ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

東北がんばれの歌「斉太郎節」

2011年04月12日 | 日頃の活動

 

東北大震災により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。



写真で言えば震源地は牡鹿半島の東(右側)の沖合。
4月10日の新聞によると半島の陰になる松島市は
死者1名、しかし、それよりもっと陰になる石巻市は2482人とある。



歌詞にも出てくる日本三景の松島十島(としま)。
松島湾の入り口にあるこれらの島々により、
松島市の津波の被害は和らげられた。

 

 

私は昨年の夏に松島市に行った。高台からもいわゆる松島をの島々を眺め、なるほど、これが昔から知られている日本三景の一つの松島なんだ、と感じ入ったものだ。

地震直後から被害状況を気にしていたら、新聞に松島市は周辺各市に比べると 地震の被害が少なかったと出ていた。
地図を見ると震源との間に牡鹿半島があり、それで遮られたのかと思った。しかし、同じく震源からの陰になっている東松山市や石巻市も大きな被害に遭っている。

震源は地震のきっかけになった地点であって、実際の津波の元になる海底の急激な隆起は400キロ以上にわたり、南北に連なった断層の反発で起こっているのだそうだ。したがって、少々の障害物があっても津波はあらゆる方向から回り込んで入ってくる。その結果 松島市の北側にある石巻市や南側にある仙台市でも大きな被害が出ている。

ところが、松島市は牡鹿半島の陰に出来た湾の中のさらにあるもう一つの湾の中に位置しており、しかも、その入り口にいわゆる日本三景の一つと言われる松島の島々がある。この島々が津波を遮ったのだという。

だれでも知っている松島が、こんな形で人々の命を救ったのである。壊滅的被害といわれるこの地域のほんの一部ではあるが、被害が少なかった地域があったのは不幸中の幸いである。生き残った方々は是非、立ち直って、元気に立ち直って頂きたい。

救援コンサートにおいて、私たち「おおむたグリークラブ」はそんな気持ちを込めて歌った。中でも このあたりの漁師たちの歌「斉太郎節」は「エンヤーオット」のかけ声にのせて「松島のサーヨー、瑞巌寺ほどはー」と、いつもよりもっと心を込めて力強く歌った。そして、いつの日か、生き残られたこのあたりの漁師さんたちがこの歌のように力強くこぎ出して行かれることを祈っています、と、しめくくった。

小さなコンサートなので、私たち団員の募金も含めて義援金が2~3万円も集まれば上々だと思っていたが、感動してくださった方からその場で10万円の大口の募金もあった。また、別の方が1万円札を募金箱に入れられる場面も見た。それで、総額は予想の数倍以上になった。この義援金は大牟田市社会福祉協議会を通して被災地に送られる。
私の生き方のテーマのフルスを通してではなかったが、同じく音楽活動の一つで気持ちを表すことができたので、ちょっと一息ついている。

 


おおむたグリークラブサロン未来塾で支援募金

2011年04月09日 | 日頃の活動

東北地方大震災により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。




おおむたグリークラブはごらんの通りかなり高齢者が
多い合唱団だが、この町では結構人気がある。


震災被害に 今現在苦しんでいる方々のために何か自分で出来る支援はないだろうかと常々考えている。簡単で、明快な方法は募金をすることだ。私は機会があるごとに募金には協力している。

しかし、1個人ではなくて、自分の置かれた立場から何か出来ないか、と考えると、フルス普及活動を通してということになる。しかし、それは今すぐにはなかなか実現出来ない。

ところが、私の別の音楽活動で、震災復旧支援に少しだけ貢献することが出来た。一刻も早く気持ちを表したいと思っていたが、一応 やれやれ、という思いである。

私は20年以上、この町の「おおむたグリークラブ」という男声合唱団で活動している。以前から、フルスの活動でお世話になっている「コーヒーサロンはら」から「サロン未来塾」で歌いませんか、と、お誘いがあっていたのだが、いろいろな都合で延び延びになっていた。「サロン未来塾」はこの町の未来を見据えた文化の向上を目指して、様々な文化的催しを「コーヒーサロンはら」主催でしてくださるものだ。

今回は「もっと近くでおおむたグリー」というタイトルで、私が全てのマネージメントをやり、実行することにしていた。喫茶店でやるので、普通は観客が最大で、60人ぐらい。しかし、20人ぐらいの合唱団なので、そのスペースが必要だから、最大で40人ぐらい。
いつも文化会館の大ホールでは1000人ぐらいの観客を動員する合唱団なので、「コーヒーサロンはら」に来て頂くお客様の口コミだけで観客を動員しようと決めて他の宣伝はいっさいしないようにしていた。

ところが、チラシも作り、限定チケットも作り、コンサート準備も最終段階に、さしかかったばかりの時に東北大震災が起こり、気がふさぐ毎日。たった40枚のチケットさえも売れきれず、何でも自粛ムードのこんな時にやってもいいのかと、何とも気が乗らない状況になった。

しかし、私にはこんな時にこそ、何かできないかという思いがあり、急きょ 主催者の「はら」と団員に「災害復旧支援」というタイトルをつけることを提案した。さらに、曲目の組み替えや、コンサートの筋立てを考え、それにふさわしい内容にして実行することにした。

すなわち、東北大震災復興支援 おおむたグリークラブサロン未来塾コンサート 「もっと近くで おおむたグリー」と長い名前のコンサートになった。

その結果、客席も埋まり、演奏も大変好評で、思いもよらぬほどの結果になった。