慶喜

心意気
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邪馬台国・大和朝廷・神功皇后(1)

2018年08月29日 | 皇室
神武東征は『日本書紀』や『古事記』に書かれてない

 ☆神武東征は、中世に生まれた伝説
 ☆皇国史観の時代の教科書には記載されていた
 *神武天皇は、大軍勢を率いて日向国の美々津港から船出
 *大和を征服し日本を建国したと書いてある
 ☆「記紀」を読めば、そんなことは書かれていない

『日本書紀』や『古事記』からは
 ☆崇神天皇が、大和朝廷の創始者(大和を統一、吉備や出雲まで勢力圏に入れた)
 *先祖の神武天皇は、日向出身で少人数で故郷を出奔
 *現在の橿原市あたりに小さな領地を得たらしいと書かれている
 ☆九州の王国が、東遷したのが大和朝廷とは考えにくい
 ☆大和朝廷が、自分たちの由来を語る記録の中で
 *列島の東と西の地域を征服し、朝鮮半島にまで進出したと記載
 ☆大和王朝が、九州の王国が東遷したのだつたらこんな主張しない
東遷説は否定されるべき
 ☆『日本書紀』に書かれている天皇家の系図が正しいと仮定
 *長すぎる寿命を補正して調整する
 ☆崇神天皇が、4世紀中盤に活躍し大和朝廷が北九州を支配下に置いた
 *卑弥呼は、大和朝廷が北九州に来る少し前(約1世紀)に死んだ
 ☆邪馬台国が畿内なら、勢力が北九州まで伸びていたのは不可能
 ☆邪馬台国が、九州にあつたのなら大和朝廷との接点はそもそもない
 ☆考古学者には畿内説をいう人が多い
 *畿内の遺跡のほうが立派なので畿内説を唱える
 *彼らには、邪馬台国の九州説を否定する理由がまったくない
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出典、『最強の日本史』



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