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ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

長崎の町をさるいた

2011年02月25日 | 上白川フルス愛好会




車も来ない、適度の坂道、これが「さるく観光」の醍醐味


インゲン豆の隠元和尚はこのお寺の始祖だったと………

 

九州ではうろつき回ることを「さるく」または「さらく」などという。
だから、表題の「長崎の町をさるいた」は「長崎の町をうろつきまわった」という意味になる。
もっと言うなら、「の」という助詞を「ん」、「を」という助詞を「ば」という助詞を使うところが多い。そうすると「長崎ん町ばさるいた」となると九州弁そのものだ。

長崎は歴史にちなんだ名所がいたるところにある。大きく分けて、鎖国時代からの歴史的なものと原爆投下にかかわるものだが、それらを細分化するとまたいろいろなテーマに分類できる。

2006年に長崎市街全体を博覧会会場と見立てて「長崎さるく博」が行われた。
実際、長崎は入り江に出来た港町なので、土地が狭い。だから、まずは車で行くようなところではない。家々は山の上まで建てられ、車が入るところは少ない。だから、自家用車を持っている家は少ない。さらに坂道が多いので自転車すらほとんど見かけない。そのかわり、市内電車が充実しているので、長崎観光は市内電車に乗ってあるところまで行き、あとは「さるく」に限る。

長崎市市役所には「さるく観光課」という部署があり、「さるく観光」を奨励する事業を展開している。ざっと見たところ、38コースもコースが設定してあり、インターネットでも案内地図をダウンロードできるようになっている。

私たちは、そのうちの寺町界隈に行き、「さるく観光」をした。
興福寺は多数の中国人が長崎に来たときに、同時に伝わって来た黄檗宗の寺院で、中国との交流の際の航海の安全を守る神様も安置してある高台の静かな環境のお寺である。このあたりを「さるく観光」をしてゆったりと長崎の情緒を味わった。

長崎はまだまだ見どころがいっぱいある。毎年1回「さるく観光」をしたとすれば、「さるく課」の資料によると、あと37年間楽しめると言う勘定だ。
松林先生門下の交流会参加させて頂いたことにより、上白川フルス愛好会の皆さんは フルスが吹けて、長崎観光も出来て、年に一度の幸せを堪能されたようだ。


長崎は「発祥の地」がやたらと多い

2011年02月24日 | 上白川フルス愛好会

 

ホテルの目の前に立っていた国際電信発祥の地の碑

長崎は長い鎖国の間も外国との交易が行われ、明治の時代になってもその文化の流れが続いていたため「○○発祥の地」という碑が市内至る所に立っている。

まず、私たちが泊まっていた全日空ホテルの前には国際電信発祥の地というのがあった。その前に立って前方を見ると右前80メートルところにはボウリングの発祥の地と表示してあるし、後ろを振り返れば100メートルぐらい坂道を上ったところには修道院発祥の地がある。ボウリング発祥の地の100メートル先の海岸道路沿いには日本鉄道発祥の地がある。そのほか、チャンポンの発祥の地、西洋料理の発祥の地、バドミントンの発祥の地………と、枚挙にいとまがない。

フルス発表の会場となった香港上海銀行も国際銀行の発祥の地ではないかと思うが、そういう表示はなかったので、これは単なるわたしの憶測だ。

おそらく、鉄道発祥の地は新橋ー横浜間だったのでないか、と思われる方が多いだろう。実は私もそうと思っていた。ところが、その鉄道開業の7年前、英国人グラバーがこの先の海岸通りに600メートルのレールを敷き,上海の展示会で買った蒸気機関車に2両の列車を引かせ実際に客を乗せて走らせたのだそうだ。しかし、それはデモンストレーションでしかなかった。そのため、新橋ー横浜の鉄道は事業として走った鉄道の発祥の地であることになっているのだそうだ。

こんな碑を見ながら、我が町大牟田もフルス発祥の地にならないかと、話が弾んだ。現に、フルス愛好会はすでに二つでき、20人以上の人が活動しているので、将来、フルスが日本中で吹かれるようになったあかつきには、発祥の地ならぬ伝来の地にはなるかもしれない。そうなったらの話だが………。


頓珍漢人形の資料館を見た

2011年02月23日 | 上白川フルス愛好会




大きく口を開けて叫ぶ姿、手を挙げ何かに祈る姿………。
小さなひねり人形が何かを訴えようとしている。


翌日は朝から昨夜フルスを吹いた会場の旧香港上海銀行の2階にある久保田馨の頓珍漢人形資料館を見た。手のひらに包める程度の小さいひねり人形であるが、その独創性と表現の大胆さに驚いた。

テーマは全て、原爆に対する、怒りと、平和への願いである。
作者の久保田馨は長崎の山中に庵を構え、粘土で作った人形をひたすらに焼き、その数は30万個に及ぶという。大半は長崎に修学旅行に来た子供たちのおみやげとして安い値段で売られたが、それらは全国各地に散らばり、散逸しているという。それに文化的価値を見いだした収集家たちが呼びかけて集めたものだそうだ。

岡本太郎は縄文時代の人形に創作のエネルギーを得て、大阪万博の太陽の塔を作ったそうだが、久保田薫にも共通するものがあるように感じられる。
どれ一つとして同じものはないという。


夜のランタンフェスティバル

2011年02月22日 | 上白川フルス愛好会




見事な作りのランタン人形



今年から始まったという眼鏡橋のオブジェ
川の上に渡した提灯の光が水面に映えて美しい。


松林静風先生から大牟田からせっかく来られるので夜の食事を一緒にしましょうと誘われていたのだが、残念ながら遠慮した。
というのは、昨年も来たが、夜は大雨が降り、夜のランタンフェスティバルの様子を見損なったからだ。

上白川フルス愛好会の皆さんは1年に1度のレクリェーションのような気持ちで来ておられるので、どうしても見たいと言われる。
ランタンフェスティバルはなんと言っても夜のランタンの風景が一番美しい。これを見ないことにはせっかく長崎に来たのに意味がないぐらいだ。

期待に違わず、港公園、中央公園のランタンもきれいだったが、今年から始まったという眼鏡橋のランタンもきれいだった。
長崎中華街の中国人たちがやっていた旧正月のお祝いの行事を長崎なりに発展させ、見事な観光行事に発展させたこの催しは冬の一番観光客が枯れる時期の2週間にわたる一大イベントとしてすっかり定着した。そのアイディアと実行力はすごいことだと思う。

今年、見たから来年は大丈夫、松林先生から又、お話があったら、夜は空けておきたい。先生に教えて頂きたいことがいっぱいある。 


廖明智さんがやってきた

2011年02月21日 | 上白川フルス愛好会





廖明智さんのミャオ族の民族衣装の帽子と胸飾りは
銀でできていて、結構重いそうだ。


長崎のランタンフェスティバルでは街中のいくつかの会場にステージが設けられる。
蛇踊りや琉球踊り それに中国雑伎団など多彩な演技がなされるが、その中でも定番になっているのは廖明智さんのフルス演奏と中国曲の歌唱である。

廖明智さんは2週間のフェスティバルの期間中、時間ごとにステージを回り、大変忙しい。当日も、2つの会場を回った後、交流会の会場に来てくださった。

大変きれいな人で、ミャオ族の民族服で登場され 会場にパッと花が咲いた。フルスも上手だが、中国曲の歌唱はその澄み切った声の張りと響きと、本当に、魅力的だ。
昨年会ったとき、日本の曲もお願いしますよと、言っておいたのだが、今回は「涙そうそう」をフルスで吹いていただいた。

この曲は私が昨年たまたま自分の演奏の伴奏用に作成して持ってきていたCDを差し上げていたのだが、その中に入っていたものだ。私が来るというので、使って頂いたのだとは思うが、ありがたいことだ。ひょっとしたら、各会場のステージでも使われたのかもしれない。

別のサイトでも廖明智さんのステージの演奏を紹介してあるのでそのコメントとともに紹介しておく。

http://staff.announce.jp/?p=3016
ミャオ族の方の瓢箪笛演奏と歌唱。自分勝手に瓢箪笛演奏は中国人のおいちゃんがウケ狙いでひょうきんな演奏でもするのかと思っていたら、笛にしても歌にしても中国の大陸、草原にワープさせられたようなイメージが湧く歌唱力・表現力。オペラを見ているかのようで、もうビックリ! 

http://snufkinlife.blog6.fc2.com/blog-entry-807.html
ちょうどイベント時間とかぶったようで、瓢箪笛というミャオ族の女性の演奏が始まった。
民族衣装も美しいが、演奏者があまりにも美しくてびっくりした。ぴゃおりゃん~!


長崎ランタンフェスティバル協賛交流会

2011年02月20日 | 上白川フルス愛好会

 

由緒ある香港上海銀行のホールで演奏できてありがたい。
フルスによる合奏も ぬくもりがあってなかなかいい。

上白川フルス愛好会は昨年に引き続き、長崎ランタンフェスティバルに合わせて行われる松林静風先生の門下生交流会にゲストとして参加させていただいた。

松林先生は二胡をはじめ尺八、中国笛子、フルスなどを教えておられ、ぞれぞれにお弟子さんがおられる。フルスについては昨年から日本フルス普及会長崎支部の支部長をして頂いており、大変お世話になっている。

会場の旧香港上海銀行は大変由緒ある昔の国際銀行で、建物は文化財に指定されている。かつて長崎上海間に国際航路があり、東南アジアや上海、香港に住む西洋人たちの多くが長崎に来て商売をし、時には雲仙に保養に来ていたのだそうだ。そのときの拠点と成ったのがこの銀行で、由緒あるこのホールでフルスを合奏で演奏した。昨年は5人で訪問したが、今年は7人だった。人数が増えた分と、すこし、上手になった分で昨年よりいい演奏が出来たと思う。
曲目は「阿里山的姑娘(高山青)」 「赤い花白い花」 「荒城の月」 「冬景色」だった。「阿里山的姑娘」李春華先生編纂のテキストにも載っている台湾民謡で、お祭りとかに明るい雰囲気に合うようにぎやかにな合奏曲に編曲している。


うれしい悲鳴

2010年10月23日 | 上白川フルス愛好会



年に1回の演芸会。.地域の皆さん期待のレクレーションだ。
ステージに出ると自分たちの演奏写真を撮れないのが、残念。


例年10月11日は上白川の秋祭りである。昼間は簡易飲食店やバザーそれに地域の皆さんの作品展、そして夜は演芸会が開かれ、よき地域交流の場となっている。

私はこの地域には関係ないところに住んでいるのだが、この演芸会に3年間連続で出演させてもらっている。1回目は一人で、2回目は上白川フルス愛好会が発足したので、メンバー6人で、そして、今年はメンバー10人と出演したばかりでなく、私単独のステージでも演奏させてもらった。このように、人数と内容が年々増えている。

1昨年5人で発足した上白川フルス愛好会は人数が13人になったとき、さらに増える傾向にあったので、多すぎては会の運営が大変だからと、上白川の地域の人を中心に編成し直し、二つに分けた。そして、一方を新たに三池フルス愛好会として発足させた。ところが、それから4ヶ月経った今、三池フルス愛好会がすでに10人になった。そして、上白川愛好会にも4人の新会員が入り、再び13人になった。合わせて23人になり、そろそろ、さらに新たな会の発足を考えなければならなくなった。うれしい悲鳴だ。

大牟田市ではフルスの名前と音色を知る人が徐々に増え、それとともに愛好者も増えている。愛好会が5個、10個、会員数が50人、100人になるのは夢のような話だが、かなり現実的な話だ。

私は密かにフルスを大牟田の町おこしの力にしようと考えている。

 


大牟田カルッチフェスタに出演

2010年02月21日 | 上白川フルス愛好会
「フルス紹介コンサート」以来、大変お世話になっている「コーヒーサロンはら」のママさんからカルッチフェスタに出演しませんかとお誘いがあったのが2ヶ月前。
大牟田市の中心部の商店街が合同で人寄せのお祭りをする。アーケード街にはテーブルなどを置いて、ゆったりと休日を過ごしてもらう。いろいろな体験コーナーがあり、ふれあいとゆとりの時間を楽しんでもらおうというのが趣旨である。2カ所にステージが設けられ、どちらかで30分の演奏ができるという。

2月末とはいえ、まるで春のような日差しの中、「どこかで春が」と「花のまわり」をプログラムに入れた。そして、やはり中国の民族音楽も演奏しなければならないと、「金風吹来的時候」も入れた。私の時間の都合で、人が集まる中心部にステージは確保できなかったけど、演奏の結果には団員は大満足。それは不特定多数(実は少数だったが)の前で、初めて演奏することができ、発足当時のメンバー全員で2部合奏を含むきれいなハーモニーを公開することができたからである。私から言っても演奏者にも聴き手にも安心できる状態になったと満足している。中には「会の案内のチラシをください」と申し出る人もあった。上白川フルス愛好会は今後3月2日、12日、13日………と、ステージが目白押しである。回を重ねるたびに円熟してくるのはうれしい。