大地震はしばしば地形も変える。その猛威には人がめでる景色もひとたまりもない。入り江に多数の島を浮かべて西行や芭蕉を魅了した奥羽の景勝・象潟(きさかた)を、丘の点在する荒れ地に変えたのは1804年7月の地震だ▲夜の10時ごろの地震だから、運よくケガをまぬがれた人々が仰天したのは翌朝だったに違いない。「地勢魂をなやますに似たり」と芭蕉が記した絶景は2メートル近くも隆起して、多くの島影を映した入り江は泥で埋まっていたからである▲象潟地震はマグニチュード7程度の直下型地震だった。この規模の地震は地盤の隆起や沈降、山地の大崩壊を引き起こし、地形を変える。日本列島の各地に無数に走る活断層はいつでもそうした内陸型直下地震を起こしうるという(伊藤和明著「地震と噴火の日本史」岩波新書)▲テレビの空撮は宮城県栗原市栗駒地区の山地を巨大なスプーンでザックリえぐりとったような大規模な山崩れを映し出した。その規模、マグニチュード7.2という岩手・宮城内陸地震はいたる所で地滑りやがけ崩れを引き起こして道路を寸断、山あいの住宅を孤立させている▲美しい緑の山の穏やかな起伏を突然断ち割るようにさらけだされた赤茶けた地肌、崩落した大きな岩塊や土砂の山を見れば、その下に人はいなかったのか心が騒ぐ。現に行方不明の方が出ている個所では無事の知らせを一刻も早く聞けるよう祈る▲地震は未知の断層で起こった。だがもともと長年の活断層の活動が積み重なって生まれたのが日本列島の山という。美しい景観も実は地震の宿命と表裏一体だったのを思い起こし、不幸にも亡くなられた方に手を合わせたい。
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