知って得する!トリビアの泉
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 今日は朝からデイサービスへ行ってきた。朝から面白いことを考えていた。よく話す仲間にあざなを付けてやろうと。山本さんは、これから釣りキチ三平と呼ぼう。どこであっても、釣師が着るようなチョッキを着ていて、その姿が板に付いているからである。山本さんに向かって「三平さん何してるんですか」と言ったらこの呼び方が気に入ってくれたみたいで笑いながら返事をしてくれた。その次に考え付いたのが、梅本さんの山下清である。杖を持って歩く姿が清そっくりなのである。本人も清さんと呼んであげると、しっくりしているみたいで、喜んでこっちを見てくれる。その次は、この前つけたあざなが、しっくりとしていると思ったので、これを使うことにした。岡本さんをおじぞうさんと呼ぶことにした。本人はあまり気に入っていないみたいである。でもこの呼び方が、しっくりくるのである。その次が大川龍法さん。本人もこの龍法さんと呼ばれることを、気に入ってくれたみたいであるので嬉しい。最後まで迷いに迷ってつけたのが、加藤さんのあざなである。雰囲気がとっても似ているので、岡本太郎にした。本人も太郎さんと呼ぶとこっちを向いてくれるので、まんざらではないらしい。

追申
 朝、目覚めたとき井川さんのあざなを思いついた。井川さんがこの病気になる前の趣味はオートバイでツーリングすることであった。日本中の大地を駆け巡られたのである。ですから、あざなを井川大地とする。大地さん。かっこいいじゃないですか。井川さん。気に入ってくれましたか?


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 青い空、緑の田んぼ。のびる線路に、1両だけの赤い気動車がゆく。日本の農村の原風景だろう。宮城県北部を東西に走った「くりでん」もそんな鉄道だった。くりはら田園鉄道は昨年春、惜しまれながら約90年の歴史を閉じた▼地元栗原市の依頼で廃線後の地域おこしを探っていた専門家が、岩手・宮城内陸地震で亡くなった。観光コンサルタントの麦屋弥生さん(48)と、鉄道博物館学芸員の岸由一郎さん(35)だ。当日は近くの湿原を見る予定で、温泉宿で市職員を待っていた▼麦屋さんは今年初めの市広報誌で市長と対談し、観光の役割を熱く語った。「自分たちの古里を再評価して、そこで生きていく自信をつけていく事業だと思います」。方言までも「この地の人と会って話さないと聞けない、究極の観光資源」とみていた▼岸さんは鉄道ファンの間では知られた人物だった。消えゆくローカル線の資料を残そうと奔走し、この人に救われた車両も多いという。くりでんの史的価値にも早くから注目していた▼週末の朝にもかかわらず、この地震では仕事中の受難が多かった。落石防止の工事現場では、まさに作業が始まったばかり。温泉宿の働き手は、朝ごはんの慌ただしさに包まれていただろう。そして、知恵を求められたプロ2人▼日本の観光資源の多くは、自然と歳月の産物だ。大地の営みは美しい景観や温泉の恵みをもたらすが、時に山ごと崩すほどの牙もむく。人の営みが瞬時にして土砂に消える。ここから地域をどうおこすか。今こそ聞いてみたい人がいない。




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師匠  


 お笑い最大手の企業が、昨今のブームに乗って、過去最高の売上高を記録。確かに、目にしない日はないほど、お笑い番組は茶の間にあふれている▼放送作家の鶴間政行氏はこうした業界に警鐘を鳴らす。芸人は、昔なら自分のためだけでなく、「師匠に恩返しする」と頑張った。今は「自分のため」だけで、有名になると、すぐ他の道へと移ってしまう。「師匠不在」の時代――と(『人に好かれる笑いの技術』アスキー新書)▼現代社会を「師匠なき時代」と評したのは20世紀のイタリアの作家モラヴィア。人々を精神的・社会的に導く「師匠」をもたないことで、芸術は、ひどい形式主義・順応主義に陥ったと憂えた▼「師弟」が、人間にとって、どれほど掛け替えのない精神の宝であるか。池田名誉会長は、「求道の心を失い、慢心に陥れば、ただちに人間としての堕落が始まる。それを教えてくださる師匠の存在は、本当にありがたいものである」と▼三代会長の「師弟」に徹した闘争なくして、創価学会はない。多くの人が今日の発展に注目するのも、この“精神の宝”があればこそ。組織も社会も発展の鍵は、ここにある。師をもつことがいかに大切か――この点を胸に刻み、師弟の精神を貫く日々でありたい。




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地震  


 大地震はしばしば地形も変える。その猛威には人がめでる景色もひとたまりもない。入り江に多数の島を浮かべて西行や芭蕉を魅了した奥羽の景勝・象潟(きさかた)を、丘の点在する荒れ地に変えたのは1804年7月の地震だ▲夜の10時ごろの地震だから、運よくケガをまぬがれた人々が仰天したのは翌朝だったに違いない。「地勢魂をなやますに似たり」と芭蕉が記した絶景は2メートル近くも隆起して、多くの島影を映した入り江は泥で埋まっていたからである▲象潟地震はマグニチュード7程度の直下型地震だった。この規模の地震は地盤の隆起や沈降、山地の大崩壊を引き起こし、地形を変える。日本列島の各地に無数に走る活断層はいつでもそうした内陸型直下地震を起こしうるという(伊藤和明著「地震と噴火の日本史」岩波新書)▲テレビの空撮は宮城県栗原市栗駒地区の山地を巨大なスプーンでザックリえぐりとったような大規模な山崩れを映し出した。その規模、マグニチュード7.2という岩手・宮城内陸地震はいたる所で地滑りやがけ崩れを引き起こして道路を寸断、山あいの住宅を孤立させている▲美しい緑の山の穏やかな起伏を突然断ち割るようにさらけだされた赤茶けた地肌、崩落した大きな岩塊や土砂の山を見れば、その下に人はいなかったのか心が騒ぐ。現に行方不明の方が出ている個所では無事の知らせを一刻も早く聞けるよう祈る▲地震は未知の断層で起こった。だがもともと長年の活断層の活動が積み重なって生まれたのが日本列島の山という。美しい景観も実は地震の宿命と表裏一体だったのを思い起こし、不幸にも亡くなられた方に手を合わせたい。





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 鳥や爬虫(はちゅう)類、魚などは人間よりずっと豊かな色彩に満ちた世界を生きているらしい。目の中で光の波長を感じる錐体(すいたい)というセンサー細胞を人間は赤、緑、青に応じた3種類持っているが、魚などには4種類あるからだ▲霊長類以外の哺乳(ほにゅう)類にいたっては、その錐体細胞は2種しかない。爬虫類などより進化しているはずなのに、色の識別はうまくできないのだ。これはかつての爬虫類全盛の時代、哺乳類が恐竜に見つからぬ夜間に活動したためといわれる▲哺乳類の出現から恐竜絶滅までは1億5000万年以上あった。その間の闇の暮らしで色を見分ける力が退化したらしい。しかしその代わりに暗い中の視力や聴力、嗅覚(きゅうかく)、それらを駆使する脳を発達させ、次の代の覇者の力を蓄えたのだ▲いわばそんな下積み時代の哺乳類、それも日本最古級の化石が兵庫県篠山市にある約1億4000万年前の白亜紀前期の地層から見つかった。体長十数センチ程度のネズミのような小型哺乳類のあごや歯の部分3点で、現存哺乳類の祖先に近いだけに進化の解明の上からも貴重という▲発見した足立洌(きよし)さんは一昨年に同じ地層から体長20メートルといわれる草食恐竜「丹波竜」の化石を見つけている。恐竜と哺乳類の共存した生態系をうかがわせるが、素人には巨大恐竜の目を盗んで暮らしたご先祖?の苦労がさぞやとしのばれる▲霊長類が色覚を回復したのは樹上生活の必要に応じてだといわれる。だが最近は仲間の顔色を判別するためとの新説もあるそうだ。なるほど昼は周囲の顔色をうかがい、夕方にわかに元気になるわれらサラリーマンの性(さが)も、何億年もの進化の名残であったらしい。





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