

☆鏡川、江ノロ川が氾濫するので、2代藩主忠義は表記を変更する
(高智山⇒高智⇒高知)
☆土佐24万石(秀吉から長宗我部が認められていた土佐の領地高は約10万石)
(一豊入国時もこの領地高)
☆2代藩主忠義は、改めて長宗我部検地帳を元に約20万石高を算出
(江戸時代の公的な土佐藩の領地高となった)
(24万石というのは、地検帳の土地面積を1反=1石に置き換えた数字)
☆24万石にしては高知城は小さい


☆追手門から少し登ると、名馬のかたわらに立つ一豊の妻・千代の銅像

☆土佐は雨が多いため、雨水が石垣にしみこまないように工夫されたもの


☆石垣をよじ登ってくる敵を防ぐための石落としと
☆鉄製の鋭い忍返しが、天守の1階部分に残っている


☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します










山内一豊(戦国の出世者2)(戦国と幕末』記事より画像引用)
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