ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

途絶えそうになった三池初市

2011年02月28日 | 三池フルス愛好会




三池初市の雰囲気が盛り上がった初市通り

 

三池フルス愛好会と上白川フルス愛好会22人が出演する三池初市。
300年の伝統がある三池初市だが、一時期はまさに消滅する寸前であった。

その昔は妙見さんのお祭りとされたようだが、近年は宗教的な意味合いはほとんどなく、
ただ、何の約束もなく3月1日になると必ず露天商の人たちが集まり、そして近郷近在の人々が集まって来るという不思議な祭りである。

ただ、現在ではその責任の所在はどこにあるかが問題になるので、必ず事前に誰かが計画書を出し、道路占有許可をもらわなければならない。町の数人の有識者がその仕事をしていたのだが、個人の立場での困難さと有志の高齢化により、どうしてもお世話が出来ないと言うことになり、いよいよ三池初市は終わりを迎えることになりつつあった。「今年で終わり」ということを何回か繰り返し、いよいよ本当に今年で終わりということになった。

町の組織でいろいろ話し合ったが、だれがお世話をするかで結局はいい案が出ずいよいよ300年の伝統のある三池初市は2000年を最後にほとんど終わりかけていた。
ところが、そこで一つの提案があり、会議の雰囲気ががらりと変わった。


もうすぐ三池初市

2011年02月27日 | 慰問、地域のイベント

 

22人のフルス合奏の練習

大牟田市の東部、三池地区はこの市の中でもっとも古くから発展していた古い町だ。その町の中心部に三池フルス愛好会の練習場である三池地区公民館がある。

この公民館辺り一帯で毎年3月1日と2日は初市という市が開かれる。300年以上も前から、農産物や農具などの物々交換から始まったと言われている歴史のある市だ。

三池フルス愛好会は三池初市の会場で行われるイベントへの出場を依頼された。昨年は上白川フルス愛好会が出演したが、私も都合で出られなかったし、会員も少なかったので、5人で参加した。ところが、それが大変好評だったので、今回は当会場で練習している三池フルス愛好会に依頼があったのだ。

どちらも私が関わっているので、せっかくだから三池フルス愛好会と上白川フルス愛好会が合同で参加しようと言うことになった。合計22人で参加の予定だ。このたび、合同練習をしたが、22人のフルス合奏はかなり迫力がある。迫力といってもオーケストラのやブラスバンドの迫力ではなく、温みのある耳にやさしい迫力だ。これだけのフルス合奏は全国どこにもないと思う。

以前、三池フルス愛好会の取材に来られた記者さんが今回も練習中に取材に来られたが外から聞こえてきた合奏の音に、以前と違った雰囲気の音楽が聞こえてきたので間違えて来たかと勘違いしたと言っておられた。

フルスで合奏をする。これは日本でのフルス普及のあり方として大変いいやり方だと思っている。フルス合奏は3月2日午後2時から三池地区公民館前特設ステージで行う。近くの方は是非聴きにおいで頂きたい。


大牟田日中友好協会春節祭でフルスを吹いた

2011年02月26日 | 日頃の活動




市内の中華料理店で開かれた日中友好協会の春節祭

私は上白川フルス愛好会の皆さんとともに「さるく観光」の一部を楽しんだあと、一人別れて
一足早い電車で大牟田に帰った。というのは この日の夜は大牟田日中友好協会の春節祭にフルス演奏で招かれていたからだ。

この会には昨年も呼ばれた。会員の皆さんは本当に日中友好の精神に基づき、中国との交流を細やかにしてくださる。その献身ぶりには頭が下がる。

中国で 日本に研修生を送り出している会社の社長さんと食事をしたとき、大牟田の日中友好協会の活動を引き合いに出して、日本ではある程度の規模の町には必ず日中友好協会があって、心から中国人のお世話をしたり、交流をしたりしている、という話をしたら、涙を流して喜んでくださった。話した私も驚いたほどだったのだが、送り出す方も研修生が日本でどう扱われているかが気になることなのだ。

フルスの曲は初めて中国の民歌「竹林深処」を吹いた。もう、座が開けたあとだったのであんまり聴いてもらえなかったが、中国でイン先生に習った本格的な曲を初めて人前で吹いたのである。必ず引っかかる、と思っていたので、あんまり聴いてくれないこういう機会がいいかと思い、あえてこの曲を選んだのだが、案の定 つまずいたので 判断は正しかったわけだ。もう少し、上手になってから、きちんと聴いて頂く場で吹けるように練習をしたい。いまのところ、4月16日にそういう機会があるので、私の技術的な向上目標の一つである。
あとは「少年時代」など楽しい曲を吹き、楽しんでもらった。


長崎の町をさるいた

2011年02月25日 | 上白川フルス愛好会




車も来ない、適度の坂道、これが「さるく観光」の醍醐味


インゲン豆の隠元和尚はこのお寺の始祖だったと………

 

九州ではうろつき回ることを「さるく」または「さらく」などという。
だから、表題の「長崎の町をさるいた」は「長崎の町をうろつきまわった」という意味になる。
もっと言うなら、「の」という助詞を「ん」、「を」という助詞を「ば」という助詞を使うところが多い。そうすると「長崎ん町ばさるいた」となると九州弁そのものだ。

長崎は歴史にちなんだ名所がいたるところにある。大きく分けて、鎖国時代からの歴史的なものと原爆投下にかかわるものだが、それらを細分化するとまたいろいろなテーマに分類できる。

2006年に長崎市街全体を博覧会会場と見立てて「長崎さるく博」が行われた。
実際、長崎は入り江に出来た港町なので、土地が狭い。だから、まずは車で行くようなところではない。家々は山の上まで建てられ、車が入るところは少ない。だから、自家用車を持っている家は少ない。さらに坂道が多いので自転車すらほとんど見かけない。そのかわり、市内電車が充実しているので、長崎観光は市内電車に乗ってあるところまで行き、あとは「さるく」に限る。

長崎市市役所には「さるく観光課」という部署があり、「さるく観光」を奨励する事業を展開している。ざっと見たところ、38コースもコースが設定してあり、インターネットでも案内地図をダウンロードできるようになっている。

私たちは、そのうちの寺町界隈に行き、「さるく観光」をした。
興福寺は多数の中国人が長崎に来たときに、同時に伝わって来た黄檗宗の寺院で、中国との交流の際の航海の安全を守る神様も安置してある高台の静かな環境のお寺である。このあたりを「さるく観光」をしてゆったりと長崎の情緒を味わった。

長崎はまだまだ見どころがいっぱいある。毎年1回「さるく観光」をしたとすれば、「さるく課」の資料によると、あと37年間楽しめると言う勘定だ。
松林先生門下の交流会参加させて頂いたことにより、上白川フルス愛好会の皆さんは フルスが吹けて、長崎観光も出来て、年に一度の幸せを堪能されたようだ。


長崎は「発祥の地」がやたらと多い

2011年02月24日 | 上白川フルス愛好会

 

ホテルの目の前に立っていた国際電信発祥の地の碑

長崎は長い鎖国の間も外国との交易が行われ、明治の時代になってもその文化の流れが続いていたため「○○発祥の地」という碑が市内至る所に立っている。

まず、私たちが泊まっていた全日空ホテルの前には国際電信発祥の地というのがあった。その前に立って前方を見ると右前80メートルところにはボウリングの発祥の地と表示してあるし、後ろを振り返れば100メートルぐらい坂道を上ったところには修道院発祥の地がある。ボウリング発祥の地の100メートル先の海岸道路沿いには日本鉄道発祥の地がある。そのほか、チャンポンの発祥の地、西洋料理の発祥の地、バドミントンの発祥の地………と、枚挙にいとまがない。

フルス発表の会場となった香港上海銀行も国際銀行の発祥の地ではないかと思うが、そういう表示はなかったので、これは単なるわたしの憶測だ。

おそらく、鉄道発祥の地は新橋ー横浜間だったのでないか、と思われる方が多いだろう。実は私もそうと思っていた。ところが、その鉄道開業の7年前、英国人グラバーがこの先の海岸通りに600メートルのレールを敷き,上海の展示会で買った蒸気機関車に2両の列車を引かせ実際に客を乗せて走らせたのだそうだ。しかし、それはデモンストレーションでしかなかった。そのため、新橋ー横浜の鉄道は事業として走った鉄道の発祥の地であることになっているのだそうだ。

こんな碑を見ながら、我が町大牟田もフルス発祥の地にならないかと、話が弾んだ。現に、フルス愛好会はすでに二つでき、20人以上の人が活動しているので、将来、フルスが日本中で吹かれるようになったあかつきには、発祥の地ならぬ伝来の地にはなるかもしれない。そうなったらの話だが………。


頓珍漢人形の資料館を見た

2011年02月23日 | 上白川フルス愛好会




大きく口を開けて叫ぶ姿、手を挙げ何かに祈る姿………。
小さなひねり人形が何かを訴えようとしている。


翌日は朝から昨夜フルスを吹いた会場の旧香港上海銀行の2階にある久保田馨の頓珍漢人形資料館を見た。手のひらに包める程度の小さいひねり人形であるが、その独創性と表現の大胆さに驚いた。

テーマは全て、原爆に対する、怒りと、平和への願いである。
作者の久保田馨は長崎の山中に庵を構え、粘土で作った人形をひたすらに焼き、その数は30万個に及ぶという。大半は長崎に修学旅行に来た子供たちのおみやげとして安い値段で売られたが、それらは全国各地に散らばり、散逸しているという。それに文化的価値を見いだした収集家たちが呼びかけて集めたものだそうだ。

岡本太郎は縄文時代の人形に創作のエネルギーを得て、大阪万博の太陽の塔を作ったそうだが、久保田薫にも共通するものがあるように感じられる。
どれ一つとして同じものはないという。


夜のランタンフェスティバル

2011年02月22日 | 上白川フルス愛好会




見事な作りのランタン人形



今年から始まったという眼鏡橋のオブジェ
川の上に渡した提灯の光が水面に映えて美しい。


松林静風先生から大牟田からせっかく来られるので夜の食事を一緒にしましょうと誘われていたのだが、残念ながら遠慮した。
というのは、昨年も来たが、夜は大雨が降り、夜のランタンフェスティバルの様子を見損なったからだ。

上白川フルス愛好会の皆さんは1年に1度のレクリェーションのような気持ちで来ておられるので、どうしても見たいと言われる。
ランタンフェスティバルはなんと言っても夜のランタンの風景が一番美しい。これを見ないことにはせっかく長崎に来たのに意味がないぐらいだ。

期待に違わず、港公園、中央公園のランタンもきれいだったが、今年から始まったという眼鏡橋のランタンもきれいだった。
長崎中華街の中国人たちがやっていた旧正月のお祝いの行事を長崎なりに発展させ、見事な観光行事に発展させたこの催しは冬の一番観光客が枯れる時期の2週間にわたる一大イベントとしてすっかり定着した。そのアイディアと実行力はすごいことだと思う。

今年、見たから来年は大丈夫、松林先生から又、お話があったら、夜は空けておきたい。先生に教えて頂きたいことがいっぱいある。 


廖明智さんがやってきた

2011年02月21日 | 上白川フルス愛好会





廖明智さんのミャオ族の民族衣装の帽子と胸飾りは
銀でできていて、結構重いそうだ。


長崎のランタンフェスティバルでは街中のいくつかの会場にステージが設けられる。
蛇踊りや琉球踊り それに中国雑伎団など多彩な演技がなされるが、その中でも定番になっているのは廖明智さんのフルス演奏と中国曲の歌唱である。

廖明智さんは2週間のフェスティバルの期間中、時間ごとにステージを回り、大変忙しい。当日も、2つの会場を回った後、交流会の会場に来てくださった。

大変きれいな人で、ミャオ族の民族服で登場され 会場にパッと花が咲いた。フルスも上手だが、中国曲の歌唱はその澄み切った声の張りと響きと、本当に、魅力的だ。
昨年会ったとき、日本の曲もお願いしますよと、言っておいたのだが、今回は「涙そうそう」をフルスで吹いていただいた。

この曲は私が昨年たまたま自分の演奏の伴奏用に作成して持ってきていたCDを差し上げていたのだが、その中に入っていたものだ。私が来るというので、使って頂いたのだとは思うが、ありがたいことだ。ひょっとしたら、各会場のステージでも使われたのかもしれない。

別のサイトでも廖明智さんのステージの演奏を紹介してあるのでそのコメントとともに紹介しておく。

http://staff.announce.jp/?p=3016
ミャオ族の方の瓢箪笛演奏と歌唱。自分勝手に瓢箪笛演奏は中国人のおいちゃんがウケ狙いでひょうきんな演奏でもするのかと思っていたら、笛にしても歌にしても中国の大陸、草原にワープさせられたようなイメージが湧く歌唱力・表現力。オペラを見ているかのようで、もうビックリ! 

http://snufkinlife.blog6.fc2.com/blog-entry-807.html
ちょうどイベント時間とかぶったようで、瓢箪笛というミャオ族の女性の演奏が始まった。
民族衣装も美しいが、演奏者があまりにも美しくてびっくりした。ぴゃおりゃん~!


長崎ランタンフェスティバル協賛交流会

2011年02月20日 | 上白川フルス愛好会

 

由緒ある香港上海銀行のホールで演奏できてありがたい。
フルスによる合奏も ぬくもりがあってなかなかいい。

上白川フルス愛好会は昨年に引き続き、長崎ランタンフェスティバルに合わせて行われる松林静風先生の門下生交流会にゲストとして参加させていただいた。

松林先生は二胡をはじめ尺八、中国笛子、フルスなどを教えておられ、ぞれぞれにお弟子さんがおられる。フルスについては昨年から日本フルス普及会長崎支部の支部長をして頂いており、大変お世話になっている。

会場の旧香港上海銀行は大変由緒ある昔の国際銀行で、建物は文化財に指定されている。かつて長崎上海間に国際航路があり、東南アジアや上海、香港に住む西洋人たちの多くが長崎に来て商売をし、時には雲仙に保養に来ていたのだそうだ。そのときの拠点と成ったのがこの銀行で、由緒あるこのホールでフルスを合奏で演奏した。昨年は5人で訪問したが、今年は7人だった。人数が増えた分と、すこし、上手になった分で昨年よりいい演奏が出来たと思う。
曲目は「阿里山的姑娘(高山青)」 「赤い花白い花」 「荒城の月」 「冬景色」だった。「阿里山的姑娘」李春華先生編纂のテキストにも載っている台湾民謡で、お祭りとかに明るい雰囲気に合うようにぎやかにな合奏曲に編曲している。


同期会で、フルスを吹いた

2011年02月19日 | 日頃の活動




卒業後、48万年もたてば 黒部川渓谷だって
鶴見岳だってできるアルヨ。


高校時代の同期会が毎年決まった日に行われる。現職の時は忙しくて、ほとんど参加できなかったが、退職してからはいつも参加している。

1回目の時は私が男声合唱をしていることを知っている人からいきなり指名され、歌わされた。こんな時のためにいつでも伴奏なしで歌える歌を1曲用意している。よく聴いてくれて大好評だった。
2回目は また指名があるだろうと思い 密かにフルスを持って行っていた。そして、フルスを紹介したあと、吹いた。珍しいので、よく聴いてもらった。
3回目は事前に係の人からフルスを吹いてくださいと連絡があっていたので、伴奏付きで吹いた。

4回目の今年は事前に3曲お願いしますと連絡があった。そして、お世話係で司会者である友人から自分も中国服を着るので、私にも着てくださいと注文があった。実は彼の奥さんが上白川フルス愛好会に入会され、中国服を持っておられるのだ。体型が奥さんと同じなので、そのまま着ることができるそうだ。

そこで、3曲は多すぎるので、二人でコントをしたあと2曲吹くことにして、すぐにコントの台本を作り、ファックスで送っておいた。

コントは二人が中国人になって、「私、中国人アルヨ。」と、怪しげな日本語を使い、みんな昔は若くてかわいかったが、今はしわくちゃになっているという話をする内容だ。
「(顔に)グランドキャニオンあるアルヨ。」「そうそう、菊池渓谷もあるアルヨ。」………、といって、「深いしわの谷間」ならぬ「赤い川の谷間」を吹くという設定だ。

座が開けてしまったあとで、おしゃべりや酒飲みに夢中であんまり聴いてくれなかったが、二人で出来たので、楽しく心強かった。来年同じようなことがあれば、今度はちょっとコントの練習でもして、惹きつけるようにしなければならない。

この会ではフルスは当たり前になったので、珍しくもないが、こうやって場を設けてくれることはたいへんうれしいことだ。