知って得する!トリビアの泉
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 記憶は薄らいでいるが、機内食は2食でたように思う。

 機内は2列、2列の狭い機内を、スチュアーデスさんが、こまめに動いていた。

 私の膝にもモーフを掛けてくれた。

 綺麗な人だったように覚えている。

 こういうことは、憶えているのである。

 飛行場での撮影は全て禁止であった。

 それでも撮った写真がこれである。

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 ナホトカ出発。

 途中、休憩で止まった駅がある。

 そこには大勢の兵隊さんがいた。

 隊列を組んで歩いていたが、なれないためか、すぐにだらだらと列が乱れた。

 それを注意する上官。

 そんな情景が目前に会った。

 私は列車から降りて一服タバコを吸って、くつろいでいた。

 すると何人かの兵隊がタバコを吸いたそうに、私の方をちらちら見るので、私は彼らにタバコをあげる事にした。

 しかし、彼らは受け取ろうとしないのである。

 私はなぜだろうと周りを見回してみると、彼らを見張っている人物が、そこ、かしこにいることに気づいたのである。

 そこで、見張り人に解らないように後手で彼らにタバコを渡してみた。

 そうするとサット、タバコを受け取り、ポケットにしまい込んだ。

 ハバロフスクの町1ハバロフスクの町2
 
 私は社会主義国というのは、住みにくい所だと思った。

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 若いときに(病気の出てないときに)世界旅行に行っておいて良かったなあと。

 この病気になってからは、旅行に行くなんてことは、思いもよらないことだからである。

 私の旅は横浜港から始まった。

 私が23歳当時、まだ社会主義であったソビエト連邦。

 ソ連船のバイカル号という、比較的大きな貨客船に乗り、1日半でナホトカ港についた。

 一人旅であったが、船中、友達がたくさん出来た

 開放感からか、女友達とも結構気楽に話すことが出来、良い仲になった。

 旅は人をおおらかにさせてくれる。

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 もう一人の彼女は、20歳のドイツ人である。先生の友人である。この3人と、町で出会った青年とで、遺跡巡りを楽しんだ。「このころは、良かったなあ」何でもできた。





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 拓殖大学、在学の青年だ。昼食を取っているときに、彼がちかずいてきた。気さくな感じで、僕より英語が堪能なので、一緒に行動することにした。それにしても、暑かったなあ。

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