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 横綱の朝青竜の暴力事件に対して、よくもまあ、何回も暴力事件を起こしてくれるなあ、と、あきれてしまう。相撲協会が、解雇するのは時間の問題だろう。けじめを付ける意味から、自分から、相撲を止めてほしい。

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 11年ぶりに小倉の西宇治体育館で大相撲のチャリティー巡業が開催された。生で見る、朝青竜や、白鳳の姿には感動を覚えた。又、初切や、相撲甚句を聴けてよかった。なんといっても、ただ券を2枚いただいたので、妻に車いすを押してもらえたのでよかった。

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 次回、行うオリンピック候補について、東京が名乗りを上げている。アメリカはシカゴが名乗っている。後、スペインのマドリード、ブラジルのリオネジャネイロが名乗りを上げているが、私としてはやはり、東京が選ばれてほしい。私がまだ小学生だった頃の東京オリンピックの記憶は鮮明である。マラソンの円谷選手の頑張り、体操男子選手の活躍、東洋の魔女の女子バレー、重量挙げの三宅選手、外国人選手では柔道のヘンシンク選手や、体操女子のベラ・チャスラフスカなどを思い出す。それにしても、リオに決定したのは残念だ。


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 古代オリンピックの選手は裸身で競技した。男性の肉体美をたたえる文化や、不正防止がその理由とされるが、実は当初は腰巻きをつけていた。言い伝えによると紀元前720年の第15回大会でオルシッポスという選手が初めて裸身で走って勝利したという▲歴史家のパウザニアスは「彼は裸の方が楽に走れると知っていた」と書いている。一説には走っている最中に腰巻きがとれたともいうが、はっきりしているのはオルシッポスが勝った時からすべての選手が裸で走るようになったことだ▲つまり選手はみな勝負に有利な方を選んだのである。ある史書はそれ以前のギリシャ人は裸をさらすのを恥としていたというが、勝利のためには恥ずかしいなどといっていられなかったわけだ(F・メゾー著「古代オリンピックの歴史」)▲現代では裸身よりはるかに好記録を約束してくれる魔法のような靴やウエアをアスリートたちは選ぶ。とくに水泳の水着は、その形や素材によって記録が左右されるだろうことは素人にも想像がつく▲競泳で多くの世界記録を出す英社製水着と、日本水泳連盟が水着提供契約を結ぶ国内メーカー3社の製品の性能比較が注目されている。連盟が英社製品に対抗できる水着の改良を3社に求め、改善されなければ北京五輪日本代表選手が英社製品を着るのを認める可能性があるというのだ▲選手の応援よりも前に、いずれかの水着を応援したくなるのも変な話だ。どうであれアスリートが勝利のため少しでも有利な条件を求めるのは古代ギリシャと変わるまい。ただ裸で競った昔と違い、人の栄光よりウエアの栄光がたたえられかねないのが現代である。

毎日新聞 2008年5月15日 0時18分

追申
 私は思うのであるが、現代のオリンピックでも、オリンピック委員会が権限を持って、競技種目により、アスリートが着るウェアーを決めればよいのである。それに逆らう選手は古代オリンピックのように裸で競技をするようにすれば良いのである。



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卓球  


 中国の胡主席が、日本オリンピック代表選手の福原愛ちゃんと真剣に、卓球試合をしているところが、報じられていた。上着を脱ぎ、トレードマークの眼鏡をはずして、力強いスマッシュを決める姿は、真剣そのものである。早稲田大学で行われた、このピンポン外交は、胡主席の迫力勝ちのように思う。福田首相も自ら言っていたが、自分がこの試合に加われば、惨めな結果に終わっていたであろう。ど素人の福田首相が加われば、惨めな結果に終わっていたであろう。福田首相の選択は正しかったのである。
 私も卓球は大好きで、自分でも試合をするのが好きだ。私がまだ中学生のときに、よく友達と卓球をしたものである。私達の通っていた中学校の隣りが京都大学の研究所だったので、素晴らしい卓球台があった。よく試合をしたものである。その後はお腹がすくので、大学食堂で、天ぷらうどんを、よく食べたものである。当時は一杯50円だったので、100円あれば、二杯食べられた。このような、うどんの話をしていたら、天ぷらうどんが食べたくなってきた。昼ごはんは、天ぷらうどんにしようかな?




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