マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

再開

2016-08-29 22:49:19 | コラージュ
今日は神学校の帰寮日。
夕方には、恒例となっている家族寮の夕涼み会がありました。

それぞれの夏のスケジュールを終えて、久しぶりに神学生とその家族とが集まりました。
今回は、夏の間に結婚したTさん夫妻の家族寮メンバーへの歓迎会も行われました。
お互いの夏の間の経験も分かち合いながら、にぎやかな時間を過ごしました。

明日は大掃除、そして水曜日からは授業再開です。
前期の後半に入ります。
試験や課題提出を控えていますので、早速切り替えてスピードを上げていかなければなりません。
集中、集中。

そんな気持ちを表現してコラージュ。

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またもびっくり!

2016-08-23 22:54:26 | 教会の風景
日曜日のサプライズはうれしいものでしたが、今度のびっくりは面倒なことです。

昨日の台風9号の接近、通過による大雨で、まさかの浸水。
不動産の方が昨日連絡をくださったものの、私たちはすぐには動けず、業者さんの手配をしてくださいました。


それにしても、その部屋は4階なのに...なぜ?
今日、実際に行ってみて、現場を観察して原因を考えてみました。






どうやら、ベランダの唯一の排水口が流れにくくなっていて、一度に大量の雨水がたまり、それがドアの隙間もしくは壁の隙間から流れ込んだのか...






水の跡からすると部屋の中に2センチくらいはたまっていたようです。
今日は、もうだいぶ水がひいた後でしたが、残りの水を出して拭き掃除をしておきました。


改めて業者さんと相談して、対策を考えていきます。
うーん、こんなこともあるんだなぁ。

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サプライズ

2016-08-21 22:44:49 | 教会の風景
今日の礼拝では、宣教団体の方に来て頂いて、世界宣教に関する報告を伺いました。

この日本から世界各地の宣教の最前線へ。
私たちは直接その場に行くことはできませんが、その実情や出来事を知り、祈ることはできます。
各地にキリストを信じて新たな人生を送る方々がいます。

私たちに託されている宣教の使命を再認識しました。

礼拝後は一緒に昼食をとりながら、第二部。
質問をしたり、いろいろなエピソードを聞いたりと楽しい語らいの時間でした。

...と、その時に、サプライズでY先生の訪問!
びっくりしました。
近くの教会に説教奉仕でいらっしゃったとのことで、帰りに立ち寄ってくださいました。
驚きましたが、うれしい訪問でした。



きょう一日の予定を終えて、寮に戻った時の空がきれいだったので写真に。



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夏の特別企画

2016-08-21 00:39:38 | 教会の風景
今晩は教会を会場に青年会で夕食会。
お互いに、顔を合わせる機会が以前より減っていますが、この夏もそれぞれ元気に過ごしているようです。
今日はゆっくり時間をとって、楽しい語らいの時間を過ごしました。





食事は近所のカレー屋さんからテイクアウトにしました。
また、ドリンクやデザートの差し入れもあって、盛り沢山でした。

みんな、それぞれ忙しい中で、都合をつけて集まりました。
その分今晩の会を楽しんでもらえたのかな...
私も随分笑ったなぁ。
残念ながら今回は都合のつかなかった人もいますので、いずれまたこういう機会を作りたいと思います。

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初めの愛

2016-08-19 00:00:17 | 教会の風景



昨晩は定例の祈祷会。
集まった方々と聖書を読み、お互いの心に留まったことを分かち合いました。
今回は、ヨハネの黙示録2章に記されているエペソにある教会へのメッセージからでした。
その中で、みなさんが「初めの愛」というフレーズを取り上げてくださいました。
それで、神への愛と互いに対する愛が取り戻されるようにと心を合わせて祈りました。

ちなみに、エペソは、小アジヤの大きな町の一つで、女神アルテミスの神殿があることで有名でした。
その地域にある教会は、内に外に多くの課題を抱えていました。
エペソの信者たちがそうした課題に辛抱強く取り組んでいたことは、主もよくご存知でした。
けれども、その一方でエペソの教会は、いつの間にか大切なことを見失ってしまっていたようです。

(ヨハネの黙示録2:4,5)「…あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」

「初めの愛」を失ってしまったら、教会が教会ではなくなってしまいます。
たとえ建物や人の集まりがあったとしても、神の御前に教会とみなされず、御霊の働きが失われ、宣教の使命が取り去られるとしたら悲しいことです。
主は、初めの愛を失ってしまった教会に悔い改めを呼びかけています。


さて、徐々に掲載が追いついてきましたが、過去の礼拝説教のあらすじを掲載しておきます。

2016年5月 礼拝説教 旧約聖書講解のあらすじ ヨシュア記8章
 宗教改革者ルターは、主イエスの教えより信者の全生涯が悔い改めであると教えた。ヨシュア記の記述によれば、不信の罪を犯したアカンへの処罰を終えると、イスラエルの民に対して(7:26)「主は燃える怒りをやめられた」。そして、再びヨシュアに励ましのことばをかけた。(8:1)「『恐れてはならない。おののいてはならない』」。神は、罪を認めて立ち帰る者を見捨てない。ここでは「わたしはアイの王と、その民、その町、その地を、あなたに与えた」と宣言し約束している。この時、主がヨシュアに命じた伏兵による戦術は、先のイスラエルの敗走をアイの住民に思い起こさせ油断させて、イスラエルに勝利をもたらすものだった。ここに、憐れみ深い神がお与えになる回復、やり直しの姿を見る。神はなんと憐れみ深いのだろうか。神に立ち帰ることをためらっていてはいけない。
 ヨルダン川を渡る前のイスラエルの民にモーセが命じていたことがある。川を渡った後、『エバル山にて』祭壇を築き、そこでいけにえをささげるようにとのことだった(申命記27:2-)。このエバル山は、アイの町から北へ30㎞に位置している。イスラエルの民は、モーセの命令に主の権威を認めて、忠実に実行した。民はエバル山に祭壇を築き、いけにえをささげて主を礼拝した(8:30,31)。この時、在留異国人をも含む民の一団は、エバル山とゲリジム山の前で、契約の箱を担ぐ祭司たちの前に立ったが、それは民の祝福のためだった(8:33)。また、律法の朗読も行われた(8:34)。祝福された信仰共同体として、私たちは聖書の権威を認めて、主を礼拝するものでありたい。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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