ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

BGMでフルス

2010年10月31日 | 中国、海外のフルス事情
 

プラスチック製だが、瓢箪は何となく心が和む



いつもの中国料理。量も、味も言うことなし
 

北京から開講式のために来て頂いた唐さんと日本から赴任した私を歓迎するための食事会があった。
体育館のように屋根が高くて広いオープンなレストランを通り抜けたところに、食事の部屋があった。天井にはひょうたん(模造品)が飾ってある。

中国でもひょうたんは縁起がいいものだろうと思って眺めていると、ホスト側の明さんが、フルスの音が聞こえますよといった。耳を澄ますと、外部のBGMとして聞こえているのはまさしくフルス。

この会社には1年半前に来て、日本語を教えたことがあるので、私が日本でフルスの普及活動をしていることは先刻ご承知だ。
フルスの話題で盛り上がったとき、この泰安で教えて下さる先生を紹介するためにその場から電話をかけてくださった。その先生はプロで、現在CCTV(日本で言うNHKTV)に出演するために北京に行っておられるとのこと。こんな小さな街にもフルスのプロがいるようになったのだと、5年前からフルスの先生を捜し求めて見つけることができなかった頃と、ずいぶん変わったものだと思った。

11月2日に先生が帰ってこられるそうなので、そのときが楽しみだ。


開講式

2010年10月30日 | 日本語教師

 

丸いモダンな建物は系列の保育園、その左奥の方に日本語研修センター



開講式で緊張する研修生

私は実際はすでに2日間教えたのではあるが、今日が正式な開講式である。
これは別の会社の施設を借りての事業であるから、北京からこの事業の管理者の方が来られて訓辞があった。私はそのあとに挨拶をした。管理者の方の話が「まだ、君たちは研修生候補である。この日本語研修に合格してはじめて日本に研修に行けるので、しっかりがんばってほしい。」と言う厳しい励ましの言葉であったので、私は「日本からはるばる君たちに正しい日本語を教えるためにやってきた。他のほとんどの研修所では日本人が来て教えることはないので、君たちは恵まれている。君たちを助けたい。そして、君たちのため、君たちの家族のため、そして日中友好のために仕事をしたい。」と、挨拶した。フルスとは直接は関係ない話だが………。


これからしばらくは泰安から

2010年10月27日 | 中国、海外のフルス事情

 


機内に入ったら、いきなりフルスの音色が聞こえてきた。

仕事と言うわけではないが、日本に来る研修生に日本語を教えるために時々中国に行く。
今回は泰安の日本語研修センターである。 1時間ほど遅れたが、今回はまずまずの飛行であった。
飛行機に乗ったとたん、フルスの音色が聞こえてきて驚いた。少し前までだったら、「中国っぽい音楽だ。」と感じるぐらいだったろうが、今はすぐに「フルスの演奏で、曲目も月光下的風尾竹」だと分かる。
以前は、フルスの音色が飛行機のBGMで聞こえてくることは絶対になかった。中国でもフルスがだんだんと浸透して行っている証拠だ。
私は中国の民族楽器の中で、二胡に継いで 今は2番人気だと思っている。

これから、1月中頃までは山東省泰安から報告することになる。


うれしい悲鳴

2010年10月23日 | 上白川フルス愛好会



年に1回の演芸会。.地域の皆さん期待のレクレーションだ。
ステージに出ると自分たちの演奏写真を撮れないのが、残念。


例年10月11日は上白川の秋祭りである。昼間は簡易飲食店やバザーそれに地域の皆さんの作品展、そして夜は演芸会が開かれ、よき地域交流の場となっている。

私はこの地域には関係ないところに住んでいるのだが、この演芸会に3年間連続で出演させてもらっている。1回目は一人で、2回目は上白川フルス愛好会が発足したので、メンバー6人で、そして、今年はメンバー10人と出演したばかりでなく、私単独のステージでも演奏させてもらった。このように、人数と内容が年々増えている。

1昨年5人で発足した上白川フルス愛好会は人数が13人になったとき、さらに増える傾向にあったので、多すぎては会の運営が大変だからと、上白川の地域の人を中心に編成し直し、二つに分けた。そして、一方を新たに三池フルス愛好会として発足させた。ところが、それから4ヶ月経った今、三池フルス愛好会がすでに10人になった。そして、上白川愛好会にも4人の新会員が入り、再び13人になった。合わせて23人になり、そろそろ、さらに新たな会の発足を考えなければならなくなった。うれしい悲鳴だ。

大牟田市ではフルスの名前と音色を知る人が徐々に増え、それとともに愛好者も増えている。愛好会が5個、10個、会員数が50人、100人になるのは夢のような話だが、かなり現実的な話だ。

私は密かにフルスを大牟田の町おこしの力にしようと考えている。

 


フルスを知らない中国人

2010年10月21日 | 中国、海外のフルス事情

 
中国人の来訪。
しかし、フルスはご存じではなかった。

上白川フルス愛好会の練習時、突然見学者があった。
この会場の施設の管理者である白川病院の職員と一緒に来られたが、所用で来られたお医者さんで、学生風の若い方だ。
当然フルスのことは知っておられると思って聞いたところ、「知りません。(プーチータオ}」の答えが返ってきた。
それで、「いつ日本に来られましたか」と聞いたら、案の定、10年前と言われた。

10年前に中国を出たのならば、知らないのが当然だ。
1999年に雲南省省都昆明で行われた博覧会のイベントがテレビで全国中継されたのがきっかけで急速に全国へ広まったというからだ。

5年前に中国から来た人で、半々。最近中国から来た人なら知らない人はほとんどいないだろう。

「里の秋」をみんなで吹いて歓迎した。
もちろんこの曲は「知っています。(チータオ)」だった。


 

 


万里の長城のフルス売り

2010年10月01日 | 中国、海外のフルス事情



中国の観光地にはフルス売りの人が多い。
たくさんの日本人が買って帰っているだろう。


万里の長城を登り切ったところの砦の中にフルス売りがいた。最近では中国の観光地でよく見かける光景だ。やっぱり、ここでも中国のフルステキストのはじめの方に掲載してある曲を吹いていた。

フルスは10年前(2000年)まではほとんどの中国人は知らない楽器だったが、現在では中国全土に広まり、大変人気のある楽器となっている。
CD屋さんにもかなりのスペースをとって置いてあり、中国の民族楽器では今では二胡に次いで2番人気ではないかと思う。

ところで、どこで聴くフルスも、売ってあるフルスCDなども、ほとんどが中国の民族音楽の演奏だ。これらはとてもすばらしく魅力的であり、値段も手頃だ。そして、何よりもその音色に惹かれて、中国で、フルスを買って帰る日本人はかなりいると思われる。

しかし、日本では指導者もいないし、フルスを聴く機会もあまりないので、さて、買って帰って練習しようとすると、困難にぶつかる。

これをなんとか、誰でも自力で練習できるような環境作りをするのが、私の使命だと思っている。