🌸森鴎外と津田左右吉の苦衷2
⛳森鴎外の悩み
☆森鴎外自国の歴史を書くことを生涯の念願としていた
*しかし、神話と歴史の限界をはっきりさせなければ、手がつけられない
☆父親の五条子爵に手紙で書き送る
*息子の雑駁な学問の仕方、父親は気にしなかった
*息子の雑駁な学問の仕方、父親は気にしなかった
☆鴎外が書いてよこす報告や知見を読んで、子爵は考える
*今の教育を受けて、神話と歴史を一つにして考えることはできない
*前途、恐ろしい危険が横たわってはいるのではと
☆子供に神話を歴史として教えることを当り前として怪しまない
*自分では神話と歴史を分けて考えながら交ぜて教えた
*神話と歴史を分けようとするのは危険思想である
☆子爵は、どうぞできるだけ穏健な思想を養い
*国家の用に立つ人物になって帰ってくれと返事を書く
⛳鴎外は帰国後も悩みつづける
☆神話が歴史でないと言明することは、良心の命ずる所である
*八方塞がりになる職業を、僕は不幸にして選んだのだ
*所詮父と妥協してやる望みはあるまい
*「駄目、駄目」目を見合わせながら、黙ってしまう2人
☆八方塞がりの職業を選んで、突貫する歴史家が現われた
*所詮父と妥協してやる望みはあるまい
*「駄目、駄目」目を見合わせながら、黙ってしまう2人
☆八方塞がりの職業を選んで、突貫する歴史家が現われた
*『神代史の新しい研究』を二松堂書店から刊行した津田左右吉
⛳蓑田胸喜の攻撃
☆蓑田胸喜は、機関誌「原理日本」の誌上で
☆「津田左右吉氏の大逆思想」と題し、猛然と攻撃した
*津田氏の神代上代捏造論は、その所論の正否にかかわらず
*津田氏の神代上代捏造論は、その所論の正否にかかわらず
*畏き極みであるが、記紀の「作者」と申しまつりて皇室に対し奉りて
*極悪の不敬行為を敢えてしたものである
☆蓑田胸喜が、津田非難を開始した理由
*早稲田大学教授津田左右吉の東京帝国大学出講である
☆蓑田胸喜が、津田非難を開始した理由
*早稲田大学教授津田左右吉の東京帝国大学出講である
☆熱烈な皇室崇拝主義者であった蓑田
*慶應予科や国士舘専門学校の教壇に立ちながら
*同志と原理日本社を結成して
*社会主義、共産主義、民主主義思想の撲滅運動を展開してきた
*攻撃目標、東大美濃部達吉、牧野英一、末弘厳太郎教授ら
☆津田氏講師任命、東大法学部が現日本万悪の禍源を示したものだ
*攻撃目標、東大美濃部達吉、牧野英一、末弘厳太郎教授ら
☆津田氏講師任命、東大法学部が現日本万悪の禍源を示したものだ
*内務・文部・司法当局は、厳重処置を講じなければならないと
*各当局にたいして、熾烈な働きかけを行なった
☆津田が東大法学部で行なった「先秦政治思想史」の最終講義
☆津田が東大法学部で行なった「先秦政治思想史」の最終講義
*「学生協会」のメンバーであるのが明らかな聴衆が多く詰めかけた
*博士が「これで私の講義を終わります」と頭を下げた直後に
*「質問」「質問があります」と教室の各所から手が挙がり
*全体の調子がだんだん詰問に変わって行く
☆津田博士は述べた
*ああいう連中がはびこるとそれこそ日本の皇室はあぶない
*やがて日本が戦争に敗れた後にはっきりする
*ああいう連中がはびこるとそれこそ日本の皇室はあぶない
*やがて日本が戦争に敗れた後にはっきりする
☆津田左右吉は皇室に、熱烈きわまりない敬愛の念を抱いていた
(敬称略)
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⛳出典、『「古事記」の真実』
「鴎外の悩み」「歴史と神話の分離」「蓑田胸喜」
(ネットより画像引用)
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