ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

フルスを買った店が一等地に引っ越し

2010年11月30日 | 中国、海外のフルス事情



街の中心地、銀座デパートの裏手は建て変わり、
すっかりきれいになっていた。


楽器屋さんに行った。
1年半前に泰安にいたときは、この店はうらぶれた町中の雑然とした通りにあったのだが、今度は、この町では一番華やかな一等地に引っ越していた。銀座デパートの横の富岡ラーメンや、日本料理店が入っている新しい建物である。

売り場面積も広くなり、繁盛しているようだ。前回、泰安に来たときに私はフルスの購入をたのまれていたので、この店で買って送った。

そのころ、すでに、私にはフルスの製品知識がかなりあったので、この町にある7軒の楽器屋さんを全て回り、試吹してみて、ここのフルスに決めた。それは中国で最も大きい民族楽器メーカーのフルスである。このフルスは日本人の楽器の基準から言えば、決して満足できるものではないが、値段も手頃で、中国では現在のところもっとも信頼できる水準にある楽器だ。
その後、新会員から頼まれたときには陳先生にこの店で買ってもらい、日本に送ってもらっている。

現在、フルスは日本のほとんどの地域ではインターネットで購入するか、中国に行く人に頼む以外に入手する方法はない。
しかし、インターネットで注文したフルスは必ずしも信用できるとは限らない。しかも、値段は中国で買う値段の3倍ぐらいに設定してある。人に頼んだら、確かに安く買えるのだが、その人がフルスについて深い知識があるとは限らないので、適切な物を買ってきてもらえるかどうかは分からない。

このメーカーは大きいだけに、他のメーカーのフルスに比べる、製品管理もうんとよく、もっとも実用的なフルスだといえる。

今までに、この店で何回かフルスを注文したが、私が注文したフルスでもうけて、一等地に引っ越すほどではないはずだが………。


三池フルス愛好会の活動が新聞に載った

2010年11月29日 | 三池フルス愛好会



地元の新聞の第一面にかなりのスペースを割いて載せてある


また、新聞記事の写真をメールで送ってもらった。
三池フルス愛好会は目の不自由な人を中心に据え、障害者などに希望を持ってもらうための活動を中心にするサークルである。1月6日にサンアビリティでの初舞台を取材して頂いた流れで、再度、練習会場に記者さんが来られて取材されたそうだ。

市の視覚障害者団体の会長さんがフルスの音色が大変気に入られたのが、きっかけで7月にこの会が発足したのであるが、残念ながらその後会長さんは足の手術のために練習に参加できなくなった。10月には退院されて、練習に来られたのではあるが、すぐに、11月6日のサンアビリティの会に参加しようと言い出されたのである。会員の皆さんは驚いたが、みんなで参加することで、努力して技量を高めようと、参加を決定した。

はじめからの会員は3ヶ月あまり、提案者は1ケ月の練習期間で猛練習されての初舞台であった。そして、その発表をきっかけに全盲の方の入会者があり、いま、燃えているとのことである。

全盲の方が入会されるということは、純粋にフルスの音色が気に入って入会されたはずだ。三池フルス普及会は現在活動している10人の会員の中で全盲の方2人、弱視の方1名となった。


千仏山山頂でフルスを吹いた

2010年11月28日 | 日頃の活動



今日の天気は晴れ。
しかし、済南の街並みすら、はっきり見えない。
黄河も、河北平野も見えない。残念!!



誰も注目はしない。よかった、よかった。
また、どこかで、フルスを吹こう。

前の週、曲阜に行ったときには孔府の前でフルスを吹かなかったことをあとで、残念に思ったので、今回ははじめから、山頂でフルスを吹くことを心に決めていた。
千仏山は標高280メートルのほどの低い山だ。しかし、晴れていれば南には雄大な泰山、そして、北には済南の街並みが見えるはずだ。さらにその町並みに接するように長く横たわる黄河、その先は北京の先まで500キロメートル広がる広大な河北平野が見えるはずだ。

そんな期待を胸に、山頂に着いた。天気は晴れていたが、この地域特有のかすみで眼下の済南の街並みさえよく見えなかった。中国では晴れていても大体このような日が多い。

あまり広くない頂上には岩場があり、ここそこに人が集まっている。場所を決めて、研修生にカメラを渡し、撮ってくれるように頼んだ。曲は「竹田の子守唄」。この曲についてはこのブログで何度もふれたが、中国でも「祈祷」(チータオ)として知られ、研修生たちは歌詞を見なくても歌えるほどだ。中国では平和を祈る歌となっているので、こういう場所で吹くのは一番ふさわしいと思う。

これは実際は動画で撮っているが、中国ではYOUTUBEが使えないので、写真のみ掲載しているが、日本に帰った後、動画にして変更しようと思う。


「千仏山へバスで行きました。」

2010年11月27日 | 日本語教師



万仏洞は敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)や大同の雲崗石窟など、4つの石窟を
模して作った比較的新しい石窟だが、内部は広く、見事な仏像が並ぶ。



「あれはフルスです。」 と、「これはフルスです。」は
第2課で教えた内容だ。


前の日曜日には曲阜へ行ったが、今度は済南の千仏山へ行った。
済南の三大景勝地の一つだという。山全体が公園になっており、たくさんの仏像がある万仏洞やいくつかの由緒ある寺院がある。お金儲けの寺院や、健康の寺院もあり、しっかりお願いして来た。

前回の曲阜とは別の研修生を通訳として連れていった。
今回は「○○へ行きました。帰りました。」などの移動動詞と時刻、日時の表し方などを学習している。そのため、まだ通訳とまではいかないが、ずいぶんと意志の疎通ができるようになった。
「たとえば、千仏山へ行きましょう。」「何で行きますか。」「バスで行きます。」「何時に行きますか。」「いくらですか。」などは分かる。
しかし、「何時に乗りますか」「何時間かかりますか。」はまだ分からない。「乗る」や「かかる」という動詞は教えていないからだ。
次の週だったら分かるはずだ。このように、研修生と行動を共にすると、今までの成果を確かめられるし、研修生たちにとっても大変いい経験となる。

ここでは、研修生がお土産屋さんでいち早くフルスを見つけ、遠くから「先生、あれはフルスです。」そして、手にとって「これはフルスです。」と、言っていた。私がフルスに興味を持っていることをよく知っているからだ。


私はここでつまずいていた

2010年11月26日 | フルスとの出会い

指定のフルスでは表記の音符の音は出ない。
初心者の私にはどうしても理解できなかった。



理解できないはず。表記が間違っていたから。
最新版のテキストでは訂正してあった。

上の写真はテキストに載っているタイ族の民歌「美しいところ」の楽譜(数字譜)である。
私はフルスの練習を始めた頃、この部分でつまづいた。冒頭の指示で「1=♭B」は 「ドをB♭とする。」という意味である。それから「3/4」は「4分の3拍子」を意味する。最後の「全安作5(実際は数字の下に・がある)」は「全部の穴を押さえた時の音を低いソとする。」という意味である。

すなわち、全部を通して読むと、この曲は「B♭調のフルスで吹く。曲は4分の3拍子で全部の穴を押さえて吹いたとき、移動ドで低いソの音になる。」と、宣言しているのである。
辞書を引き引き、ここまでを調べたが、どうしても、B♭の笛では出せない音が表記してあるのだ。このように分からないところが随所に出てきて、私を悩ませた。

そして、ひょっとしたら、私は根本的な間違いをしているのではないかと思い、挫折の連続であった。

自分での練習は思い出したように、続けてはいたが、本格的に教えてくださる先生を待ち望んでたが、この5年間に、今までに、中国の別の4都市でそれぞれ3ヶ月程度ずつ5回住んだ。そのたびにフルスの先生を探したが、出会わなかった。長い間フルスの先生の登場を待っていたのだ。


初めてのレッスン

2010年11月25日 | 日頃の活動



通訳の陳先生もついて、今まで分からなかったところも氷解


イン先生による初めてのレッスンだった。緊張して、時間を待った。先生は道に迷われて、少し遅れて来られた。今日は通訳として陳先生にも来てもらった。日本語の勉強のために、研修生も2人ついてきた。

基本的な吹き方はできるので、イン先生には中国的な演奏技巧を習いたかった。こちらから特別にお願いしなくて、指先の技巧の編から入ってもらえた。

指先の早い動きの宿題が出ていたが、練習ではあまりうまくできなかった。60の手習いどころか、それを越えてから始めたので、若い人のようにうまくはいかない。しかし、そんな私でも始めた頃から比べると、格段に上手になっているので、そんなに気にすることはない。別にトップになるつもりもない。

宿題の練習曲を緊張して吹いた。明らかに満点ではないが、一応合格した。

新しい課題曲も、先生は模範演奏をしてくださるので、大変分かりやすい。また、どうしても分からなかった楽譜上の表記を質問したら、「ああ、これは間違いですよ。」と、テキストの間違いを指摘してくださった。指定されたフルスでは吹くことができない音域が出てくるので、苦しんできたところであった。そして、「この本には間違いがいっぱいありますよ。」とも言われた。中国語がうまくできず、数字譜がスラスラと読めない私にとってはやっぱり独学はちょっと無理だったのだ。

せっかく、いい先生に恵まれたので、滞在中あと7回のレッスンを大切にしようと思う。


面接試験(フルスとは関係ないけれど)

2010年11月24日 | 日本語教師



面接官は3人から2人へ



最後は1対1の面接

研修生たちは書類審査、実技試験、簡単な学科試験を受け、最終段階は採用予定の日本の会社の社長さん(または担当者)の面接を受けて入所してくる。競争率は3倍ぐらいだそうだ。最後のふるいが日本人による面接試験だから、面接は研修生にとっては強烈なインパクトがある。

今日は相方の陳先生が第5課に進んでいると思っていたらまだだったので、これまでの復習をかねて、その日の全ての持ち時間で、模擬面接をさせた。

私の役目は陳先生が教えた後、習ったことを応用して会話力を高めることなので、陳先生より先に進むことはしない。日本人が下手に文法などを教えると、帰って混乱させるだけだ。
面接方式の授業は余裕がある時、いつも取り入れているので慣れてはいるが、今回はすでに習ったすべての課の内容をグループで練習したり、全員の前で発表させたりした。

まずは面接官を3人からはじめ、練習するごとに2人、1人と減らしていった。また、面接官ははじめのうちはテキストを見ながら質問してもよいことにしたが、後半は見ないで質問するようにした。また、今まで習った文型をできるだけ多様に使って会話をするようにした。

日本語の習得は一般的に男より女の方が早い。男の場合は口が重く、3ヶ月ぐらいの研修期間ではどうしても言葉が出ない研修生が30人のクラスであれば、3~5人出てくるが、女の子の場合は1~2人程度である。ところが、今回の32人のクラスは全員男子だが、スラスラとはいかないが、一応、全員言葉が出る。特別に進んだ子もいないが、大変やりやすい。

ちなみに、今までに習ったのは「○○は○○です」の構文と、「寝る、起きる、休む、働く、勉強する」の動詞の疑問、肯定、否定、過去形などである。

これらを含め、200ぐらいの単語数しかないのに 、結構面接の会話ができるのが不思議なくらいおもしろい。


「NHK地球ラジオ」でフルスを紹介することになりました

2010年11月23日 | 日本フルス普及会


この番組に出る人はよく頑海外で、よく張っているなあと、感心して
聴いていたけど、まさか、自分が出ることになるとは………
(NHKが内容を公開したので、プログに載せました。)

来たる12月5日(日)にNHK地球ラジオになんと「ただのおじ」さんが出演し、フルスを全国に紹介することになりました。

通常は地球ラジオは土曜日と日曜日の5時台と6時台に東京のスタジオから放送されていますが、この日は福岡放送局開局80周年に合わせて福岡からスタジオ公開生中継で、4時10分から6時50分までの拡大版です。
私は現在、泰安にいますので、電話での出演となります。フルスは九州大学芸術工学部大学院留学生劉志鴻さんがスタジオで吹いてくれます。

私は土曜や日曜日に外出したとき、帰りの車の中でよくこの番組を聴きます。
外国の珍しい文化や生活習慣などが紹介されますので、いつも楽しみにして聴いています。今回はフルスの音色や形が珍しいと認められ、私にご指名があったものと思います。
ラジオとはいえ、全国放送ですので、何らかの反応があると思います。
私の出るコーナーは「奮闘!福岡人」で、「中国で日本語教師、日本フルス普及会会長として活躍する福岡県人」として紹介されます。「福岡人」は間違いありませんが、「奮闘!」というほどではありません。また、「活躍する人」を「活動する人」に直せば間違いないでしょう。

次の放送があるまでの1週間はいつでもパソコンで聴くことができます。興味のある皆さん方にお知らせください。
地球ラジオのホームページはここをクリックしてください。


福岡市支部誕生

2010年11月22日 | 日本フルス普及会



その日の写真は不本意ながら全部削除。
その後に写したシーホークとヤフードームの写真が残った。

「コーヒーサロンはら」のミニコンサートのあと すぐに福岡でのフルスのレッスンをひかえていた。
私の泰安行きも迫っている。これにはビザが必要なので、福岡の総領事館に申請に行かなければならない。そこで、その用件を重ね、1回で済ますことにした。

ビザ申請に行くときにせっかく来たので、福岡総領事館の全景を写した。もう一枚正面から写した。警官が無線で何やら話していた。やばいと思った。写真を削除する方法を考えていた。まもなく、2人の警官がどこからか出てきて、横断歩道を渡る私を待っていた。全てを察した私は、デジカメの画面を見せながら「削除します。」といって、削除した。記念に、1枚だけは残しておこうと思って小細工をしたつもりが仇になり、結局はカメラにあったすべてのファイルが消えていた。

午後から、天神の二胡ショップでフルスのレッスンだ。私の生徒さんは3人、全部この店の関係者である。その日はいつも福岡市でお世話をしてくださる中山さんと、留学生の劉さんに来てもらっていた。レッスンが終わり、日本フルス普及会福岡支部を発足させた。支部長はこの店の木村さんにお願いした。支部会員は、3人の成都さんと、中山さん、劉さんの5人だ。 そして、私が泰安に行って、不在の期間は劉さんに中国のテキストを使って、3人の会員に指導してもらうことにした。私が日本に帰ったら、今度は皆さんと一緒に生徒になって、劉さんに習うつもりである。

支部ができたおかげで、福岡県には2支部3愛好会が活動することになった。


地元の新聞社が注目した

2010年11月21日 | 日頃の活動



地元新聞のニュース記事の一つ



劉さんを紹介する囲み記事


コーヒーサロンはらのミニコンサートの情報は事前に地元の新聞社に流してあったので、当日は2社から取材に来た。熱心に取材をしていたが、せっかくの機会だからと追加で応援に頼んだ劉さんに盛んに取材をしていた。

その後、新聞を見てみると、両社ともニュース記事はもちろん、劉さんの囲み記事載せており、時間をおいて合計5つの記事が掲載された。ちなみに私が写っている写真は一枚もなかった。確かに「ただのおじ(い)さん」を写すより若い女性を写した方が、読者の興味を引くことは間違いない。

新聞社は中国人が演奏したことや、留学生と交流をしたことによほど興味があったのだろう。劉さんも、大きく報道されたことを大変喜んでいた。

劉さんには大牟田を皮切りにフルスで大きく羽ばたいてほしい。