ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

長崎演奏旅行(穴が二つあるフルス)

2010年03月28日 | フルスの基礎
フルスは上面の全部の穴を塞いで、強く吹くと低いソの音が、ごく弱く吹くと低いミの音が出る。そして、そのときに音が出る共通の穴は裏面にある。
日本フルス普及会で推薦するフルス(写真では手前)の裏側を確認してみたら下部に全部で4つの穴があった。4つといっても下の二つは房飾りを付けるためのものだ。リードから一つ目の穴までの空気柱がふるえ、その長さが音の高さに関係があるので、飾りを付ける穴は音の高さには関係ない。従ってここで今働いているのは写真で言えば一番左の穴だけである。
一般にリードに一番近い穴がその音程を決めるわけだから元々2番目の穴(写真のボールペン先の穴)は何のためにあるのだろうかと以前から思っていたが、空気の流れをよくするためだろうと軽く考えていた。ところが松林先生から聞いたことから類推すれば1番目の穴が低いミの音に合わせた時のミとソの共用の穴で2番目の穴が本来の正しいソの穴であると考えることもできるのだ。

長崎演奏旅行(フルスの穴の位置は共用)

2010年03月25日 | フルスの基礎
フルスでは低いソと、さらにその下のミは指の押さえ方は同じである。写真のようにどちらの音も表の面の穴を全部押さえて吹く。そしてソを鳴らしたいときはかなり強く吹き、ミの場合はごく弱く吹くようになっている。ところが実際上、ソは簡単に出せるのだが、ミの音はかなり訓練を積まなければならない。だから私が作った教則本(練習曲集)ではミの音を使った練習曲はずっと後に出している。それも付け足しで載せている程度である。下のミは練習しなくてもフルスは十分楽しめる。ところが、中国の教則本ではミの音の出し方はかなり早い時期に出ている。私から言わせれば、時間の無駄だと思う。その分、ほかの音をスムーズに出して音楽を楽しんだ方がいい。下のミはかなり貧弱な音で、あんまり実用的ではないからだ。中級程度になって、練習を始めても遅くはない。
中国人はそのミの音を大事にする。だから、正しいソの位置に穴をあけないで、ミの音と共通に出る位置にあけたのだろうと言うのが松林先生の考え方である。結果として正しいソの音ではなく、少しピッチが高いソの音が出るのだ。
私はその主張に十分納得して、日本フルス普及会が推薦しているフルスをもう一度詳しく見たところ、意外なことを発見したのだ。

長崎演奏旅行(ソの音が少し高い)

2010年03月22日 | フルスの基礎
私は常々中国のフルス(と、言っても中国のものしかないが)の音程が悪いのには閉口している。自分自身はそれほど音程が確かな人間だとは思わないが、こんなものをよく平気で売られるな、と思うぐらいだ。
フルス普及のためにはある程度のレベルのフルスを安価に提供しなければならないと思ってその方策を練ってきた。しかし、それがなかなか実現できないのだ。だから、仕方なく身の回りの人だけには、何とか我慢できる程度のフルスを選んで、提供してきた。したがって、人に渡せないようなフルスがだんだんたまる。その分にコストがかかり、うまくいかなくなる。
一番の問題は下のソの音がどういうわけかどのフルスもすこし高いのである。よく使う音なので我慢できないのだ。
そんな話を松林静風さんにしていたところ「そうなんです。だから私は筒に穴をあけました。」と言って自分のフルスを見せられた。すると、裏にある既存の穴を全部塞いで、その穴より少し下の方に穴をあけてある。
一般のフルスは表の全部の穴を塞いだ状態が低いソの音で、そのときに実際に音が出る穴は通常裏側にある。ひょうたんの中にあるリードからその穴までの空気中が振動しその長さ固有の高さの音が出るので、その穴の位置をずらして筒の長さ(空気中が振動する部分)を長くすると低い音が出るはずだ。松林さんはそれを実行されたのだ。写真で言えば、ペン先のあたりに穴をあけて他の穴を全部接着剤で塞いであった。
そこまでは私も考えたことがあり、やってみようと何回も思ったのだが、その勇気がなかった。

ところが、次に続いた松林さんの言葉は私をぎょうたんさせた。「中国人は下のミの音を出すためにこの位置に穴をあけているのでしょう。」この言葉は私がここ数年ずっと悩んできたことを一気に解決する糸口になる言葉だった。
この言葉の意味については次回に書く予定だ。

演奏旅行(雲南の民族衣装でフルスを吹きたい)

2010年03月20日 | 日頃の活動
すばらしいフルスの演奏と、透き通るような声で歌ってくれた廖明智さんは中国少数民族ミャオ族の出身だと聞いている。だとすると、着ていたあの民族衣装はミャオ族のものだろうか。きらびやかな飾りものと豪華な刺繍の入った服、あでやかな色彩のスカート。どれをとっても鮮やかだ。
我が上白川フルス愛好会の面々のその目は爛々と輝いていた。そして、いつの間にか廖明智さんを取り囲み、前から後ろから飾り物に手でふれたり、帽子をとって眺めたりして、その衣装を愛でておられた。きっと、いつかはあのようなきらびやかな民族衣装を着てフルスを吹きたいと思っておられたに違いない。

中国は漢民族が90パーセント以上を占めるという。一般にいう中国服は実は漢民族のものでもなく、北方の満州族に由来するという。であれば、南の山岳地帯で生活の中でフルスを吹き、連綿と愛し育ててきた雲南省の少数民族の民族衣装を着てその気持ちになってフルスを吹きたくなるのは当然のことであろう。

わが、上白川フルス愛好会の女性メンバーが、百円ショップで見つけた飾り物や端切れで作った民族衣装(もどき)をまとって演奏する姿を目にするまでにはそう時間はかかるまい。フルスの技術的な向上を目指すだけでなく、こんなことまで興味を持ち、前向きに行動するのは精神的にも大変いいことだと思う。
フルスは健康維持に大変いいということの一つの証明だ。

演奏旅行(中国服の入手の問題解決)

2010年03月18日 | 日頃の活動
翌朝は抜けるような空。
「どんなに高くてもいいからメンバーと似た中国服を買ってきて」という新人会員の要望を受け、その日は朝から中華街へと繰り出した。
数軒ある中国服の売り場でくまなく品定めだ。しかし似たような色はあっても、完全に同じものはなく、デザインもずいぶん違うし、値段も結構高い。結局は疲れはて、あきらめてホテルに戻ることにした。
あきらめるとはいっても、チャイナ服を求めることをあきらめるのではなく、北京支部長の陳さんにもう一度頼んで以前買ってもらった店に行って探してもらおうというわけである。全く同じものはなくても、似たようなものはあるだろうし、陳さんなら、写真を送れば以前の服のイメージを思い出すだろうから、より近いデザインのものを同じ値段ぐらいで手に入れることができるだろうという訳である。
そう決めて、チャイナタウンを出て、オランダ坂の付近にさしかかったとき、奥の方に中国服のかかったこぎれいな店を見つけた。しかし、店の中には探しているようなものはなく、ちょっと地味で値段も高めのである。ただ、作りはよいようだ。色白の中国なまりの若い奥さんの話を聞くと、実物を見れば、同じようなものが作れるかもしれないという。
それで、ホテルに帰り、帰りの用意をしてその店へ行った。見本を見せると、奥さんのお母さんが中国にいて、服を作っているので、見本を送ればほぼ、同じものが作れるという。さらに、どれかをMサイズと決めて、それを元に大小のサイズを決めると、LでもSでも作れるという。また、それはこの店と中国で記録しておくので、今後追加注文があったときにも電話1本で同じものを注文できるというのだ。しかも、値段は想定していたものよりずっと安い。
そこで、早速その店で頼むことにした。14日の中央公民館の文化祭の後は少し時間があるので、その間に注文することにした。
これで、中国服の入手の悩みは一挙に解決したというわけだ。展示してあった値段の高い服は素材が違い、作りも違うのだそうだ。「あの安いものでも10歳ほど若く見えるのだから値段の高いものなら20歳ぐらい若く見られるかもしれないので、どうですか?」と言おうと思ったが、ぶん殴られるのでやめた。
後で聞くと、松林静風先生の奥さんやそのお弟子さんたちもこの店をずいぶん利用しておられるという。よくもこのような店を探し当てたものだとつくづく感心している。

長崎演奏旅行(お気に入りの中国服)

2010年03月16日 | 日頃の活動
私たち上白川フルス愛好会は日本で初めてできたフルス合奏団だと思う。だからというわけでもないが、日本で平均年齢が一番高い合奏団でもあろう。
実は私はそれを誇りにしている。フルスは健康にもいいことを実証できるからだ。「もう少し早くフルスを始めたらよかったけど……」といわれるけど、それは無理な話。10年前には中国でさえ広まっていなかったのである。どの歳からでも「始めたことはすばらしい」ことなのだ。会員の皆さんは練習に非常に熱心で、フルスが元気を与えているように思える。大変喜ばしいことである。
昨年の秋、女性陣は舞台衣装として中国服を買うことになり、今は泰安に住む北京支部長の陳さんに見立ててもらって送ってもらったのが大変気に入っている。鮮やかな朱色に金色の幅広の縁飾りがあり、舞台衣装として非常に映える。
二胡交流会の会場で、知らないおじさんから「かわいかねえ。(かわいいねえ。)ちょっと撮らせて。」といわれて、みんなそそくさと並んで写真を撮ってもらっておられた。実際に、この服を着ると10倍かわいく見えるのだ。そして、10本のしわが消え、実年齢より10歳若く見える。
ところが、困ったことが起きた。会員が増え、新しい会員もそろそろステージに立てるようになったのに舞台用の中国服がないのだ。それで、長崎で似たような中国服を買ってきて、と頼まれていた。どんなに高くてもいいから、という。そこで、その願いを叶えるべく、中華街をくまなく巡り、中国服を探し回ることになる。

レコード大賞

2010年03月14日 | 日本フルス普及会
この記事の原本はずっと以前書いていたものだが、掲載が遅れてしまった。長崎演奏旅行の記事の途中であるが、これ以上伸ばすと時機を逸するので、差し挟むことにした。

学生時代以来の親友からメールが来た。教職員等をのぞいて音楽を専門とする職業に就いている唯一の友人だ。大手のレコード会社のCD制作のチーフディレクターをしている。彼には何かとお世話になるかもしれないと、日本フルス普及会の協力者になってもらっている。といっても、フルスの音色も知らないで協力者はなかろうと、東京に行った機会に当会会員で演奏家である珊さんにフルスを吹いてもらい、その音色を聴いてもらう会をしたことがある。彼はフルスの音色を聴き、なるほどいい音色だ。ときがくれば協力できるだろうと言ってくれた。私も今どうの、ということは言わない。必ず、そのときが来ると信じて、ただ、普及活動をしているだけである。
ところで、メールの内容は彼が企画した「CD集がレコード大賞企画賞に輝いた。うれしいよ。」というのである。ネットで調べてみるとレコード大賞企画賞は「独創的な企画意図をもって製作され、それによって成果を上げ、大衆音楽に大きな貢献をした『作品』(ミュージックビデオを含む)に贈る。」とある。そして、昨年末の企画賞として「生誕100年記念 国民的作曲家 古関裕而全集 -長崎の鐘・君の名は・栄冠は君に輝く-」が賞を受けたというのだ。
思えば、この賞はCD制作の仕事をしている人にとってはこれ以上の賞はないのではなかろうか。長年の努力の結果が実を結んだものだと思う。心から、祝意を表したい。また、フルス普及会が彼にお世話になる機会があることもまた心から願っているものである。

長崎演奏旅行(演奏家廖明智さんとの出会い)

2010年03月12日 | 日本フルス普及会
実は私たちはランタンフェスティバル二胡交流会のゲストではあったが、メインのゲストは廖明智さんだった。彼女が長崎市内でフルスを演奏しているという噂は時々ネットで目にしていた。今回も2週間のランタンフェスティバルの会期内に市内数カ所に設置されたステージで5回演奏したそうだ。その日も日曜日のために、忙しかったらしく、かなり遅れてこられた。実際に演奏を聴くのはこれが初めてである。背が高い割には細い指で、軽やかにフルスを吹いておられた。九州にもこんな奏者がいるのだとうれしくなった。我がフルス愛好会の皆さんも軽やかな手つきと、それに導かれるメロディに感心していた。しかし、それにもましてすばらしかったのは彼女の歌である。中国人独特の線の細いビブラートのある高音発声ではなくて、かなり、本格的なベルカント唱法のソプラノの歌い手だ。といっても、やっぱり、中国的な香りがすごく漂う歌唱力のある歌い手だ。
廖明智さんに私たちのフルス演奏は聴いてもらえなかったのが残念だったが、九州内にフルス愛好会があることをすごく喜んでいただいた。私は持ち合わせの自作のフルス伴奏用CDを差し上げた。「涙そうそう」が入っているのを大変喜んでいただいた。
彼女は中国から長崎大学大学院教育学部に留学してきて、卒業後、松林さんのお世話で、地元放送局に就職しているという。彼女には日本フルス普及会長崎支部を作っていただきたいと密かに期待している。

長崎演奏旅行(領事さんとの出会い)

2010年03月10日 | 日本フルス普及会
私たちがゲストとして参加した二胡交流会の主賓は長崎総領事館の李領事であった。主催者の松林先生は李領事が私たちのフルスの演奏を聴いていただけるようにと、わざわざ出演順を変更してくださったことは前述の通りである。李氏にちょっと挨拶したら、向こうから、積極的に話しかけて来られた。
「どちらからお出でですか。」「福岡県の大牟田です。」「えっ、大牟田には知人がいますよ。」「そうですか。どうしてまた。」「大牟田には以前、福岡総領事館で領事をしていたとき、何度か招かれて行ったことがあります。○牟田さんと、○川さんをよく知っています。」「えっ、そうですか。私もフルス普及のことでずいぶんとお世話になっています。」と、こんな風に話は進んだ。
ところで、福岡総領事館の李氏の後任者である劉領事には、1週間前大牟田の日中友好協会春節会でフルスを吹き、その後の懇親会で親しくお話をしたばかりである。世の中は広いようで狭いものだ。つい先日までは私は大牟田市内の日中友好協会とのつながりさえもなかったのだが、大牟田で日中友好協会に積極的に関わっておられる○牟田さんと、○川さんが、フルスの音色を聴いて気に入ってもらった結果、このような機会を得たのだ。
どちらの領事さんも大変気さくな方で日本人がフルスの普及活動をしていることを大変喜んでいただき、励ましてくださった。ちなみに、九州内には福岡と長崎にしか総領事館はない。その二つの館の領事さんたちとあっという間につながったわけだ。この急速な展開は今後のフルスの普及の何らかの力になることを予感する。(写真は李領事の来賓挨拶。)

長崎演奏旅行(演奏はうまくいった)

2010年03月03日 | 日頃の活動
私たち上白川フルス愛好会はゲストとして温かく迎えられ、遠いところからいらっしゃったと大歓迎してもらった。コンサートの終盤で演奏する予定だったが、主賓として招かれていた長崎総領事館の領事李さんが時間の都合で退席されるので、せっかくだから領事さんにも聴いてもらおうと予定を早めて、観客がたくさんいる場面で演奏させてもらった。
あらかじめ、蘇州夜曲や草原情歌などなじみのある中国風メロディはほかにもたくさん演奏されるはずだから、フルス演奏家以外はあんまり吹かない「金風吹来的時候」を選曲していた。また、ちょうど季節にあう曲として「どこかで春が」と「花のまわりで」もこの日を意識して練習してきたものだ。練習の成果として安定した演奏で、大変よかったように思う。フルスも、このくらいの人数の合奏で吹くと、ボリュームがでて、聴き応えがある。
このユニークなフルス合奏団は盛んに拍手をいただいた。なお、「どこかで春が」と「花のまわりで」の伴奏曲は日本フルス普及会の会員の皆さんにはメールで送付している。まだ、十分間に合うので、機会があれば練習してコンサート等、発表に使ってほしいものだ。もちろん来年用でもいい。季節性のあるいい曲だ。