マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

ぴっかぴかに

2015-08-29 22:30:34 | 神学校・講座
今日から、学校での活動が再開。
大掃除からです。
今回の担当は、チャペルの掃除と研修棟の廊下のワックスがけでした。











チームワークの良さ(?)も手伝い、楽しく作業しながら、すっかりきれいになりました。
いよいよ週明けから授業も再開です。

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8月後半

2015-08-29 00:03:22 | 教会の風景
8月後半、いくらか過ごしやすくなってきました。
体調を整えながら、教会の仕事と神学校の学びに取り組んでいます。

このところの学びは、現代神学のクラスのレポートのために本を取り寄せ、読書に励んでいるところです。
自分なりのテーマを設定するところまでもう少し。

さて、話は変わりますが、今度の日曜日は第5日曜日ですので、東京教会での合同礼拝です。
今回の礼拝奉仕は東村山教会の担当ですので、私が説教の奉仕となります。
ヨシュア記1章より準備を進めています。


最後に、月末を迎えましたので、8月の礼拝での旧約聖書の講解説教(申命記33章・34章)のあらすじを掲載しておきます。

 モーセは死を前にして、イスラエルの民を祝福した(33:1)。その祝福のことばでは、 主がエシュルン(イスラエル)の王となり(33:5)、力強い助けがあり(33:26)、「住む家」(33:27)だと述べられている。主が、民にとって安心できる身の置き所、永遠に 変わることのない支えとなっている幸いを思う。モーセは、「しあわせなイスラエルよ」 と呼びかけ、『だれがあなたのようであろうか』と続けた(33:29)。エジプトを出たイスラエルの歩みにも、多くの苦しみ、失敗と危機があった。それでも、主が救ってくださったという幸いはこの上ない。私たちは何をもって「幸せ」と考えているだろうか。
 ついに主のしもべモーセは最期を迎え(34:5)、務めはヨシュアに継承される(34:9)。 聖書は、「『モーセのような預言者』は、もう再びイスラエルには起こらなかった」 (34:10)とし、モーセを「顔と顔とを合わせて選び出された」特別な存在と伝える。それは奇蹟にも現れている(34:11,12)。しかし、(18:15)「私のようなひとりの預言者 をあなたのために起こされる」ともあるのは、どういうことか。(ヘブル3:1-6)では、忠実な主のしもべモーセに対比して、キリストが御子として忠実に神の家を治めると語られる。時代の変化を感じる昨今だが、イエスは今も変わらず忠実に神の家を治めている。私たちは、なおも主イエスに信頼し、望みを抱き続ける。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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恒例になりました

2015-08-09 22:04:27 | コラージュ
久しぶりのコラージュです。



ここ数年、年に一度、学び会の始めにコラージュ作成をしています。
今回のテーマを「最近の私」として、互いの近況報告を兼ねました。

この会に参加してくださったみなさんはもう慣れたもので、それぞれ思い思いに作品を仕上げていました。
テーブルごとに作品の説明をしながら、近況報告をしました。

これまでのみなさんの作品の写真を、学び会の資料の表紙に掲載しているのですが、そろそろ1ページに載せられなくなってきました。
年に一度ではありますが、恒例になりつつあります。


ちなみに、私のはコレです。
タイトルは、「熟成気分」。




じっとしていたい気分を表現しました。
7月は活動が盛り沢山の一ヶ月でしたので、8月は落ち着いて、学びと9月以降への備えをしていきたいと考えています。

とりあえず、サッと作ったのですが、随分まとまりがなく雑然としている印象も持ちました。
センスの問題もあるでしょうが、これも今の私のコンディションと言えそうです。

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見直し

2015-08-04 13:38:21 | 教会の風景
今日から前泊で研修へ。
牧会セミナーに出席します。

今回も良き学びと静まりの時間となることを期待しています。
静まりとともに、牧会10年目を迎えた自らの使命と働きを見直したいところです。


さて、月報に掲載した7月の説教のあらすじをこちらにもアップしておきます。

7月の礼拝説教のあらすじ(旧約聖書講解 申命記32章)
 前回に続き、賛美を考える。モーセは民に歌を教えた。「主は岩」と歌われ、信頼するのがふさわしい(3,4)。一方、民は「愚かで知恵のない民」(5,6)とされ、不誠実とされる(15)。そして、その歌は主の懲らしめと回復にまで言及する。モーセは民に、この歌のことばをよく考え、しっかり心に留め、継承するよう命じた(46)。なぜそれほどまでにこだわるのか。この歌とその基になる律法は、『むなしいことばではなく、いのち』(47)だからだ。賛美は教育的役割を持つ。それゆえ、歌われる賛美のことばが聖書の真理に基づくか否かは重要である。
 聖書は、『この同じ日に』として、主からモーセに与えられた最後の命令を記している(48)。民を教えるモーセの使命の終わりを意味する。ネボ山に「登れ」という命令は、主がモーセに約束の地を眺めるのをお許しになったこと(49)と、そこがモーセの最期を迎える地であること(50)とに通じる。神は人に使命を授け、人生には目的があるが、いつか終わりを迎える。モーセは主と民に忠実に仕えたしもべだったが、メリバでの一度の失敗、不信の罪を聖書は伝える(51,民数記20:10-12,詩篇106:32-33)。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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実習とその後

2015-08-03 23:19:09 | 神学校・講座
今年の夏期調整期間も半分が過ぎました。
7月は、伝道実習(キャラバン)、教会音楽の夏期講習のお手伝い、岩手でのボランティアへの参加で瞬く間に過ぎていきました。
特に、キャラバンとボランティアの参加は私にとって有意義な経験となりました。

今回のキャラバンは、(新約聖書 Ⅰテサロニケ5:11)より、「主にあって互いに励まし合い、建て上げられていく」とテーマを掲げていました。
準備段階から祈りとみことばと語り合うことを大切にし、ミーティングを重ねて実習期間を迎えました。
そして、実習先のみなさんとの出会いと交わりを通じて、多くの励ましと学びの機会を頂きました。
短期間の実習ですし、どれだけ先方のお役に立てたのかは分かりませんが、主が備えてくださった時を心より感謝しています。
今回のキャラバンが、常日頃からの問題意識や悩みにも示唆を与えられる、貴重な機会となりました。

写真は、キャラバン最終日に訪れていた軽井沢の朝の青空です。


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