🌸唐(9-2)(空前の繁栄した唐)
⛳土地制度が崩壊(唐中盤から社会の変化)
☆「均田制」の崩壊
*国の所有である土地を民衆に等しく与える
(死後返納させるという「公地公民」が原則)
*門閥貴族や大寺院が、その土地を“横取り"して自分の所有物にする
*門閥貴族や大寺院が、その土地を“横取り"して自分の所有物にする
*民衆も、貴族や寺院に小作料を支払うほうが負担が軽いとわかる
*貴族や寺院に身を寄せ、国からもらった土地を放棄する
*「荘園」が成長し、均田制が崩壊する
☆「租調庸制」は、均田制度が基盤
☆「租調庸制」は、均田制度が基盤
*均田制は、その際に作成していた「戸籍」だったた
*結果として「租調庸制」も崩壊する
☆「府兵制」も、均田農民の戸籍を利用して徴兵する制度
*均田制が崩壊してしまうと徴兵もできない
⛳「府兵制」が崩壊(唐中盤から社会の変化)
☆「府兵制」の崩壊が、唐の弱体化を招く
*兵を募集性したが、士気の低い兵が集まる
*弱体化した連中を率いて戦うのは、並みの統率力では足りない
*弱体化した連中を率いて戦うのは、並みの統率力では足りない
*戦場でたたき上げられた親分肌の人物が必要になる
☆唐王朝は「節度使」の役職を創設し任命する
*辺境防衛に明け暮れた武人や異民族の将軍
*募集した兵を率いさせて地方の防衛にあたらせた
☆唐王朝の屋台骨「均田制・租調庸制・府兵制」が失われた
*唐は、転げ落ちるように衰退し始める
⛳絶世の美女の「息子の妻」に溺れた6代目皇帝
☆首謀者中宗の皇后は追放され、玄宗皇帝が即位する
*唐は、転げ落ちるように衰退し始める
⛳絶世の美女の「息子の妻」に溺れた6代目皇帝
☆首謀者中宗の皇后は追放され、玄宗皇帝が即位する
☆玄宗は人を見抜く目があった
*家柄ではなく実力で大臣を選び、唐に繁栄期をもたらした
☆善政を讃えられた玄宗
☆善政を讃えられた玄宗
*ひとりの女性(楊貴妃)の出現でつまづく
*息子の妻だった楊貴妃を自分の妻にする
*楊貴妃に溺れて政治をまったく顧みなくなった
☆楊貴妃の一族が実権を握る
☆楊貴妃の一族が実権を握る
*高位を独占し、政治が大きく乱れ始める
☆唐がイスラーム勢力のアッバース朝に敗れた
*中央アジア方面での唐の影響力が衰える
☆節度使による大反乱が起きた
*玄宗が信頼していた安禄山
*玄宗が信頼していた安禄山
*楊貴妃一族の排除を掲げて反乱に立ち上がる
*8年間にわたる反乱は、玄宗も長安を後にして逃避行する
☆玄宗は、楊貴妃のせいだと訴える兵士たちの不満に背中を押され
*楊貴妃に自ら死を命じる
☆玄宗は「前半は善政、後半は悪政」の皇帝になる
⛳唐が滅亡し、“武力がモノをいう"時代ヘ
☆節度使たちが唐を揺るがすほどの勢力に成長した
*節度使は「藩鎮」といわれる地方政権となる
☆玄宗は、楊貴妃のせいだと訴える兵士たちの不満に背中を押され
*楊貴妃に自ら死を命じる
☆玄宗は「前半は善政、後半は悪政」の皇帝になる
⛳唐が滅亡し、“武力がモノをいう"時代ヘ
☆節度使たちが唐を揺るがすほどの勢力に成長した
*節度使は「藩鎮」といわれる地方政権となる
*唐の言うことをまったく聞かなくなる
☆玄宗ののち、16人もの皇帝が続いた
☆玄宗ののち、16人もの皇帝が続いた
*最後は、節度使の朱全忠に国を乗っ取られて唐は滅亡
☆五代十国時代という戦乱時代へ
*中国の北方で短命な5王朝が次々と現れては消える
*中国の北方で短命な5王朝が次々と現れては消える
*南では長江流域を中心に10の軍事政権が生まれる
☆唐の制度「節度使」が唐の末期に完全に独立し互いに争う
☆「武力がものをいう時代」は「武断政治」といわれる時代
☆「武力がものをいう時代」は「武断政治」といわれる時代
(敬称略)
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⛳出典、『世界史の教科書』
唐(9-2)(空前の繁栄した唐)
(『世界史の教科書』記事より画像引用)
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