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ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

無事任務を終えて帰国出来た

2011年02月18日 | 日本語教師




開講式。不安な表情。



閉講式。希望に満ちた表情。


このブログはフルスがテーマだからフルスのことばかり書いているが、私がフルスと出会えたのは中国で日本に行く研修生たちに日本語を教えるようになったからこそである。

今回も2ヶ月半ぐらいの日程で日本語を教えて、その任務を果たすことが出来た。
2枚の写真を見てほしい。上は開講式の時の写真で、下が閉講式の時の写真である。まるで、小さい子供が泣き出す前とほめられたあとの表情である。

どちらも日本語による私の挨拶があるのだが、開講式の時は全く分からない私の話が、閉講式の時には完全に分かる。もっとも、分かる言葉で話すからではあるが………。

彼らはこのあと、すぐに日本に渡り、日本の研修施設でさらに1ヶ月の日本語研修を受けた後、各職場へ別れていく。そこでまた、日本語山脈の深い谷底に突き落とされるのであるが、ここでの基礎があるので、1年ほどたてば割と展望のよい日本語山に登ることができる。それから先は本人の努力と能力次第だが、3年間の研修を終える頃は まれに日本語検定1級の最高峰に登頂できる者もいる。実は三年前に教えた研修生の一人が1級に合格して中国に帰ってきたと聞いて気をよくしているところだ。日本語検定1級合格は中国の大学の日本語学科の学生の目標でもあるが、これを到達するのはなかなか難しい。

今回の研修生は全部関東地方に行く研修生だった。彼らはみんな一生懸命に日本語の勉強をして意欲満々で日本へ出発した。同時に私も任務を終え、日本に帰った。この研修生に限らず、中国人研修生は大きな夢と希望を持って日本へ来ているので、研修生を見かけられたら温かく見守って頂きたい。

平和のもとである国際理解はこういうところから始まると思う。


またまた新年会

2011年01月06日 | 日本語教師



青島ビールで乾杯。彼らは青島出身だ。
「青島ビールは中国で一番おいしいベールです。」と、
日本語でいえる。青島ビールは自慢の種だ。


夕方、前畑さんから電話があった。前畑さんの部屋で、シャブシャブをしようという話だ。研修生も来るという。

そんな話に反対する理由はない。ビールはあるというので、「じゃ、白酒(バイチュー・中国の標準のお酒)を買っていきます。」と言って、電話を切った。

こんな話は以前からあって、私のクラスにコックをしていた研修生がいて、「いつか、先生の部屋で料理を作ってあげます。」ということになっていたのだ。しかし、私の部屋にはガスがない(電磁調理器はある)ので、前畑さんの部屋でいつかしようと言うことになっていた。そういえば、その元コックさんは昨日の新年会ではジュースを飲んでいたので、ジュースも買っていった。

中国人は概して日本人よりお酒をよく飲むが、こういう者もいるのだ。教室できのうの新年会で何を飲んだか手を挙げさせて調べたら、32人中14~5人が白酒、10人ぐらいがビール、そして、7~8人がジュースであった。

ところが、来ている元コックさんとは研修生は別人だった。実は、前畑さんがたまたま鍋物を食べたくなって、シャブシャブの肉を買って来て、研修生を誰か連れてきてくださいと、陳先生にたのんだようだ。そこで、ちょうど、テスト中で一番最後まで残っていた、2人をつれてきたと言うことだった。

と、言うことで、結局、テストに一番時間がかかっていた子が来たので日本語会話能力も察しがつくであろう。と、いいながらも、勉強をはじめて2ヶ月もたつので、少しは話せる。彼らは考え考え、私たちと、一生懸命話して、日本語会話を楽しんだ(苦しんだ)が、このように、個人的に話すと、非常に自信を持たせることが出来る。

私たちは二日続きの新年会となった。しかし、まだ、元コックさんとの約束は果たしていない。


新年会

2011年01月05日 | 日本語教師



「いただきます」は日本式で。
左の小豆色の円いものは中国の正月に食べる餅。



「いい湯だな」はこういうときにピッタリだ。
ババンババンバンバンとやると雰囲気は盛り上がる。
是非日本でも、元気に歌って欲しい。


正月は臨沂(リンギ)市行きを堪能し、翌日はゆっくりしていたら、いきなり新年のお祝い会をしますので、来てくださいと電話があった。研修生たちが日本の正月に帰れなかった私たちに新年のお祝いしてくれるというのだ。

小さいホテルの食堂を借り切り、私のクラスと前畑さんのクラス合わせて44人が集まった。前畑さんのはじめの挨拶では日本の正月の様子を話してもらった。私の出番もあろうかと、フルスを準備しようと思ったが、閉講式のあとの祝賀会もあるので、そのときに吹くことにした。

研修生たちは全寮制で集中的に学習しているので、酒はもちろん禁止、携帯電話だって普段は取り上げられている。それで、このときとばかり、自由を楽しんでいた。

信じられないかもしれないが、授業開始後2ヶ月を過ぎている私のクラスの研修生は、気をつけて話せば日本語がほとんど分かる。一方前畑さんのクラスは2週間足らずなので、まだ、ほとんどしゃべれない。それでも、雰囲気を楽しみ、大騒ぎをしていた。

普段の授業では精彩を欠くのに、こういう場では大活躍の研修生もいる。おそらくこういう研修生も日本に行ったら大変喜ばれるのだろうと思う。


王羲之のふるさと臨沂(リンギ)市小旅行

2011年01月04日 | 日本語教師



王羲之が筆を洗ったと言われる池。 
以来、水が黒くなったとか。全面氷結。



様々な書家の書跡を早足で鑑賞



巨大な蘭亭序の石碑の前で


1月1日はホテルから直接泰安と青島の中間にある臨沂(リンギ)市へ行った。同僚の前畑さんのご所望による会社の正月のサービスである。

王羲之は書道の神様と言われ、日本でも習字のお手本として広く使われているという。特に「蘭亭序」は有名で、本人の書いたものは残っていないが、後世の書家が王羲之の書体で書いたものが、お手本とされているのだそうだ。王羲之の住まいといわれているところに庭園があり、その中の池は王羲之が筆を洗ったところとして有名である。

臨沂市は書道家が一度は行きたいあこがれの地であり、我が町大牟田ではちょっとした書道家である前畑さんがここに来たいと願っていた意味が分かる。

いつも、泰山は階段があるのでいやだ、5階にある私のアパートへは行きたくないと、だだをこねる前畑さんだが、今日ばかりは違う。隅から隅まで見てやろうと、まるで、子供のようにぐんぐん歩く。

臨沂市には至る所に書の石碑や記念館があり、書道の町だ。
(フルスとは直接関係のない話でした。)


「いい湯だな」を歌わせようかな。

2010年12月26日 | 日本語教師



「いい湯だな」は 猿も知っている日本の名曲だ。


先にも述べたように「いい湯だな」はドリフターズが「8時だよ!全員集合!」の中で歌って人気を博した曲だが、実はその前にデュークエイセスが歌っていた。いわゆるカバー曲だが、これがまた、レコード大賞企画賞の作品の中の1曲だったのである。

昭和40年代はじめ、今をときめく作詞家永六輔と作曲家いずみたくが日本各地を 二人で旅をして、その土地の風情を織り込んで作ったオリジナルのご当地ソング集で、「にほんのうた」シリーズとして東芝音楽工業から発売された。それがレコード大賞企画賞をとったのである。
「女ひとり(京都)」や、「フェニックス・ハネムーン(宮崎)」はすぐにヒットしたが、「いい湯だな」はすぐにはヒットしなかった。デュークエイセスは上品さが持ち味だったが、庶民的なドリフターズが歌って初めて、よく知られるようになった。

この研修所では閉講式の時に日本の歌を歌わせることになっている。通常は、「ふるさと」など、おとなしい歌を歌わせるのだが、このにぎやかな歌を歌わせるかどうか、今、検討中である。
厳粛な式なので、ちょっとどうかなとは思うが、歌わせる場合は、今回の派遣先である群馬 静岡 神奈川 東京 栃木 千葉の各県の代表的な温泉を折り込んで歌わせようと思う。(フルスには直接関係ない話)


お祈り

2010年12月20日 | 日本語教師



写真左上方200mの玉皇頂に向かってお祈りをする


研修生たちのいくらかは途中でお参りの時に使う線香を買って登った。
線香といっても、日本のようなかわいい物ではなく、棒香または板香とでもいった方がいいようなしろものである。研修生たちは日本での安全や家族の健康などをお祈りする。

お祈りの場所は頂上から200メートルぐらい下にある。線香に火をつけて山頂にある玉皇頂に向かってひざまずき、丁重に額を地面(祈祷台)につけてお祈りする。

陳先生もお祈りをした。お祈りの前に「ついでに、フルスが日本で普及しますようにと、お祈りしといてください。」たのんだ。
こんな事を人にたのんだら神様が怒って、いうことを聞いてくれないかもしれないと思ったが、後の祭りだ。

仕方がないので、あとでフルスを吹くときに、心を込めて吹き、お祈りしようと思うので、それで許してもらうほかはない。


泰山登山遠足

2010年12月18日 | 日本語教師



奥にそびえる世界自然遺産で文化遺産の泰山に登る。
今日はいい天気だ。手前の建物はこれも世界遺産泰廟

現在担当している研修生は来年の1月16日に出国と決まっている。 泰安の研修センターに来る研修生たちはすでに出国の準備をしてきている。もう、日本に来たのと同じような気持ちで研修を受けてほしいからである。日本での研修はふつう3年だが、それが3年と3カ月になったと思えばよい、ということだ。

センターに来た以上、日本と同じなので、自宅には帰れない。結婚している者もいる。たとえ奥さんが出産されるような時でも帰ることはない。

ただ、例外はある。王君の場合は、奥さんが出産を控えていたが、胎児が逆子だということが分かった。それで、母子ともに危険なので、帝王切開をすることになった。それで、出産の日の帰郷が許された。

研修生たちの日本語の勉強は朝8時15分から、4時半まで、びっしり詰まっている。夜は夜で晩自習の時間があり、その時の課題が与えられる。携帯電話は預かり(取り上げ)られ、土曜日午後と日曜日だけ返される。

そんな厳しい研修生活だから、研修生たちはあこがれの日本に行って困らないように他のことに気をとられずに真剣に日本語の勉強をする。

厳しい研修生活の中で、唯一の楽しみがある。それは泰山登山である。歴代の皇帝たちがこの山に登り、天の神に皇帝に就任したことを報告し、地の民に世を治めることを宣言する封禅の儀を行った道教のもっとも有名な山である。泰安の町のすぐ後ろにあるその山に登り、中国での思い出を作ろうというわけである。 ある研修生は山頂で日本での無事を祈り、またある研修生は家族の安全を祈る。

私はもちろん、山頂で「フルスが日本で普及しますように」と、祈りを込めて吹くつもりだ。


ゆっくり はっきり

2010年12月14日 | 日本語教師



発表するときは「ゆっくり はっきり」



壁に「ゆっくり はっきり」の紙を貼って


地球ラジオのフルスの紹介に対する反響の中で、私のしゃべり方について、「落ち着いて」「ゆっくり」「はっきり」………という評価の言葉がたくさんあった。

実は研修生に教えるとき、私は「ゆっくり、はっきり」をモットーにしている。
私自信も研修生が分かるように「ゆっくり はっきり」確認するようにして話すことに心がけているが、わざと早く話すこともある。たとえば、同じ事を2回繰り返して指示するときや、前出の文をもう一度言うときなどだ。これは聞き取り脳の訓練だ。しかし、基本はいつも、「ゆっくり はっきり」である。早く話すときも「はっきり」は堅持する。

研修生にも「ゆっくり はっきり」を強要する。発音が悪いと「なに~~~??」といって、やり直させる。
とにかく、外国人はアクセントもおかしいし、発音も悪いので、日本人には聞き取れない事が多い。外国人は特に「ゆっくり はっきり」を徹底させるべきだ。日本語の発音は明瞭だから、「ゆっくり はっきり」さえ心がければ少々発音が悪くても日本人は分かってくれるはずだ。

外国へ行って相手の発音が分からないのは当たり前だが、こちらの言いたいことが分かってもらえないのは悲しい。とたんに、自信を失い、もうこの言葉は使うまい、ということになり、泥沼にはまる。

私も、今回の地球ラジオのフルス紹介の時に「ゆっくり はっきり」を紙に書いて壁に貼っていた。それが、通じたのだったらうれしい。


「千仏山へバスで行きました。」

2010年11月27日 | 日本語教師



万仏洞は敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)や大同の雲崗石窟など、4つの石窟を
模して作った比較的新しい石窟だが、内部は広く、見事な仏像が並ぶ。



「あれはフルスです。」 と、「これはフルスです。」は
第2課で教えた内容だ。


前の日曜日には曲阜へ行ったが、今度は済南の千仏山へ行った。
済南の三大景勝地の一つだという。山全体が公園になっており、たくさんの仏像がある万仏洞やいくつかの由緒ある寺院がある。お金儲けの寺院や、健康の寺院もあり、しっかりお願いして来た。

前回の曲阜とは別の研修生を通訳として連れていった。
今回は「○○へ行きました。帰りました。」などの移動動詞と時刻、日時の表し方などを学習している。そのため、まだ通訳とまではいかないが、ずいぶんと意志の疎通ができるようになった。
「たとえば、千仏山へ行きましょう。」「何で行きますか。」「バスで行きます。」「何時に行きますか。」「いくらですか。」などは分かる。
しかし、「何時に乗りますか」「何時間かかりますか。」はまだ分からない。「乗る」や「かかる」という動詞は教えていないからだ。
次の週だったら分かるはずだ。このように、研修生と行動を共にすると、今までの成果を確かめられるし、研修生たちにとっても大変いい経験となる。

ここでは、研修生がお土産屋さんでいち早くフルスを見つけ、遠くから「先生、あれはフルスです。」そして、手にとって「これはフルスです。」と、言っていた。私がフルスに興味を持っていることをよく知っているからだ。


面接試験(フルスとは関係ないけれど)

2010年11月24日 | 日本語教師



面接官は3人から2人へ



最後は1対1の面接

研修生たちは書類審査、実技試験、簡単な学科試験を受け、最終段階は採用予定の日本の会社の社長さん(または担当者)の面接を受けて入所してくる。競争率は3倍ぐらいだそうだ。最後のふるいが日本人による面接試験だから、面接は研修生にとっては強烈なインパクトがある。

今日は相方の陳先生が第5課に進んでいると思っていたらまだだったので、これまでの復習をかねて、その日の全ての持ち時間で、模擬面接をさせた。

私の役目は陳先生が教えた後、習ったことを応用して会話力を高めることなので、陳先生より先に進むことはしない。日本人が下手に文法などを教えると、帰って混乱させるだけだ。
面接方式の授業は余裕がある時、いつも取り入れているので慣れてはいるが、今回はすでに習ったすべての課の内容をグループで練習したり、全員の前で発表させたりした。

まずは面接官を3人からはじめ、練習するごとに2人、1人と減らしていった。また、面接官ははじめのうちはテキストを見ながら質問してもよいことにしたが、後半は見ないで質問するようにした。また、今まで習った文型をできるだけ多様に使って会話をするようにした。

日本語の習得は一般的に男より女の方が早い。男の場合は口が重く、3ヶ月ぐらいの研修期間ではどうしても言葉が出ない研修生が30人のクラスであれば、3~5人出てくるが、女の子の場合は1~2人程度である。ところが、今回の32人のクラスは全員男子だが、スラスラとはいかないが、一応、全員言葉が出る。特別に進んだ子もいないが、大変やりやすい。

ちなみに、今までに習ったのは「○○は○○です」の構文と、「寝る、起きる、休む、働く、勉強する」の動詞の疑問、肯定、否定、過去形などである。

これらを含め、200ぐらいの単語数しかないのに 、結構面接の会話ができるのが不思議なくらいおもしろい。