慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

先人たちの底力・知恵泉(徳川吉宗)

2014年05月22日 | 知識取得
徳川吉宗は、江戸幕府第8代将軍、将軍就任以前紀州藩第5代藩主

徳川御三家紀州藩、徳川光貞の四男として生まれました
父と兄の死後、紀州藩主を継ぎ藩財政の再建に成果を挙げました
幕府権力の再興に務め、増税と質素倹約で、幕政改革、新田開発など公共政策、『目安箱』制定しました
破綻しかけていた財政を復興し、徳川幕府中興の祖と呼ばれ、江戸時代を代表する名君です












徳川吉宗(引用)

徳川吉宗、時代変えるたリーダー(テレビの内容)
吉宗は『何もかにも知り尽くしたい』性格で、人口調査、農作物の生産量、雨量等日本列島を調査しました
調査結果から、適正税率を決め、又日本の人口は2560万人位と把握し、日本列島の地図を作成しました
身長180cm(江戸時代男子平均157cm)で剣術・馬術等に優れ、独身でした
人任せにせず、『目安箱』の鍵は自分で持ち自分で開けていた
農業政策に力を入れ、『小松菜』の命名者で、又荒地でも出来る代用食の『甘薯』にも力を入れた

吉宗将軍の座
紀州藩士の内から、二十数名選び、側役として従え、江戸城に入城し『徳川家康』の施策を継承すると宣言しました
側近政治に反感を抱いていた譜代大名や旗本から好感を持たれ、将軍として受け入れられました
米価の調節に努め、定免法、新田開発などの米政策を実行したことによって吉宗は「米将軍」とも言われていした
吉宗のメモ帳には、浅草の米相場価格がびっしりと書かれていました

享保の改革
側用人であった新井白石他を罷免し、新たに側用人に近い役職を設け、事実上の側用人政治を継続しました
幕府財政収入の安定化、新田開発の推進等又司法制度改革、江戸町火消し等設置し、享保の改革を行いました
大奥の整備(4000人を1300人に)、目安箱の設置により、庶民の意見を政治へ反映しました
幕府財政も、就任後5年で黒字になり、享保改革はのちの寛政の改革、天保の改革などの基本になりました
治水や埋め立て、町場の整備の一環として飛鳥山や墨田川堤などへ桜の植樹をしたことでも有名です

趣味・嗜好
鷹狩などの武芸を率先して好み、武芸奨励を推し進めました
好奇心の強い性格で、キリスト教関連以外の洋書の輸入を解禁しました
自ら質素倹約に努め、着物は木綿に限定、食事は朝夕の2回のみとし、献立も「一汁三菜」でした


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