたいと願っています。



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