ただのおじさんの「フルス フルス フルス」    ………フルス(葫芦絲)は中国雲南省生まれのひょうたん笛です………

まろやかな音色のフルスに一目(耳)惚れした「ただのおじ」さんが日本でフルスを普及させようと一念発起。はてさて………。

茶馬古道・斜面の活用

2010年05月30日 | 中国、海外のフルス事情

対岸にナシ族の集落が見える

開発可能なところはすべて段々畑に

茶馬古道は哈巴雪山(はばせつざん)の山腹の厳しい斜面を横切って通る。斜面の耕作できるところはすべて段々畑となっている。耕作できないような厳しいところは山羊の放牧場として活用している。放牧場といっても山羊の場合は草を求めて移動するので必ず誰かがついている。山羊は思いの外 平気で高いところやがけの上に登る。山羊の見張りは退屈な仕事だ。こんな時間を雲南の人々はフルスや巴烏(バウ)を吹いて過ごしていたのだろう。この年は100年ぶりの干ばつといわれ、この山の草も元気がない。草が生えないと山羊の食料が足りない。これはナシ族など山岳民族にとっては死活問題だ。山羊たちはパサパサの乾いた草を争うように食べていたけど、大丈夫だったのだろうか。 写真は山腹のナシ族の耕作地。この集落地の場合、段々畑の最上段に十数戸の民家がある。右下の草地のようなところが山羊の放牧場となる。

学校がない村

2010年05月28日 | 中国、海外のフルス事情
険しいがけ道を3時間ぐらい歩き、あたりがちょっと開けたところでレストランに着いた。それはこのルートでは一番大きな村の中心にあって、昔から茶馬古道を通る隊商たちの休憩所になっていたところと思われる。
村には100戸ぐらいの民家があるので、当然学校はあるものと思ってどこにあるのか聞いたら、この村にはないという。現在は700メートルぐらい下の長江沿いに茶馬古道と平行に車が通る道路ができていてそこからこの村に道が通じている。下の道路沿いに学校があるので、村の車で子供たちを送るのだそうだ。
10数年前までは茶馬古道以外には道はなかったはずだ。以前はどうしていたのだろう。
きっと、大人やお年寄りたちが村の中で子供たちを集め、村のしきたりや山での仕事の仕方を教えていたのだろう。そのときの教育の道具の一つがフルスであり巴烏であったのだろうと私は思っている。写真は下の道路から上ってきた自動車と茶馬古道を行き来する馬。

断崖の道

2010年05月26日 | 中国、海外のフルス事情
茶馬古道に入り、一つ目の村まではなだらかな田舎道であったが、そこを過ぎたら急に山道となった。

我々が通る茶馬古道は写真では見えにくいとは思うが、左側の山塊の斜面の断崖の中段を横切っている。このトレッキングの間、常に右下に長江の流れを見下ろして通る。長江の向こう側にはついたてを立てたように5000メートル級の玉竜雪山群が並び立っている。その長さは35キロメートルに及ぶという。左側の山塊はこれも5000メートル級の哈巴雪山(はばせつざん)の一部である。
すなわち5000メートル級の哈巴雪山と玉竜雪山の間に長江が流れており茶馬古道は哈巴雪山側の山腹の断崖を、長江に沿って通り抜けているのである。

もう、ここまで来ると人気もないし、フルスや巴烏の音が聞こえてくるはずもない。ちなみに、長江の向こう側の川沿いには車道が見えるが、この道は行き止まりである。一方、現在では長江の手前側、写真の下の端にほんの一部見える白い車道が通じており、地域の人たちはその道を使うので、茶馬古道は日常の用途としては使われてはいない。

茶馬古道を歩く

2010年05月25日 | 中国、海外のフルス事情
いよいよ茶馬古道に入った。一つ目の村までは穏やかな田舎道が続く。このあたりで仕事をしている人はみんなナシ族だ。ナシ族はフルスではなくてぱ巴烏(バウ)を吹くという。どこからか、笛の音が聞こえてこないかと、楽しい空想をしながら歩く。

目立つ作物は裸麦、菜の花など。これからは右手にずっと玉竜雪山を眺めながら歩く。
この年は雨が少なくて、中国南部は江西省あたりまで100年ぶりの干ばつだという。雲南省でも5ヶ月ばかり、雨が降っていないそうだが、作物の育ちも少し元気がないように思う。


寄宿舎のある中学校

2010年05月20日 | 中国、海外のフルス事情
入り口の町で馬をチャーターして、いよいよ茶馬古道に入る。これからは山道になる。

その入り口にシャングリラ第三中学校があった。雲南省では山岳地帯の学校建築が進まないので、日本には、学校建設のための募金活動をしている団体がある。実は私はフルスの活動をしながら募金を集め、協力しているのだが、学校や教育の実態を見るのも今回の目的の一つであった。
しかし、この学校を見た限り、立派な建物であり、募金活動をするほどでもなさそうだ。
この町は山の入り口なので、山奥から集まってきた生徒たちがここの寄宿舎で過ごし、学業に励んでいるようだ。ここまでは交通の便がよく、施設も整っているように見える。

今から2日間かけて行くところにはどうだろうか。この目で確かめたいと思う。

茶馬古道

2010年05月18日 | 中国、海外のフルス事情
今回のトレッキングの私の目的の一つは雲南省の山岳地帯に住む人々の生活の様子を見ることである。
茶馬古道という昔の交易路を通るわけだが、その前に資料館に立ち寄った。茶馬古道は雲南省のお茶とチベットの馬を交換していたという。西洋と東洋を結ぶシルクロードに対して南のシルクロードと呼ばれている。ここを歩いてフルスが伝えられてきた山岳地域の様子をこの目で確かめてみたい。
ただし、この地に住むナシ族はフルスではなくて、音の出し方の原理が同じ巴烏(パウ)という横笛が伝えられてきたという。いずれにしても、同じような雲南省の山岳地域の様子が分かると思う。
写真のような場所を通るのだろうか、出発前の期待と不安のドキドキの時間であった。

麗江・ナシ族

2010年05月15日 | 中国、海外のフルス事情
麗江は玉竜雪山の伏流水による泉から流れ出た豊富な水が町中を流れるきれいな街だ。古い屋根瓦のが連なる古城の風景の写真が印象に残っている方も多いだろう。中国はどこへ行ってもほこりっぽくて閉口するのだが、この町ばかりは黄土地帯からはるかに南にあるせいか、空気と地面がさわやかで気持ちがいい。

中国には55の少数民族があるという。その中でも25の少数民族がこの雲南省に住んでいるという。その中で、それほど多い方ではないが、この地域はナシ族(納西族)の居留地で、町中でも山中でも出会う人はみんなナシ族といって過言ではない。写真はナシ族の民族服を着たおばあさん。お年寄りの女性はほとんど伝統的なこの服装である。ただ、帽子はもともといろいろなものがあるようだが、今ではお年寄りの間では人民帽が主流である。
ナシ族はフルスは使っていなかったが、この地域は音の出る原理がフルスと全く同じ巴烏(バウ)という名の横笛を使っていたという。

雲南省へ

2010年05月13日 | 中国、海外のフルス事情
中国雲南省はフルスのふるさとだ。一度は行ってみたいと思っていた。そんな話を小波(おば)さんにしていたら、ほどよいツアーを見つけてくれた。フルスとの関連から言えば省都の昆明やタイ族の住む南部や西部がいいのだろうが、とにかく行ってみたいのでどこでもよしとした。私の今までの経験から言えば一度行ったところには何度も行く機会があるものだ。

雲南省北西部麗江を拠点に東西に連なるヒマラヤ山脈の一番東にある玉竜雪山の山麓を通る茶馬古道を歩くトレッキングに参加することになった。美しい麗江の街も一度は行ってみたかったし、古くからの交流路茶馬古道も是非行ってみたかったのだ。

写真は美しい麗江の街から見える玉竜雪山5596m。まだ、誰も頂上をきわめた者はないという。


練習したいけど………

2010年05月10日 | 日頃の活動
視力障害者の会での演奏のあと、フルスを始めたいという3人の方から電話があった。ふつうだったら、「代表者と会場を決めてください。では、3人一緒に練習を始めましょう。」といえるのだが、この場合はいくつか越えなければならない問題がある。

障害者用の活動施設があるので、練習場は確保できるであろう。しかし、そこに行くのは視覚障害者なので、まずは一人では出かけられない。サポーター制度があるので、それを利用することはできるが、数少ないサポーターさんなので、3人が同じ時間に行くことにはやっぱり、問題がある。それに、鍼灸などの仕事をしておられる方は、なかなか、店を空けて出かけられないという。

しかし、私は視覚障害者の方がフルスを始められることは本人たちのためにも、日本のフルス普及のためにも大変意義があると思う。指先の特別の感覚と音感を持っておられる方ばかりなので、すぐに上達できるだろう。それにフルスは基本は小学3年生程度の大変易しい技術だが、演奏者の技術や工夫次第によって、表現力豊かな演奏ができる楽器なので、それなりのやりがいがある楽器だからだ。何よりもその独特の音色は同じ障害を持っている方々の励みになるし、いやしの音楽として心の安定に大きな効果があると思う。

なんとしても視覚障害者の方のフルス教室を成功させたい。しかし、考えるだけではことは進まないので、まずは、自宅でやっておられる鍼灸師さんのお宅へお客さんがいらっしゃらない時間を確認して出かける出張教室1件だけでも、始めてみようかと思っている。

吹けたー!

2010年05月08日 | 日頃の活動
盲人用マウスピースをつけて、5本のフルスを回し、各自吹いてもらった。全盲の人にはサポーターが付いている。はじめの要領だけ説明して、あとは自分たちでやってもらった。
ピアノが弾けるという写真のこの青年はあっという間に要領を得て、いきなり腹筋を使ったバイブレーション付きでバイエルのはじめの方の練習曲を吹いてくれた。この人ならすぐに上達できそうだ。

ほかに、探り吹きで「ドレミーレド ドレミレドレー」のチャルメラの呼び笛を吹いている人もいる。しかも、指先が器用で、見事な早さで、吹いたので、どっと笑いが起こった。和やかな楽しい演奏会(と、言うより交流会)であった。