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藤田信吉(直江兼続と並ぶ戦国武将)

2022年12月30日 | 歴史
🌸藤田信吉(直江兼続と並ぶ戦国武将)

 ☆戦上手だが梯子を外された悲運の武将
 ☆新発田重家討伐では獅子奮迅の働きで武功抜群だった
 ☆大坂の陣で家康の期待に応えることができず蟄居


藤田信吉は、武田ゆかりの「信」を与えられた
 ☆藤田信吉は、武田家臣・真田昌幸の誘いを受け入れ
 *北条氏から離反し武田勝頼に仕えました
 *武田家の上野攻略で活躍、沼須城の城主となる
 ☆武田ゆかりの「信」字を与えられ藤田能登守信吉と名乗る
 ☆武田氏減亡後は、織田氏の重臣・滝川一益に仕えた
 *本能寺の変が起き、信吉は滝川に離反
 *駆けつけた滝川一益の軍勢に駆逐され、沼須城も失う
 ☆藤田信吉は、滝川とは敵対した
 *いまさら北条氏を頼るわけにもいかない
 *信吉は関東の地を離れ、越後に逃げ延びた

討手を放たれ進退窮まり浪人
 ☆秀吉が台頭し、上杉は秀吉と手を結ぶことができた
 ☆上杉は、秀吉という後ろ盾を得て、新発田重家の討伐に成功した
 ☆藤田信吉は、新発田重家討伐に獅子奮迅の働きを見せた
 *調略を成功させ、その武功は抜群だった
 *藤田信吉は、1万5千石の所領を与えられた
 ☆上杉の「武」を象徴する人物は、直江山城ではなく、藤田信吉だった
 ☆秀吉病没後、天下取りに邁進する徳川家康は「大きな戦」を仕掛けた
 ☆家康が狙ったのが上杉家
 *直江山城は「来るなら相手になってやる」と発言した
 *上杉を代弁する立場の人が感情を優先したらダメです
 ☆藤田信吉は、家康のもとに急行し
 *景勝に謀反の意図はありませんと必死に訴えた
 ☆直江は、そんな藤田信吉になんと討手を放った
 *ハシゴをはずされた信吉は進退窮まって浪人した
 *大徳寺に入って僧になる

関ヶ原の後に家康の直臣になるが
 ☆家康は信吉の努力をしっかり覚えていた
 ☆関ヶ原の戦いの後、信吉を呼び戻し、直臣に取り立てた
 *下野国・西方の1万5千石の大名となる
 ☆大坂の陣、信吉は上野・館林藩主の榊原康勝の補佐を命じられていた
 *榊原康勝は病を得ていて、戦いの後すぐ亡くなった
 *藤田信吉は、結果改易されてしまう
 ☆全てを失い、蟄居した信吉
 *翌年に58歳で亡くなり、自害であるといわれている
                    (敬称略)                                     
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⛳出典、『THEMIS12月号』



藤田信吉(直江兼続と並ぶ戦国武将)
(ネットより画像引用)

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