ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

その時、せめてできること

2011年03月29日 | 日頃の活動

その時、せめてできること

東北関東地震により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

以下の文は3月11日投稿の記事のコピーです。間違えないで下さい。

赤い文字にして目立たせるようにはしているものの、
あわてて書いたので、期日の表記を間違っている。

3月11日午後3時40分ごろ いつものようにメール確認やフルスの記事の検索のためにパソコンをつけた。

ところが画面のニュース速報で地震発生の記事がでていた。地震発生1時間後ぐらいだ。確認のため何気なくテレビをつけたら、名取川付近を襲う津波の空中からの実況中継が目に飛び込んできた。まさに現在進行形の実況だ。

茫然として見ていたが、何度か行ったことのあるこの地域。 家を、車を、飲み込みながら押し寄せる津波。この地震は今までにない大地震だということが直感できた。

そんなことは何も知らないかのように通行する車………。私もこの道路をレンタカーで通ったことがある。運転手はおそらく何も知らないのだろう。私は彼に対して教えることも助けることも出来ない。私はもどかしさでいっぱいだった………。

しかし、何でもいいから、今できることをしたいと思った。親戚知人がいるならとにかく電話をしただろうが、この地域にはいない。
それで、思いついたのが、このブログに何かのメッセージを書くということだ。そして、急きょ記事を書いた。それが上の記事だ。

こんなのが役に立つかどうかはわからないが、もしも、もしも、この地域で津波が襲ってきていることを知らないでパソコンに向かっている人がいて、その中で、この記事を見た人がいたら、窓を開けて外の様子を見たであろうし、そうでなくて違う地域の人が見て、驚いてこの地域の知人に電話で知らせたかもしれない。それは万分の一にもならない確率だったろうが、とにかく、何もすることができない私がせめてもできる唯一の方法だったと思う。

そのメッセージを発信することができたのは16時ちょっと過ぎで、まだ津波がどんどん登っている最中だった。

それは直接的にはほとんど効果はなかったとは思われるがその時せめてできることはそのくらいだったのだ。最近のインターネット検索は結構速い。その日のうちに、「名取川」「津波」などで、私のブログにアクセスしていただいた方があるので、この情報発信の効果は全くのゼロではなかったということだ。

その後も、何とか、災害復旧あるいは被災された方々に役に立つ支援が出来ないのかを考えている。できればフルスの活動で………。


フルスに竹林はお似合い

2011年03月27日 | 日本フルス普及会

東北関東地震により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。



里の近くの竹林はよく整備されて美しい。
しかし、この時期に勝手に入ることは厳禁だ。


前回書いたとおり、この辺り、九州の中部は竹林が発達している。ほおっておくと地下茎でどんどん広がり、山全体が竹林になってしまう。このあたりの竹はほとんどが孟宗竹だ。孟宗竹はもっとも太い竹で、その太さは、九州ではももの太さになる。

このブログに訪れていただく方は「フルス」とか、「フルスの吹き方」などで検索し、フルスの情報を得るために来られる方が多い。ところがきちんと整理されていないので、目的の情報を探すのに大変苦労されている様子だ。書いている私ですらそう感じるぐらいだから訪れる方はなおさらだろう。

これはブログだからある程度は仕方がないのだが、その不便を解消するために近々、別に日本フルス普及会のホームページを立ち上げる予定だ。すでに、その準備を始めた。そして、各ページの上部にあるタイトルバーに貼り付ける写真を竹林にしようと思い、写真を撮りに行きたいのだが、この時期には竹林には近寄ることが出来ない。きれいに整備された竹林ほどそうである。

と、言うのは今から4月中旬までが、孟宗竹のタケノコ出荷の最盛期に入り、タケノコ生産者からタケノコ泥棒と間違えられるからだ。本当は竹林の中で写したいのだが、そんなことはとうてい出来ない。

幸い、フリーの写真を見つけたので、ちょっと気に入らないけど、今のところ、それを使おうかと思っている。


残念!! 竹林コンサート中止

2011年03月22日 | 三池フルス愛好会


東北関東地震により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。



三池山の中腹で行われる竹林コンサート。
中腹以下の黄色い部分は全部竹林。
ほおっておくと山全体が竹林に覆われてしまいそう。

 

竹林コンサートは大牟田環境ネットワークが自然保護運動のために行うコンサートである。山桜が咲くこの時期に三池山の山中で毎年行われ、今ではこの町のちょっとした名物行事になっている。
このコンサートに出演の話があったころ、すでに「竹林深処」を練習し始めていたので、これはちょうどいいと、練習に拍車をかけて来た。そしてこの日に照準を合わせて人前で演奏する機会を持った。大牟田春節祝賀会とこのコンサートの前日に行われた障害者代表者会だ。

春節祝賀会はハチャメチャの演奏だった。しかし、これは宴会の最中だったからそれでよいとし、前日の演奏では非常に評判がよくて、翌日の竹林コンサートのための総仕上げとなった。ところが残念ながら、当日になって、雨のために中止となった。

九州中部のこの辺りは竹林が大変多く、きちんと手入れをしていないと、地下茎で広がり、杉山や雑木林を荒らしてしまうため、山が荒れるのを防ぐためのキャンペーンとして開かれるのが竹林コンサートだ。すなわち、竹林コンサートは竹林を守ろうという意味ではなくきちんと管理しようという意味のキャンペーンのコンサートだ。

まるで、このコンサートのためにあるような竹林深処だが、来年まで、さらに磨きをかけて、練習しておこうと思う。また、お声がかかるかは分からないけど………。


南筑後地区障害者代表者会

2011年03月20日 | 三池フルス愛好会


東北関東地震により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。



残念ながら 今回も舞台写真を撮れなかったので、
昼食に頂いた弁当を写した。なんと豪華なこと。


大牟田市を含むこの地域(南筑後地区)の障害者団体の代表者の研修会が行われた。
そのあとの昼食会を前にして行われるアトラクションに招かれた。ここに集まっておられるのは肢体不自由や聾など色々な障害者組織の代表者である。三池フルス愛好会の会員の一人も大牟田市の視覚障害者の代表としてこの研修会参加しておられる。

そういう縁でこの会に参加させて頂いたが、実はそのほかにも三池フルス愛好会には2人の全盲の方がいらっしゃる。今回はこの3人の視覚障害者の方々に中心に立って頂いて演奏した。

もともと、三池フルス愛好会は視覚障害者を支援するために図書館に録音図書を寄贈する
ためのボランティア団体http://blog.goo.ne.jp/roudokuzaの方を中心に発足した会であるから、障害者に対する対応や配慮に慣れた方々が多い。

今回は色々な障害を持った代表者の皆様の前でフルスの合奏を聴いて頂いたことで会場の皆様に大きな感動を与えることができた。何度も舞台を踏んだのでそういう雰囲気はすぐに分かる。

その後、控え室に筑後市と大牟田市の代表者の方がわざわざ挨拶に来てくださった。みやま市の方も大変興味を持ってくださり、今後何らかの会におよびするかもしれないのでよろしくお願いしますと、ご挨拶があった。きっとこれから次のフルスの広がりがあると思う。

障害者の皆さんがフルスの演奏を通して生き生きと活動して頂くことは本当にうれしいことだ。さらにそれを他の障害者の皆さんの前で披露し、障害を持った皆様に元気を与えることが出来たら、なおさらだ。


3ヶ月でステージに立つ

2011年03月19日 | 日頃の活動

東北関東地震により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。



高齢者の徘徊のための対策集会で200人の前で吹いた。

 

私が作った練習曲集と練習用伴奏曲CDで練習すると大体3ヶ月で難しいテクニックは別として指使いはうまくできるようになる。

ほとんどの楽器は下手なうちは音まで汚い、というより、不快にさえ感じる。ところがフルスはどんなに下手な人が吹いてもまろやかないい音が出る。さらに、フルスの音色は始めて聴く人が多いので、非常に珍しがられ、しっかり聴いてくれる。
小学生が習うリコーダーそっくりの指使いであり、日本人には特に易しいので、3ヶ月もすると人前で吹いてもまあまあ何とかなるというレベルになる。

私は2年前、始めての人前で吹いた演奏は厚かましくも200人の前で一人で吹いた。そのときにフルスを吹きたい人をチラシで募集したら、5人の人が応募してこられた。やはり、それは私が上手だったからではなく、フルスの音色がよかったからである。

そのグループが15人になったので、二つに分けた。今年はそれらが、さらに増えて 現在12人と10人のグループになったのだ。

私には教えてくれる先生がいなかったから、どうしても自分でやらなければならなかった。
それで、個人的なテクニックの問題は別にして、オカリナやリコーダーでやっておられるように少人数のアンサンブルや合奏という形態でやっている。結構それが吹く人にも聴く人にも好評で会員がどんどん増えているのだ。これが日本的なフルスの普及のあり方ではないかと思っている。


「フルスのふるさと大牟田」

2011年03月17日 | 日頃の活動

東北関東地震に被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

三池地区公民館での合同練習。皆さんの熱気を感じる。

先日の三池初市のステージで、私はお別れに、観客の皆さんに「昨年はこのステージに5人で立ちました。今年は20人です。その計算で言うと来年は80人ですね。皆さんもどうぞ、フルスを始めてください。」と言った。80人は無理としても30人~40人は十分に考えられる数字だ。

大牟田でフルスを始めて約2年。色々なイベントに呼ばれたり新聞に載ったりするようになったので、大牟田でフルスという楽器を知っている人はかなり増えてきていると思う。おそらく、その率から言えば国内ではダントツでトップであるはずだ。

かつて21万人あった人口も今では12万人。2つあったデパートも今はゼロ。元々炭坑町だったので、閉山後(その前から)は急激に落ち込んでいった。夕張市が炭坑町で赤字再建団体になったように、いつ大牟田もそのようになるか戦々恐々としている。今年はなんとか免れたようで、ホッとしているのが実情である。

お金もほとんどかからない、おまけに楽しくて、腹式呼吸をするので、健康にいい。慰問や街のイベントに出て、地域に貢献できる………。

私は自分を含めて、老人ばかりがやたらと目立つこの町の市の活性化の一つの方法としてフルスによる町おこしを考えている。「フルスのふるさと大牟田。」そういわれる日が来ることを夢見ている。まんざら、これは夢ではない。5年後に100人のフルスを楽しむ人が出来るかもしれない。そうすれば大した力になる。

日本フルス普及会の本部はこの小さな田舎町大牟田にある。何が何でも中心は東京である必要はない。インターネット時代は12万人の大牟田だって、十分に中心になれるはずだ。ただのおじさんはそう考えている。


フルス演奏で研修生とニアミス

2011年03月15日 | 日頃の活動

地震、津波で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。




天道校区社会福祉協議会の会報。
上白川フルス愛好会の出演を知らせている。

 

上白川フルス愛好会は昨年の10月31日に大牟田市立天道小学校で行われた天道校区校区民の集いという福祉関係の行事に招かれ、フルスを吹いた。私は泰安にいたので、参加できなかったのだが、愛好会の会長さんのご主人 前畑さんは奥さんが出るその会を見に行かれたそうだ。

前畑さんはその後、泰安の研修センターに来て私と一緒に同じ仕事をした。そして天道小学校の集会のとき、中国人研修生も招待されていて、前畑さんは研修生たちとちょっと話をしたが、出身はどこなどとは聞かなかった、と言っておられた。

そのときは大して気にしなかったが、実はあとで分かったのだが、そのとき天道小学校に来ていた研修生は 武さんと同じ会社の研修生だったという。本来は武さんもその場にいたはずなのだが、帰国直前で、最後の思いで作りにと、会社からハウステンボスに遊びに連れて行ってもらっていたのだそうだ。武さんはその2日後の11月1日には中国に帰ってきたという。

本当に、世界は広いようで、狭い。もしも、日程が少しでもずれていれば、私たちのやっているフルスの活動を武さんはその目で見て来たし、、もしかして前畑さんと話してきたかもしれなかったのだ。本当にニアミスだった。


もう一つの1000分の1の確率

2011年03月13日 | 泰安にて

 

研修生が働いていた日本料理店。街の中心の一等地にある。

 昨年の大牟田日中友好協会春節祭の折り、近くに座っていた研修生に「どこから来たの。」と聞いたら、「泰安から来ました。」と答えた。「そう、実は私は泰安で研修生に日本語を教えたことがあるよ。」といったら、すごく喜んで、遠い席にいた泰安出身の研修生を呼んできて、大喜びをしていた。泰山に登った話や街の中心地の銀座デパートの話で盛り上がった。
研修生送り出し機関は私とは別のところだったので、直接は関係ないが、自分のふるさとを知ってもらっているだけで、それほどうれしいのだ。

ところが、昨年10月に再び泰安に行き、私の任務が終わる頃、新しくできた日本料理店に行った。日本語が上手なウェイトレスがいたので、おそらく研修生上がりではないかと思い、「日本へ行ったことがありますか。」と聞いたら、「はい、三重県へ研修に行きました。」という。さらにそこに通りかかった別のウェイトレスに聞いたら、福岡県という。「福岡県のどこですか。と聞くと、なんと「大牟田です。」いう。まさかと思い、「大牟田のどこですか。」と聞いたら、新勝立町という。間違いなく大牟田だ。これも、1億2千万分の12万で、まさしく1000分の1の確率だ。

色々話したあと、もうすぐ大牟田に帰ると、言ったら、「じゃ、残っている研修生たちにおみやげをあげたいので、持って行ってくれませんか。」と言う。そこで、帰る直前に、もう一度立ち寄ることにして別れた。立ち寄る日、私は時間がなかったので、別の方にたのんで、預かってきてもらった。中身は飴がたくさん入った袋だった。申し訳ないけどで、荷物が一杯なので、半分だけ預かって来てもらった。

日本に帰ってから会社に持っていったが、会社の人は「元気にしていたんですねえ。」と我がことのように喜んで頂いた。この会社の第1期の研修生だそうだ。残っている研修生たちも、わずかばかりの飴を食べながら、先輩研修生のことを思い出したことだろう。

実はこの研修生との遭遇についてはフルスに関わるもう一つのちょっとした話がある。


今、津波が………

2011年03月11日 | 日本フルス普及会

いま、3月16時頃です。太平洋岸で津波が起こっています。
仙台市名取川上流にどんどん上がって住宅地までおそっています。
車、住宅が流されています。
もっともっと広がっていくようです。

海の近くの人はすぐに逃げて下さい。
海の近くにいる人には教えて下さい。

私はテレビで見ていますが、どうしようもありません。
私ができることはこうやって伝えることしかないと思いました。

 


1000分の1の確率

2011年03月11日 | 中国、海外のフルス事情




三池山の山腹、普光寺の梅の花は今年もきれいに咲いた。
臥龍梅は一番上の段。来年はこの花が咲く頃、
三池初市で一緒に吹きましょう。

 

新しくフルス教室を始められた成都支部長のちーふいさんからメールが来た。その一部を紹介しよう。
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初めての授業が終わったあと、5月か6月頃に日本に帰国予定の方が、「もっと早くフルスに出会っていればよかった...」と、さみしそうに言われたので、「日本へはどこへ帰られるんですか?」と聞いたところ、「福岡」だと。

私が「もしかして大牟田じゃないよね!?」と言ったら、彼女は思わず立ち上がり、「えぇーーっ!!! 大牟田だよ! 大牟田でフルスができるの!!?」と、びっくりしておられました。
「これから楽しみもなくて、どうしようと思ってたのに...」「まさか、あの何もないところでフルスができるなんて... 帰国してからの楽しみができた~!!」と、涙ぐみながらの大喜びだったので、今日1日、忠野さんの活動の話をさせていただきました。
「何か運命的なものを感じるわ~。」と、大感動でした。
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この話を大牟田の会員の皆さんにしたら、やはり、大感動だった。

大牟田は12万人の小都市だ。日本の人口の1000分の1に当たる。中国にいる日本人でフルスをやっている人は1000人はいないと思うが、その中で1000分の1の確率で大牟田の人に当たったという計算になる。
よくもまあ、こんな偶然があるものだと、みんなで感心して喜び合った。これからもきっと、いいことがあるに違いない。

「今年も普光寺の梅の花がきれいに咲きましたよ。大牟田で待っていま~~す!」