ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

雲南(昆明)へ行くことに

2011年01月21日 | 中国、海外のフルス事情



中心街近くの花鳥市場にはフルスを売る店がたくさんあるという。

少し中国語も慣れてきたし、飛行機の乗り方やバスの乗り方は大体分かるようになった。
それで今回は中国にいる間にフルスのふるさと昆明に行こうと決めていた。日本から行くのに比べると3分の1ぐらいの費用で行けると思う。

日本を少し早く出発して、研修が始まる前に行こうか、それとも研修が終わってから少し居残りして行こうかと、考えていた。ただ、雇い主から、日中関係が、ちょっと緊張していたときなので、「一人で行くのはどうも………。」と、ストップがかかったので、研修が終わった頃に行くことに決めていた。
また、「どうも………。」と言うことになったら「どうも……ありません。」といって、行こうと決めていた。

目的はフルスの情報を集めるためである。出来ればフルスの工房を見学したり、フルスやさんを訪ねたりすることである。今回は別にフルスを買う目的はない。
出来れば陳先生について来てもらい、それが出来なければ3年の研修を終えて帰ってきた私の教え子馬君にあるいは陳先生の教え子で現在仕事がない人に付いて来てもらうことにしていた。
日本で3年間研修終了後の人は一応不自由なく日本語がしゃべれるので安心だ。通訳が付いてきてくれると、私が一人で行くより、数倍の効化が上がる。


お礼の食事会

2011年01月20日 | 中国、海外のフルス事情



浅田さんはフルスの音色を気に入ってくれた。


フルス教室の見学会のあとはイン先生を招待して、食事会をした。
食事会にはフルスを始めたいが、本物のフルスの音を聴いたことがないという浅田さんも招待した。

先生にフルスを吹いてもらうために個室を準備した。中国では混んでいるときにはもちろん無理だが、通常はほとんどの食堂では、いついかなる時に行っても食堂は予約なしでOKである。これは本当に便利がいい。

しかし、考えてみれば、中国人との食事会には幾度となく参加したが、今までに一度なりとも、私が招待したことはない。今回ばかりは先生にお礼をという意味で私から誘ったのである。

先生にはフルスを持ってきてもらい、曲を吹いてもらったが、浅田さんは気に入ってくれたようだ。もし、浅田さんがフルスを本格的に始めるなら、現在陳先生さんが北京支部と兼任でやっている泰安支部が充実する。

その後のメールで3月の中国語検定試験を受けた後にフルスを始めます、とのことであった。彼は、バンドの経験もあるというし、民族音楽に関心があるようなので、大いに期待している。


フルス教室の見学会

2011年01月19日 | 中国、海外のフルス事情



歯切れよい中国笛笛子を上手に吹く4年生の子供




習い始めて、2年目という6歳の子供が、私と同じ曲を吹く。


最後のレッスンが終わり、先生の教室を見学することになった。どこかの楽器屋さんでやっているのかと思ったら自宅のアパートだった。そこにはテレビで見た奥さんと息子さんがいて私たちを歓待してくれた。

レッスンは小学校4年生の子供だった。と言うより、私たちを歓迎するために優秀なその子を呼んでおられたのかもしれない。春節に行われる泰安音楽祭に出場するのだそうだ。歯切れのいい笛子の音色の特色を生かし、すばらしいテクニックで吹いてくれた。

フルスと中国笛子は音階、技法等について共通する部分がたくさんあるが、その味わいは全く違う。それぞれにいいところがある。中国笛子で表現できるところをフルスでは十分には表現できないし、フルスで表現できることを中国笛子では表現はできない。
一言でその良さを言えば「動と静」であろう。私はどちらもすごく好きだが、フルスを日本で普及させるという意志で、フルスの音色の良さを「さわやか まろやか いやし系!!」の言葉にまとめて活動している。

もう一人は6歳の男の子で、私が今回練習した「竹林深処」をフルスで吹いていた。そこで、思い当たることがあった。私が、同じ曲を吹いたとき、「ここまでくるのに子供なら2年ぐらいかかります。」といわれた言葉である。そういえばこの子は2年前から習っているそうだ。

この曲は完全に大人の感覚の曲ではあるが、6歳の子供がそれを消化し、呼吸法などまだあどけなさが残るが、しっかりと吹いている。指使いに関しては完全に私より上だ。

私も最終回のレッスンの時にもらった「牧歌」を練習期間が短かったとはいえ、一応通しの練習をすませていたので、先生の前で吹かせてもらった。もちろん、合格のサインは出なかったのだけど、いろいろ指摘をして頂き、今後の練習の糧となるヒントを頂いた。

これで、日本に帰ってからもテキストの練習曲はどの曲も自分で練習できるのではないかという自信がついた。


最後の課題は10級「牧歌」

2011年01月18日 | 中国、海外のフルス事情



「牧歌」はのんびりと草を喰む馬
そして、高原を疾走する馬を表現する。

最後のレッスンが終わった。
ただ、そのとき、これからの課題曲として10級(最上級)の「牧歌」を与えられた。級別曲目リストの中でも一番最後の載っている文字通り最上級の中の最上級の曲だ。

これは内モンゴルの高原の様子を表した曲で、後半の疾走する馬、鞭でたたく音などを表現するところが指使いが難しい。しかし、その部分の良さは十分に表現は出来ないけれどゆっくり吹きさえすれば何とか出来る。

ところが、この曲も前の「漁歌」と同じく導入の部分が難しい。譜面づらを追っかけて吹くのは簡単だが、独りよがりにならずにいかにこの曲の雰囲気を
作り上げていくかが、最上級の曲としての醍醐味だろう。私は足元にも及ばない世界だ。

これはもう先生に見てもらう機会はない曲なのだが、一応全曲通して練習した。そして、土曜日に先生の教室を見学させて頂くことにしているので、そのときに見てもらうことに自分で勝手にきめた。そうするといつもは1週間まるまる練習できるが今回は中三日しかない。しかし、せっかくだからやってみることにした。

ところで、どうして先生が初級もろくに吹けない私に急ぎ足で10級まで課題を与えられたかがこのときになって分かった。私は日本に帰ったら先生につくことが出来ない。したがって自分で勉強しなければならない。そのときに自信をもって練習できるように、とにかく最上級までの課題を与えられたに違いない。
確かに、2ヶ月前までは中級の楽譜を見るだけでも私とは違う世界の曲に見えたのだが、今はどの曲を見ても時間さえかければ、自分でやれるという自信のようなものがある。


「一人の日本の老人が………、」と、中国の新聞に載った

2011年01月17日 | 中国、海外のフルス事情



一人の日本の老人が………



新聞の見出しはこうである。
………尹成宝一家が中央テレビ局の「楽しい家族」に出演後、フルスの技術の名声が遠くに広まる。………
「一人の日本人老人が尹成宝を訪ね、弟子となった。」

これは、泰安の「泰山朝刊」に載った記事である。
何を隠そう、「一人の日本の老人」とは私のこと。ネット上では「ただのおじさん」と呼んで頂いているが、現実は「ただのおじいさん」である。

日本人がフルスを習うのはよほど珍しいのであろう。この町の標準的な地方紙に取り上げてもらったのだ。

前にも述べたが、私のフルスの先生である尹成宝先生は北京のコンクールで優勝されたあと、北京で家族でテレビに出演された。尹先生の他、奥さん、娘さん、息子さん、奥さんのお父さんとみんなフルスの演奏をされたそうだ。
その放送は12月28日にCCTV(中央電子台3チャンネル)で放映されるそうだ。私の部屋のテレビには映らないので、DVDを頂く事になっている。

尹先生のテレビ出演への取材の時に、私の話が出て、このたびの私への取材になったらしい。

そういえば、尹先生のレッスンの時には、いつもお客さんが一緒に来られる。親戚の人だったり、音楽の先生だったり………。実は今回はそれが、新聞記者さんだったのだ。

ひょっとしたら、私は先生の成績優秀な自慢の弟子だったりして………。

私は練習の時、いつも「フルスが、日本に広まって、尹先生など中国の演奏家が日本で演奏活動を出来るような日がきっと来ますよ。」と、
言って、先生にも期待している。

私にとっても尹先生は自慢の先生である。


レッスンのたびにお客さん来訪。ついには………

2011年01月16日 | 中国、海外のフルス事情



熱心にメモを取っている方は極め付きのお客さん。


先生はレッスンのたびごとにお客さんを連れてこられた。親戚に方だったり、音楽仲間だったり………。お客さんはただ、見学というかたちで、見ておられるだけだ。しゃべろうと思っても私はそんなにスムーズに会話は進まない。

先生はいつも私に「進歩が早い」と言っておられた。6級の「竹楼情歌」をやっているときなどは「子供だったらここまでくるのに2年はかかる」と、言っておられた。私は1ヶ月で到達したと、言うのだ。

実は私はすでに自己流ながら2年はやっていたので、特に進歩が早いわけではないのだが………。

しかし、どうも、私は先生の自慢の種らしい。理由は、まずは、日本人に教えているということ。この高齢者が先生に答えようとして毎回なんとかがんばってついていこうとしていること。そして何よりは、最初に差し上げた日本フルス普及会会長の名刺………。

こんな先生が連れてこられた極め付きのお客さんは新聞記者だった。

と、言うことは新聞に載るかも………。


最終回は上級8級「漁歌」

2011年01月15日 | 中国、海外のフルス事情



漁歌は投げ網を打つ中国の古式の漁を歌った曲だ


レッスンは初級から始まると思っていたら、いきなり中級の6級、そしてちょっと無理かなと判断されて、一段下げて5級の曲を2曲。
これも無理と判断されて、さらに級を下げられるかなと思っていたら、次の課題はなんと、3段階上で上級8級の「漁歌」を頂いた。

「漁歌」は伝統的な民歌で網を打って漁をする様子を表したものである。

なんと無茶な話ではないかと、思いつつも1週間「漁歌」を懸命に練習した。
まず、難しいと思われるもっとも早い動きの後半の部分を集中的に練習し、何とか指が動くようになった。

ところが、残していたはじめのイントロ部分の朗々と歌い上げる部分がどうしても出来ない。
この曲も導入部分は「自由に」と書いてある。譜面づらを吹くだけなら何とかなるのだが、それではこの曲の雰囲気が表現できない。動画で撮っておいた先生のお手本を見てもピンと来ない。全くリズムを離れて自由に吹いてあるのは分かる。だったらどう吹いてもいいのかといえばそうでもない。その通りまねるが、しっくり来ない。

このあたりが本当に難しいところだ。日本の民謡なら体に染みついているこぶしや節回しを使って何とかなるのだろうが、どうもうまくいかない。まだまだ修行が足りないのだ。

そうこうしているうちにレッスンの日となり、訳も分からぬままに吹いたらこれも合格。
まだまだなのに………。


研修生通訳に来てもらう

2011年01月14日 | 中国、海外のフルス事情



研修生通訳はいないよりいた方がうんと助かる。


日本語研修1ヶ月半を過ぎるとだいぶん話が出来るようになる。そこで、このころからレッスンの時に研修生で会話力のある者を二人ずつ来てもらうことにした。通訳としての日本語の実習だ。私が中国語が少しは分かるという前提があるものの、なんとこの時期でも通訳としてなんとか役に立つのだからふしぎだ。

朝から晩まで日本語漬けで、繰り返し繰り返したたき込まれるし、何よりも、日本に行ったら日本語が出来ないと困るので、みんな必死だからよく覚えるのだろう。さらに、文明国日本、清潔できれいな日本にあこがれ、日本に行くことを楽しみにして勉強しているからだろう。

私はこれを始める前には日本語は文法が難しいし、どうやって教えるのだろうと疑問に思っていたが、教科書にしたがって、確実に進めると実に簡単。中国人にとって難しい発音はいくつかあるが、日本語の発音ははっきりしていて、分かりやすいようだ。

それに比べると、中国語は文法は超簡単、ただし発音が難しいので、5年経っても聞き取れないし、片言しかしゃべれない私が恥ずかしい。


程度を下げて5級の曲に

2011年01月13日 | 中国、海外のフルス事情



白いテープのところに穴がある。
初級では使わないのでテープを貼っていた。


装飾音の基礎練習が終わってから、2回続けて中級6級の曲を課題とされたので、やっとの思いでついていった。先生にはそれが分かったのであろうか(当然分かったはず)、次の2回は1級格下げして5級の「清清玉湖水」と「月夜」が課題曲となった。格下げになったとしても私にとってはやっぱり難しい曲だ。

「清清玉湖水」はテキストの編者である李春華先生作曲の曲で、後半では題名に似合わず副管を使った大変激動的な旋律を含む。
「月夜」はその名にふさわしく、清らかな旋律から始まるが、やはり後半では副管を使った小刻みな旋律が効果的だ。

この程度の曲はたいてい副管を使った演奏部分がある。左小指で押さえていた副管の孔を開けっぱなしで吹くだけなので、副管を使うことそのものは難しくはない。むしろ押さえた状態で吹く方が難しいし、ふだんは副管は使わないので、初心者には副管の孔はテープでふさいで音が出ないようにしておくように勧めている。私自身も技術的にはやさしい曲ばかりをやってきたので、孔をテープでふさいだ状態でレッスンに入ったのだが、すぐにイン先生からテープをはずすように指示された。

副管を使用する場面ではテンポが速かったり、小刻みな音符の連続だったりするので、それを効果的に表現するのが難しい。
しかし、フルスの特徴である3本(実際は2本の場合が多い)の笛を同時に使って、吹くところはフルスならではの醍醐味だ。

私はまだ上手には吹けないけど、最後までなんとかつながるので、2曲とも合格として頂いた。


フルスレッスンの謝礼

2011年01月12日 | 中国、海外のフルス事情



中国の赤いお札100元札(日本円に交換すると1500円ぐらい)は
中国人にとっては、日本の5000円札か、10000円の感覚だ。
食堂の若いウェイトレスは6枚ぐらいで、1ヶ月働いている。


中国の最高額の紙幣は赤い色の100元札だ。
フルスの先生への謝礼は1回につき80元。中級以上になると100元。そう考えると結構高い。普通なら、高くて60元だろうか。でも、家まで時間を費やしてきてくださることと、名のある先生だから仕方がない。毎回払うのが原則だが、失敗だらけで、先生には迷惑をかけた。

1回目(本来は80元)……100元だと勘違いして、100元札を渡した。
2回目(本来は80元)……100元だと勘違いして、100元札を渡した。
3回目(本来は80元)……準備しておくのを忘れて、レッスンが終わってからあわててお金を探し、小銭がなかったので100元札を渡した。
4回目(本来は80元)……前もって準備しておいて80元渡した。
5回目(本来は100元)…中級に上がったので100元渡した。
6回目(本来は100元)…渡すのを忘れて、次回に渡した。
7回目(本来は100元)…前回の分と合わせて200元渡した。
8回目(本来は100元)…100元渡した。

全体として60元払いすぎているようだが、それ以外に打ち合わせに来て頂いたときと、見学に行ったときにちょっと指導して頂いたが、謝礼は払わなかったので、そうではない。
とにかく、5年間もフルスの先生を求めてきて、ついに出会った先生で、大いに成果が上がったと思うので、十分満足している。